2.約束
「リイン様!」
呼ばれて埋もれていた本の山の中から、ムクリと上半身を起こした。薄い紅色の髪がふわりと揺れる。
「…なんだぁ? ルン」
我ながら気の抜けた返事だと思う。
だが、それも仕方ないこと。子どもの意思などまるっきり無視した、親父らの勝手なやり取りが、今の俺に影を落としているからだ。
その事実を知ったのは、ちょうど、一年前。十七歳になる直前のことだった。
なんと父カシムは、大国ファジル帝国との同盟のため、神子にならなかった子を、帝国の後継皇子へ嫁がせると、皇帝マシュリクと約束していると言うのだ。
ついては、その約束を果たすため、十八才になりウイラでの成人を迎えたら、俺に皇子の元へ嫁せと言う。
晴天の霹靂。目が点になった。が、ウイラのためと言われれば、否とは言えない。これでも、サナン王家の長子として生まれた身。なけなしの責任感はある。だが、しかし。
──まったく。国を守るためとは言え困った連中だ。
俺はそれまで手に取っていた冊子を、バサと放った。目の前にはまだ山のように書籍が積まれている。
俺は明日、そのはた迷惑な約束に従って彼の国へ嫁す。相手はファジル帝国ラマアーン家、長子アルーン皇子だ。紛うことなき立派な男子だ。
嫁すといっても男子のため、子をなすことで結びつきを強くするのが目的ではない。
皇子を助け、その役に立つことで、国と国との結びつきを強くするのが目的だ。その為、形式上だが『妃』となる。
アルーンが皇子である間は「妃」だが、皇帝になればそれが「后」と変わる。このあたりの国では、男が「后」や「妃」になることも珍しくなかった。
特に嫁ぐ先のファジルはそのあたりに寛容で、歴代皇帝や皇子の中にも、男子を生涯の伴侶として選ぶものも少なくなかった。ようは一番寵愛を得て、信頼のおけるものがその伴侶となり互いを支えていく、それだけのことだった。
ただ、男子の場合は子はなせないため、男子のみを後継と定めているファジルでは、兄弟やその子供たちが後継となっていた。
だから、今回男子である俺が、同盟のため大国ファジュルへ嫁すのもごく普通の事だった。そうはいっても相手は男子。
俺はふかぶかとため息をつく。
「リイン様、支度はできましたか?」
涼やかな声と共に、栗色の髪を綺麗に結った、色白の青年が顔を出した。緑色の目はぱっちりとして大きく晴れやかだ。黙っていれば、女人と見紛うほどの美形だが。
部屋の様子を見て、その表情が一変する。
「──って、まったくできてないじゃないですか! ファジルへ越すのは明日ですよ! 明日! 皇帝や皇子との謁見もあるのに、これじゃ、間に合わないじゃないですかっ!」
側付きのルンが、眦を吊り上げて部屋へずかずかと侵入してきた。怒り狂った猪の如くだ。せっかくの美形が台無しになる。
確かに俺の周囲には書籍が散乱し、衣類、雑貨のたぐいはいまだ放置されたまま。明日、二度とここへ戻らないとは思えない散らかりようだ。いったい誰がこれを片付けるのだろうか?
「自分でできるからと、あれだけ手伝うと言ったのを断った癖に…。まったくできていないとはどういうことですか! もう今日は夕飯抜きでやってもらいますよ!」
「…お前、俺の側付きの癖に、口悪すぎだぞ。兄弟とは言え俺は主だぞ」
「そんなことはどうでもいいんです! 今はっ! すぐに必要ないものは、後で送ってもらうとして。とにかく、これ仕分けますから。すぐに必要なものだけ、選んでください! すぐに、ですからね!」
かなぎり声をあげて、ルンは片っ端から散らかったものを放り投げていく。
しかし、ただ放り投げていくのではなく、きちんと分類ごとにまとめて放っていくから大したものだ。出来上がった小山はきちんとそれごとに整理されている。
「さすが、ルン。その優秀さは父上似だな?」
「いいえ! 下町生まれの母の血です! 王カセム様もあなた同様、散らかしの名人ですから」
ルンは父カセムが下町の商人の娘と恋仲になり生まれた子だ。母親の意思で、王宮に上がることなく、ずっと街で暮らして来た。
が、流行り病で母親が亡くなり。それを機会に十三才で城へ迎え入れられたのだ。
その為、カセムを父と呼ぶことはない。もちろん、恨みつらみがある訳ではなく、母親に『父親は死んだ』そう教えられたため、今更カセムを父と呼ぶのは違和感もあり、おこがましさもあるのだと言う。
下町生まれのルンにとって、カセムはいくら小国とは言え、王だからだ。気にせず呼べばいいと言ったが、ルンは頑として受け入れなかった。
同様に俺のことも兄とは敬わず、ただただ側付きとして口うるさく追いまわし、または小突き回す。とは言っても、もともと一つ違い。兄とも思えないのだろうが。
「あなたは悪い所だけ王に似ましたね? 好きな事ばかりに没頭して…。カセム様は釣りが大好きでいまだに隙を見ては、小川に出かけていますもの。かく言うあなたは横笛に没頭して…。昨晩も笛ばかり吹いていたでしょう? その時間があれば、これも片付いたのに…」
ぶちぶちと愚痴るルンに、俺はヘラと笑うと。
「あれは大事な練習なんだ。それに、別れを告げる意味もあったんだ。二度とここには戻って来られないからな…。けど、ルン。おまえだってそうなる。…悪いことは言わない。ここへ残って幸せに暮らせ」
「いいえ。一緒にお供いたします! 私はここへ迎えられた時から、リインさまのお世話をする様に言いつかってきました。それが私の生きる道なのです! とやかく言われる筋合いはありません!」
ルンは顔を赤くし、こめかみをひくつかせる。えらい剣幕だ。
「筋合いって…。俺は一応、お前の主人であり兄なんだぞ? だいたい、あそこの皇子はごまんと側や妾を抱えて、やりたい放題だって話だ。そんな好色な皇子がいる場所へ、お前みたいな美人を連れて行かれないよ…」
街の酒場で食事をしていた時、ファジル帝国からきた旅人がそう話していたのを耳にした。
あくまで噂ばなしだ。全て信じるわけではないが、火のない所に煙は立たないという。何かしらそういった事実があるのだろう。
ルンは黙っていさえすれば、深窓の令嬢ならぬ令息だ。そんなルンがついて行けば、かならず目をひく。好色とされる皇子の餌食にされかねない。だからここへ置いて行きたいのだが。
「だから、ついて行くんです! あなたがろくでもない皇子に襲われないために!」
「いや、俺は襲われたって…。妃として行くんだからな? ──まあ、形式上だが…。これは国のためでもある。姻戚関係を結ぶのが目的だ。だいたい、俺には神子の力が発現しなかったんだから仕方ない。それくらい、役に立たないとな。──ま、こんな俺に、皇子が手など出さないさ。ルンの心配など無用だ」
色の抜けた赤茶の髪が四方に跳ね、頬にはそばかすが彩る。加えて陽に焼け真っ黒な肌。せいぜい、漁師か農家の子せがれにしか見えないだろう。
俺がもし皇子だったなら、こんなやせっぽちで粗野な男に、わざわざ手など出さない。他に見目麗しい男女が山のようにいるのだから。
「そんな言い方…」
「それより、だ。お前の様に美しいものがいけば、予期せぬ災いに巻き込まれる可能性もある。それに、あっちに行ってしまえば一生、外に出ることは叶わない…。お前の自由を奪う事になる。お前だって、いつかは好いた相手と一緒に暮らしたいだろう? ──だったら、俺の側付きはやめて、明日以降、この国で好きに過ごすべきだ。お前だって王子なんだからその権利がある──」
「いいえ! ありえません! それに私は王子ではありませんからっ!」
ルンは詰め寄ると、俺の鼻先にほっそりした人差し指をつんと突きつけ。
「亡き母に言われました。『一度決めたことは最後まで貫け』と。それが幸せへの一歩だと。私はあなたの側につくときめたのです! なんと言われても引きません!」
「…ルン」
俺は及び腰になりつつも、そんなルンを見返す。ルンは声の調子を落とすと。
「それに──あなたは言うほど、魅力のない人間だとは思っていません…」
「…いいや。それはないだろう? 身内の欲目だ」
どう見積もっても、配役で言うなら村人一か、二だ。しかし、ルンは引かない。
「いいえ。ちゃんと見てくれる人物なら、あなたの魅力に気づくはずです。…あなたに、神子の力があれば、こんなことにはならなかったのに…」
ルンは悔しそうに口にしたが。俺は頭を掻きつつ。
「あれは…持って生まれたものだからな。それが出たのは弟のラトだ。あいつは優しいし優秀だ。きっと民思いのいい国王になる。──それにだ。こんな役回り、ほかの弟らにさせたくはない。これで良かったんだ」
「…ですが……」
まだ話したそうだったのを切り上げる。何を言っても、この事実は変えられない。仕方ないのだ。
「さて。ルンがまとめてくれたおかげで随分はかどったな? で、俺の直近の荷物はこれだけか?」
すぐに必要なものをまとめた塊を見下ろす。そこには衣類の他に、数点の書物と王カセムから賜った一振りの剣。あとは一本の龍笛。それだけだった。なかなか少なくてよろしい。
「必要なものは向こうにすべて揃えてあると聞いております。衣装箪笥に化粧台に天蓋付きの寝台…。大国ファジルですもの。それはそれは、きっと豪華なものなのでしょうね…」
ルンはうっとりとして目を潤ませた。きっとその目の前には、絢爛たる景色が広がっているのだろう。俺にはまったく見えないが。ルンははたと我に返り、
「書物の類はまだ必要なものがおありでしょうから、あとから送るとして。こんなところでしょう? あなたはもともと、書籍以外の私物は少ない方ですから」
「…そうだな。書物はあと数冊追加するか…。確かあちらの国の情報が載ったものがあっただろう?」
政治のみならず、環境や特産物、観光箇所など。風習や祭りなどの風俗についても載っていた。
形ばかりとは言え、嫁入りするのだ。(カセムはそう言っていた)全くの無知では恥ずかしいと調べに調べまくったのだ。持って行けば見直せる。
他には、王族に関するものもある。
ファジル帝国を治める皇帝、マシュリク・ラマアーンは連綿と続く、ラマアーン家の百代めの当主だ。あまりの長さに驚くが、間違いのない数字だった。
中には短命のものもいたのだろうが、気の遠くなるほど長い年月つづいてきた一族で。もともとはもっと長命で祖先はその精霊そのものだった、という言い伝えもあるが、定かではない。
しかし、そんな言い伝えからか、精霊を敬うアウラではファジルをどこか畏怖の念をこめて見ているふうがある。
「大層、お調べになりましたものね…」
ルンは書物の山を振り返った。それは後で送るもの、に分類されている。
「まあ、一応な? 知らないと失礼にあたるだろ? せめて知識や芸事くらい身につけていないとな。笛で吹ける曲も少しばかり増やしたんだ。あちらで好まれる曲をな。なかなかいい曲だぞ?」
「──それであんなに遅くまで?」
「だって、あっちで必死に練習していたら、恥ずかしいだろ? 少しばかり見栄を張りたいんだ」
「そんなことまでして『妃』になるなんて…。あなただって、今のままで充分、王になれたのに…」
『妃』は王より格下になる。ルンは再び歯噛みするが、俺は首を振ると。
「俺の使命は、大国ファジルに嫁すこと、だ。──しかし、ルン、本当にいいのか?」
「かまいません。私自身が決めたこと。後悔はありませんから」
「…そうか」
ルンの強い言葉に目を細める。ルンがそう決めたのなら、受け入れるしかない。
「さて。荷造りを済ませるか」
「って、これ、昨日のうちに終わらせていただきたかったんですがっ!」
またルンの怒りが再燃する。俺は尾尻を巻くようにして、ささっと、荷物をかたし出した。




