4.道行き
「──では」
次の日の朝、父カセムに見送られ、牛車に乗り旅立った。
「精霊のご加護を」
カセムが手にした錫杖をシャンと鳴らし、送り出す。
王族がよそへ嫁すとき、見送るのは王であり神子でもあるカセムのみ。そういうしきたりになっていた。
未練を残さないよう、二度と戻る事がないようそうするのだと言われている。他の家族との別れは前夜にしてあった。
ちなみに、俺の母親は五歳の時に亡くなっている。第四王妃だった母は、どの王妃より一番最初に俺を生んで喜んだのも束の間、薄い紅の髪に神子でない事を感じ取り。
その後、成長し物心ついた俺に、まったく神子の力がないのを知ると半狂乱となり、俺の首を絞めかけたのだ。
慌てて止めに入った侍女らによって防がれたが、失意から精神に異常をきたし、一年後に病死した。
酷い話しだ。俺はまだ幼子だったと言うのに、かわいいより先にショックを受けるなんて。けれど、俺は恨んではいない。無事に産んでくれたことだけでありがたいと思っていた。
そんな母親だったから、一緒に過ごした記憶はなく。半ば乳母に育てられた俺は、亡くなっても、そこまで悲しくなかったことだけは覚えている。
そんな俺に同情したのか、父カセムはとにかく俺の好きにさせてくれた。村人に混じって遊ぶのも、働くのも止めない。ただ好きな様に。
けれど今思えば、この結果が待っているのを、知っていたからなのかも知れない。
向かう先は大国ファジル。乗るのは牛が引く牛車だ。
この牛車は、ファジル帝国から贈られたもので、この縁組の為に造られたものだ。
唐破風の屋根に黒い漆塗。側面の物見や、前後には錦が縁取る簾がかけられ、内側には綾絹で織られた簾に、季節ごとの花が描かれている。袖や側面の立板には花模様の螺鈿細工が施され、ファジル帝国を統べるラマアーン家の家紋が描かれていた。
それに年老いた御者と見習いの少年がそれぞれ両側について、牛を導いている。
高貴なものの移動には、それが普通だった。が、これだと着くまで半日かかる。幾ら隣りあった国とは言え、馬のようには跳ばせないから仕方ない。
牛に揺られ、ならされていない道を行く。昨晩雨が降ったせいでぬかるんでいた。気温もあがり空気は蒸し暑い。季節は初夏だった。
ルンは襟元へ指を差し入れ、そこに風を送りながら。
「…ああ、暑い。この御簾開けましょうか?」
「だな…。虫が入ってくるが仕方ない。後ろだけでも開けて──」
ルンとそう話していれば、急にガタンと音を立てて牛車が止まった。すぐに年老いた御者に声をかける。
「どうした?」
「すみません。どうやら、わだちに嵌ったようで──しばしお待ちを」
御者は後ろに回ると、他についてきた見習いの少年とともに牛を引いたり、牛車を押すが──上手く行かない。人手が足りないのだ。老体と少年では力も出ないだろう。
「──よし。俺も手伝おう。ルンはそこで待っていてくれ」
言うと着ていた衣装を脱ぎ始める。
「あ、ちょっと! だめですって! あなたは主賓なのですから! ここでおとなしくまっていてくださいって!」
「なに、また衣装を着てしゃんとしていれば済むことだ。──手を貸そう!」
下履きだけとなって、牛車の背後に回る。これでも、畑仕事や猟での山歩き、海の漁で鍛えている。牛車を押すのもわけなかった。
「くっ…、よっと──!」
下僕と共に牛車を押す。御者は前にいて、牛を誘導した。モオーと牛が鳴く。ギギギっときしむ音がして車輪が進んだと同時、勢いづいて押していた手が滑った。
あっと思った時にはすでに時遅く。泥水のたまったわだちに顔から落ちる。それを見ていたルンが。
「ぎゃ!」
そう声を上げた。水牛の落し物がそこにあったからだ。
◇
「なんて事をしてくれたんですか! せっかく整えた御髪も化粧も台無しです! みんなで懸命に整えたのに!」
「すまなかったって。そこの川で行水したし。もう──牛臭くない…。多分。──うん」
くんくんと自身の匂いを嗅いで満足げに笑んだが。ルンは手にしていた手ぬぐいを、バシッと投げつけてきた。それが、顔半分に当たってズルリと落ちる。ひどいな。
「リイン様! あなたはいずれ、皇帝の后となる方なんです! あなたはウイラの太陽そのものなのですっ! なのに──なのにこんな、無残な姿で…。国の者が知ったらどんなに悲しむか…」
最後にはぐすっと鼻を鳴らし、下を向いて袖で涙を拭う。そんな様子にほとほと困り果て。
「ごめんて…。つい、いつもの癖で…。そこまで考えていなかった…。済まない。お前たちがせっかく整えてくれたのにな…」
綺麗に結われていた髪も、今はほどけ、赤茶のくせ毛が乾きふわふわと舞っている。
汚れた衣類はすべて着替えたが、ほんのり施した薄化粧も見事にきえていた。差し出された鏡には、いつものそばかすだらけで、日に焼けた顔がある。
うーん。いっそ、衣装も身につけない方が潔い気もするが──。
しくしく泣いているルンを前に、それも言えなかった。せめて丹精込めておられた衣装くらい身につけなくては、彼らも浮かばれない。さっと髪をひとまとめにして、無理やり結わえると。
「衣装は無事だったんだ。これで上から冠を被れば、化粧が落ちたのも髪が乱れたのも誤魔化せる。大丈夫だ」
冠の上から、薄い布を被るのがしきたりで。輿入れ前の者が身につけるもののひとつだった。
「……せっかく、お綺麗でしたのに…」
ぼそとルンがこぼした。そうだったのだろうかと振り返りつつ、
「これで十分だ。ほら、そろそろ宮殿が見えてくるころだ…」
牛車は大きな門をくぐり、街中へと入っていく。
牛車にはラマアーン王家の紋がはいっていて、これがある限り、門番に止められることはなかった。
入った門は四方にあるうちの一つで、一番、小さなものだった。それでも見上げるほど高い。牛車の中からそれを見上げる。
「……大きいなぁ」
「そうですね……」
二人共に、その巨大さに圧倒される。そして、それはこの国の大きさでもあるのだと理解した。
果たして、片田舎から繰り出した自分が、ここに順応できるのか、不安にもなるが。
「──ま、今更、心配しても始まらないな…」
腹を据えて向き合うしかなかった。
「そうですね…。ここまで来てしまえば、もう帰る事もできません。覚悟を決めるしかありませんね…。あなたは輿入れするのですから。こんな所で怖じ気ついている場合ではありませんね!」
ルンが応じる。同じ様に不安に思っていたらしい。最後には気合をいれ、こちらを振り返った。
「そうだな…」
ルンと違って期待は少ないが、それでも王家に迎えられる事は確かなのだ。僅かだろうと、望まれているということにほかならない。
「俺のできることを、なすだけだ」
「そうです。その意気です!」
そうして、のんびりとした速度で牛車は進んでいった。




