18.内情
アルジャンは俺の傍らに腰を下ろすと、
「もうしばらく、横になっていた方がいい。まだ目が回るはずだ。俺もここにいるから、安心して眠るといい…」
「ありがとう…」
確かにまだ頭がくらくらとする。
言われた通り、再び薄い敷物の上に身体を横たえた。頭には布を丸めたものが枕代わりに置かれている。高さも丁度良かった。
アルジャンは片膝を立て、そこに肘をついた。
「…あの時、リインと門兵との小競り合いを偶然みかけたんだ。危ないと思い、止めようとしたんだが──間に合わなかった…。あの門兵…。──許せない」
唇を噛み怒りを滲ませる。
「──いいんだ。それも彼らの仕事の内。俺が不用意に近寄ったのがいけないんだ。アルジャンが気にすることじゃない。──しかし、当分、城の中に戻るのは無理だな?」
「だろうな…。あんな騒ぎがあった後だ。余計に厳しい目で見られるだろう。──でも、なぜ中に入りたいんだ? あの時もかなり必死に食い下がっていたが…」
「…あそこに──住んでいたんだ」
「住む? 侍従かなにかか?」
俺は首を振ると、
「その──」
「どうした?」
アルジャンは言い淀む俺に小首をかしげる。俺は自身の姿を改めて振り返った。
砂と泥にまみれた着衣。すっかり乱れた髪に、きっと薄汚れている顔。こんな姿の俺を、妃だと言って誰が信じるだろうか。侍従で通すのが一番だと思った。
「──いや、中で…侍従をしていたんだ。それで、仕事までに戻りたかったんだが…」
「それにしては、侍従の格好をしていないんだな? 制服があるだろう?」
「…まあ、その。祭りで…休みだったからな…」
適当に言葉を濁す。何か察したのか、アルジャンはそれ以上突っ込まなかった。
「──事情があるにしろ、外から中へ入るのは厳しいだろう。中のものが気付いて探しに来てくれれば何とかなるかもしれないが…。侍従ひとり消えたところで、気に留めるのは同僚くらいなものだろう。今のファジルではな」
もし仮に侍従だったなら、確かにアルジャンの言う通りなのかもしれない。
が、外に放り出されたのは『妃』である俺で。きっと今ごろ、リインが大騒ぎをしているだろうと予想はつく。
「…昔はそんなことはなかったと?」
「そうだ。使用人に対して厳しい目が向けられるようになったのは、今の宰相アスワドになってからだ。昔は使用人のことも大事にして、暮らしぶりは豊かだった…」
粗末な食事を思い出し頷いた。
「今は違うものな…。──って、どうしてそのことを知っているんだ?」
「中に知り合いがいるのさ。今も繋がりがある。それで、ある程度、内情には詳しい…」
「へぇ、そうなのか。…なら、教えてくれないか?」
「何を知りたい?」
俺はひと呼吸おいたあと、
「ファジルの中はどうなっている? 今の皇帝が悪い人物だとは思えない。どうして、そんな宰相がのさばる様になったのか…」
現皇帝マシュリクは父の友人だ。人がいいとは聞いたが、悪いと聞いた試しはない。すると、アルジャンは軽いため息をもらしたあと。
「現皇帝マシュリクは人がいい。信じた人間の言うことは素直に聞いてしまう」
「へぇ、そうなのか…」
幼い頃や、謁見の際に会ったマシュリクからは、確かに人の良さを感じた。
「──当初、宰相アスワドもクセはあったが、そこまで悪い人物じゃなかったんだ。前皇帝が現皇帝の為に、優秀なものを募り、選びに選び抜いた宰相だった…」
「なるほど…」
「──だが、現皇帝の代となり、悪い面が出たらしい。そんな皇帝を見るうち、これなら簡単に御することができると踏んだんだ。なにかあっても上手く言いくるめてしまえばいいと…。それで、皇帝の目を盗み、影で権力を振るう様になった…」
「それが、──こんな事に?」
「そうだ。宰相アスワドは自分の好きな様に動かすため、周囲を自分の手の者で固めた。アルーン皇子にも、自分の息のかかった妾や親戚筋の娘を側に与えて、なにかあれば御しやすいよう手を打った。悪事を働いていても、それをうまく隠し、皇帝には悟られない様にしている…」
「そんな事が…」
「皇帝マシュリクは、今も皆は昔と変わらない生活を送っていると思っているんだ」
「そうなのか…」
「だが、皇帝の周囲に集う連中も無能じゃない。流石に宰相アスワドの行き過ぎた行為を止めようと動いてはいるようだが──結果、どうなるかはまだわからない…」
「国が…荒れるんだろうか。大きな争いが起これば、下の者が被害を受ける…。できるだけ、上層部の中で終わればいいけれど…」
すると、ふっとアルジャンが笑った。目を細めたのでわかる。
「なんだ?」
「…リインは、まるで自分が王のような口ぶりで話すな? 自分事だ」
「い、いやっ。その、なんだ、これが俺の癖で──」
「いいんじゃないのか? 無関心でいるより。リインのような人間が王だったら、きっといい国になったろうな」
「アルジャン…」
優しい眼差しが胸に来る。
俺は小国なれど、王の子に生まれた。けれど、神子の力がないばかりに、外へ出された。王にはなれなかったのだ。
──でも、今の俺にもきっとできることはある。
こんな時にファジルに嫁いだのも、意味があるはず。そうして、王宮の外へはじき出されたのにもきっと。
「──そう言えば、ひとつ、宰相アスワドの思い通りにならなかったことがあると聞いた…」
「なんだ?」
そんな思うがままの人物が抗えなかったことがあるのだろうか。不思議に思えば、アルジャンは悪戯っぽく目を光らせ。
「隣国ウイラから王子をひとり、もらい受けたんだ。アルーン皇子の妃として…」
「……」
「それは、皇帝マシュリクとウイラの王カセムとの昔からの約束ごとだったらしい。宰相が異を唱えても、皇帝は聞き入れなかった、とか。だから、宰相アスワドは自身の手駒をつかって、その王子を監視しているらしい。自分の自由にならないものは排除すべきと。隙あらば、追い出そうとしているとか…」
──だから、か。
初日からキヤーナのあたりが厳しかったのは。キヤーナは宰相と通じている。その後の扱いが酷かったのも、こちらが根を上げて国へ帰ることを期待していたのだろう。
──ふん。俺があんなことくらいで、根をあげると思うなよ?
と、そこまで考えて。
「…てか、俺…、もう外に出されてる…?」
「リイン?」
思わず口をついて出てしまった。俺は慌てて誤魔化す。
「い、いや。なんでもない…」
祭りの所為とはいえ、今や自力では王宮へ戻ることが叶わない。これは、キヤーナの、宰相アスワドの思う通りに進んだのではないのか?
──まさか。
初めから仕組まれていたのか? いや、でも、祭りの騒ぎは偶然だろう。しかし、偶然を装って俺を外へ出した、とも考えられる。
──俺は、まんまと嵌められたのか…?
いや。たとえそうだとしても、これごときで諦める俺ではない。俺は俺のやり方で、このファジルを正す手助けをするのだ。どうすれば手助けになるかが、問題だが。
とりあえず、今はできることからやるしかない。
「一晩寝れば、明日には回復する。明日から手伝わせてくれ。アルジャン」
「おいおい。まだ、傷も癒えていないのに? せめてもう二、三日──」
「大丈夫だ。俺は石頭だ。身体も頑丈にできている。──それだけが取り柄だ」
にっと笑って見せれば、大きな手がふいに頭に触れた。
「…リインの取り柄は、それだけじゃないさ…」
「アルジャン?」
眼差しが優しい。そのままそっと頭を撫でると。
「もう寝ろ。ここで見ているから…」
「…ん」
目を閉じても、アルジャンはまだ頭を撫でていてくれた。それが、安心できて。
気が付けば深い眠りに落ちていた。
次の日から、俺はアルジャンと共に、河原に点在する天幕を回り、そこに住まうものたちの健康状態や様子を確認していった。まだ慣れない俺はアルジャンと二人だ。
「あれ? 見たことのない顔だね。新入りかい?」
天幕にいた年かさの女性に声をかけられる。息子は鉱山で働いているため、ここでひとりで暮らしているのだと言う。
アルジャンは肩越しに俺を振り返ると、簡単に紹介した。
「今日からしばらく手伝ってもらう。リインだ」
「よろしく」
「そうかい、そうかい。若い人は頼もしくていいね。よろしくね。──ああ、せっかくだからこれをあげようね」
そう言って、手元にあった籠から細い紐状の物を取り出す。それはキナリの糸に藍色と深い紫の糸が編み込まれた手首に巻く腕輪だった。
「やあ、綺麗だ。これを俺に?」
「今、作り終わったばかりの出来たてだ。丁度、その紅い髪に似合うよ」
「ありがとう…」
受け取ったそれは、まだ固く真新しい。
「彼女はこの辺りでは一番、腕がいい。良かったな」
アルジャンがそう口にして、手の中のそれを見下ろしてくる。
「うん…」
「付けてやろう。──ほら」
アルジャンは俺の手から腕輪を受け取ると、左手首にくるりと巻いてくれた。最後にきゅっと紐同士を縛ると、くるりと手首の周りで回った。なんだか、誇らしい気持ちになる。
「これで、俺たちの仲間だな」
「おう!」
俺は左手首を陽にかざした。
男たちが鉱山に出ている間、女子供、老人のみがこの河原で暮らしている。
暮らしぶりは正直豊かではない。鉱山での賃金は安く一年暮らせるほどもない。残された家族で働き口を探すが、病のせいで忌み嫌われ職は限られる。ようやく職を見つけても、単純な仕事にしかありつけず、賃金は僅か。
畑もろくになく、河原に作ったとしても、大雨が来ればすぐに流されてしまう。それでも、細々と育て、それで飢えをしのいでいた。
しかし、最近このアルジャンの提案で、工芸品を作って売る術を身に付けたのだと言う。シルバが編んでいた物や、今、もらった腕輪がそれだ。
おかげでわずかばかりではあっても、安定した収入を得られる。それで、日々を食いつないでいるのだ。彼らは器用で、細かい細工物もお手の物だった。
「大した金にはならないが、何もしないよりはましだろう?」
アルジャンは次の場所へ案内しながらそう口にした。俺は何度も左手首をかざしながら。
「大したことだよ。アルジャンは凄いな。彼らが器用だと見抜いていたのか?」
「彼らに聞いたんだ。昔話をな。──彼らはもともと、鉱山のあった付近の村で生活していた民族だ。そこでも、工芸品をつくっていたらしい。小物ばかりでなく、絨毯や織物、小箱や箪笥の細工もしていたとか。──だから、きっとできると踏んだんだ」
「正解だな? いつか、もっとちゃんとした場所で安定した暮らしができるといいが…」
「前に住んでいた地域は、すっかり鉱山に潰された。今は掘り出された土砂の集積場だ。皆、嘆いているが、元にはもどらない…。確かにどこか広い土地があればいいが…」
アルジャンは僅かに手首に巻いた包帯をめくると。
「──この病だ。みな、倦厭して、そうそう村や街に住まわせてはもらえない」
赤くただれた皮膚が見えた。かなり痛そうだ。アルジャンはそれを元に戻すと。
「それは──治らないものなのか? 何か効く薬は?」
「そうだな…。対処療法しか今のところはない。ただ、鉱山を離れると、症状が落ち着く。やはり、鉱山から身体に作用する有害なものが出ているとしか思えないな」
「鉱山から、か…。そこで採れる鉱石はいったいなんだ?」
「オリクト。希少な鉱物だ。高価な鉄器に使われる…」
「それ、ウイラでも採れるものと、一緒だ…」
俺がまだ生まれる前、今の王カシムが若い頃、山奥からオリクトが見つかったのだ。それは偶然で。そのおかげで随分アウラは潤った。
もちろん、それをねらう隣国の脅威にもさらされたが、ファジルの皇帝となったマシュリクのおかげもあって、それは奪われることなく、小国アウラを潤す糧となっている。
「そうだ。しかし、ウイラでこの病がはやったと聞いた試しがない。リインはウイラ出身なんだろう? 実際はどうなんだ?」
「聞いたことも、見たこともないな…」
「なぜ、ウイラでは出ないんだろうな…。わからない…。──リインはウイラの鉱山に行ったことは?」
「…ある。一緒に働いたことも。──けど、俺にも、皆にも何も出ていない…」
自身の手の平を見つめた。そこには何の病の気配はない。鉱山で働く者も、誰一人、病んだ者はいなかった。
「アルジャン──。折を見て、俺をその鉱山に連れて行ってはくれないか? 一度、見てみたい…」
しかし、アルジャンは眼差しを強くすると。
「それはだめだ。あんたにも病がうつる…」
「長期間、滞在するわけじゃない。とにかく、一度見てみたいんだ。アウラと何が違うかわかるかもしれない…」
するとアルジャンは深いため息をつき。
「…遠ざけたいのに…」
「アルジャン?」
「──いや、わかった。直ぐにとはいかないが…。連れて行こう。だが、滞在は一時間以内。入るときは俺と一緒に。それと、立て続けにはだめだ。また訪れたいなら、数日置いてからだ。それを受け入れられるなら…」
「わかった、そうしよう。──すまないな。アルジャン。心配してくれているのに…」
「いいんだ。──だが、さっきのことは絶対に守ってくれ。でないと、次はない」
「おう。わかった」
それで決まりだった。




