13.訪問者
次の日、朝早くから何度もあずきを湯でこぼし、アクを抜き、ようやく最終段階の作業に取り掛かっていた。
今は竈にかけたあずきとにらめっこをしている。くつくつとする程度に押さえながら、あずきの煮あがりを待った。砂糖はすでに加えた後で、焦げないように丁寧にかき混ぜて。
──あと少し、だな。
ぽってりとしてくればもう出来上がり。すでに餅はついてある。もち米を炊いて半殺しにしたものだ。
もち米は、以前にすっかり古米となって黄ばんだそれを、アトフに持ってきてもらったもので。それを餡で包むのだ。ついでにもらってあった荏胡麻も擦って砂糖と塩少々を加え用意してある。
──ぼた餅と、荏胡麻餅。ぜったい上手いって。
垂涎ものだ。
お前はそこでいったい、何をしているのだと父カシムから叱られそうだが、他にやることが無いのだから仕方ない。
この後宮は高い塀に囲われていて、監視の目も厳しい。外へ行くには許可が必要で、それもおいそれと下りないのだとか。気軽に城下へ遊びに行くこともできないのだ。
そのため、ウイラの頃のように村人に混じって畑仕事や狩り、漁などできるはずもなく。
この国の歴史や文化を知る為、書物も読んだが、それを生かす場もない。せめて身近にいる者を喜ばせようとせっせと餡を作っているのだ。
──あっとすっこし、あっとすっこし。
音符を乗せながら、餡をまぜていれば。
餡とは違う、ふわりと品のいい香の薫りが漂ってきた。
──これは──。
いつか、嗅いだことがある香りだ。それも、そんな昔の話ではない。ふと手をとめて、記憶の糸を手繰れば──。
「──精がでるな」
ふいに背後から声をかけられ、手にしていた杓子を取り落とすほど、飛び上がった。
この声には聞き覚えがある。
だが、まさかここで聞こえるはずがない。きっと聞き間違いだと思いながら、振り返ろうとすれば──。
「ほら、鍋を見ていないと焦げるぞ」
「あ? ああっ、それはまずい!」
慌てて背後に向けかけた視線を鍋に戻し、止まっていた手を動かす。
──大丈夫。ほんの僅かだ。焦げてはいない。
とにかく、背後に現れた人物をなるべく頭の隅においやって、鍋の中身に集中した。が、背後に立った人物は自身の存在を主張する。
「…甘い、いい香りだ…。懐かしいな。──祖母も同じようにそこに立って、よく豆を煮ていた」
「こ、皇太后が?」
「そうだ。餡を作って、ぼた餅を食べさせてくれた。他にも芋やカボチャを甘く煮てな…。それが楽しみで毎日通っていたくらいだ」
そうして、傍らまで来て鍋をのぞきこむと。
「──祖母と同じ香りがする…」
餡は完成した。銀の髪が視界をかすめる。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
──なんてこった。
俺は冷静さを装い、出来上がった鍋を火から下ろし、隣の調理台へと置くと背後を振り返った。
「少し冷ましてから餡でもちを包みます。出来上がったらお食べになりますか? ──アルーン皇子…」
「ああ、もちろん。──リイン」
初めて名前を呼ばれた気がする。親し気な呼び声にぽかんとしてしまった。
──リイン。確かにそう呼んだぞ?
ここにルンがいたら、卒倒するだろう。そう思っていれば。
「ぎゃっ!」
そう声が上がった。見れば戸口に立ったルンが卒倒しかけている。俺は慌てて駆け寄って、その二の腕を掴むと。
「大丈夫か? ルン」
「だ、だだだだっ…て…っ」
涙目だ。ひしと俺の腕を掴み、なにかを訴えてくる。
──そうだろうとも。
ルンの言いたいことは十分理解していた。今までの状況ではありえないのだから。それを見たアルーンは腕を組み微笑むと。
「おまえの従者はかわっているな? …確か腹違いの弟と聞いているが」
「そうです…。母親が違うのです。ルンの母は下町の商人の娘で。俺の従者となっていますが、ルンもれっきとしたサナン家の一員なのです。器量もいいですし、しっかりものです。妃にもいいと思ったくらいで──」
つい、推してしまえば、ルンが眦を吊り上げ、怒りの表情を見せていた。何を言うのだと訴えているのだ。
正直、ルンの方がアルーンの傍らに立つのに似合っている。しかし、アルーンは気にとめるでもなく。
「そうか、それは良かったな。──それで、その餅を作るのを手伝っても?」
あっさり流して次の話題に移る。
「…皇子が、──ですか?」
「祖母もよく手伝わせてくれた。──だめか?」
アルーン皇子が餅づくり…。なにか絵的にかなり違和感があると思うのだが。
「だめとか、そんなことはないのですが──。や、では、一緒に作りましょう!」
もう、どうにでもなれ! だ。
「ルン。中央の調理台に皿を並べてくれ。そこにできたのを置くから。皇子は手を洗って準備を──」
「その、皇子はやめてくれ。敬称もいらない。アルーンと呼び捨てでかまわない」
「──けれど」
「なら、俺と二人でいる時は──だ。それなら、誰も気にはとめない」
「…わかりました」
するとアルーンは手を洗いながら、
「その敬語もだ。──リイン、おまえとは対等でいたい…」
「…でも、どうしてですか? そんな──急に…」
突然現れ、気安い仲でいたいと言う。理由が分からない俺は戸惑った。しかしアルーンは。
「おまえは俺の妃だろう? 対等なのは当たり前だ。それに──急ということもない…」
「それは…?」
「以前に会っている」
「以前? それは──」
「覚えてはいないだろうが…。昔、私は父に連れられウイラを訪れたことがある」
「……」
──いや。俺は覚えているぞ。
すぐにピンときた。けれど、あの時のアルーンは、出会ったのが俺だと認識していなかったはず。村人と勘違いしていたのだから。
「十八才の時だ。父について初めてウイラを訪れたんだ。到着すると、すぐ釣りに出て…。父の邪魔をしたくなかったし、釣りにも興味がなかった。それで、付近の小川を散歩したんだ。──そこでとある村人に会った」
「村人…」
「そうだ。──紅い髪をした少年が、岩の上で笛を吹いていたんだ」
「──それは…」
すると、アルーンの目に悪戯っぽい光が浮かぶ。
「俺の問いに気まずそうな顔をしながら、吹いていた曲について教えてくれ、曲も披露してくれた。──あとで父に尋ねると、紅い髪は王族にしか現れないと教えられてな。──それは、ウイラの長子、リインだろうと…」
「覚えていたのか…」
「当たり前だ。──見た時、精霊かと思ったくらいだったからな?」
「精霊?」
それは、アルーンの方だろう。風に揺れる銀糸は周囲の緑に溶け込み、まるで精霊がそこに現れたように見えたものだ。
あの時の衝撃は今でも覚えている。ようやく、自分にも神子の力が発現したのだと思ったからだ。──そんな筈なかったのだが。
アルーンは横に並ぶと、視線を落とし。
「謁見した際、済まないことを口にした…。──『力なし』だと…」
俺はピクリと肩を揺らし、アルーンを見返す。
「……」
「あれは──不用意な言葉だった…」
アルーンは心底済まなそうな顔になって。
「今更だが、言い訳をさせてくれ。──あれは、力がないことをバカにしたのではなく、力がないことで苦労したのだろうと、言いたかったんだ…」
「──」
「…だが、あとで聞こえていたイサクに、言い様を窘められてな。そうは聞こえなかったと…。──力がないおかげで、顔もろくに知らない男の元へ嫁がされた。…嫌だっただろう?」
そう言って、苦笑してみせる。
アルーンの言葉に、なにも継げなくなった。ただ目を瞠る様にして、その顔を見つめ返す。
アルーンは知っていたのだ。自分の置かれた立場を。もちろん、全てではないにしろ、想像する範囲で理解し、同情を示してくれたのだ。
嬉しさがこみ上げてくる。
「…父に、自分の将来を告げられた時、正直、目の前が真っ暗になった。それまで自由に生きてきたから…。──けれど、今、あなたの話を聞いて、安心した。俺はこれで良かったんだと…」
まっすぐアルーンを見つめた。銀の瞳が細められる。
「…そうか。それなら良かった」
それまであった、目に見えない壁のようなものが、そこで溶けた気がした。
と、そこへふわりと、もち米の香りが漂ってきた。ついて置いておいた餅の香りだ。
「おっと、ぼんやりしてると冷めきってしまうな。──じゃあ、ルン。さっそく餅をまるめてくれるか? 俺がお手本を見せるから」
「はい…」
ルンはツンと澄まし、どこか余所行きの顔になって、しゃなりと俺の傍らに立つ。
──へんな奴だな。
しかし、俺の反対側に立った人物に、それも仕方のないことだと理解した。
皇子は皇帝の次に偉いのだ。下位の立場のものは、直視してはならないと教えられている。それが傍らに気安く立っているのだから、そうもなるだろう。
「さて、どうかな──」
おもむろに鍋の木蓋を取ると、もわっといい香りの白い湯気が立った。湯気が消えると、ほかほかの半づきの餅が現れる。
「わぁ」
「…おいしそうだ」
ルンが感嘆の声を上げた。アルーンも続く。確かに、餅だけでも十分おいしそうだ。
「──よし。じゃあ作ろうか」
用意してあった桶に手を突っ込み濡らすと、まだ熱い餅をひと口分、シャモジですくい上げ、手のひらに乗せる。
「──これくらいをとって、これくらいに握る…。あまり大きくするな? 餡で包むと大きくなるからな? ──で、それを皿順に並べてくれ」
出来上がった一個目の餅を、大皿の隅っこに置いた。小ぶりなそれは、ツヤツヤとしていかにも美味そうだ。
「はい…」
澄ましたルンは、いつもよりもったいぶった手つきでシャモジを握ると、すくった餅を濡らした手に取り、ちょうどいい小ぶりな大きさに握る。
いつもなら熱いのも構わず、がばっと手を突っ込み、ぱっぱと握る癖に。いつまで、この猫をかぶるつもりだろうか。
それを見てから、俺は用意してあった、水につけて固く絞ったふきんを手に取ると。
「アルーンには、餡子で餅を包んでもらう。──これは、ぼた餅のきもだ。まず、この濡れたふきんに餡をこれくらいとって伸ばして──」
俺はふきんの上に、適量の餡をしゃもじですくい取って、そのまま挟んで伸ばす。そこへ先ほど握った餅を乗せると、ふきんでくるりと包み込んだ。
そうして広げて見せれば、小豆の粒がツヤツヤと光る深い紫色をした、ぽってりとしたぼた餅が出来上がっていた。
「──これは。見事な仕上がりだ」
アルーンが目を瞠る。俺は得意げにそれを見やりながら。
「上出来だろう? 濡れたふきんで包めばくっつかないで済む。──さて、試しにやってみようか」
「わかった…」
アルーンは俺の指示通り、濡れたふきんを手に取り広げると、そこへ適量の餡をすくって乗せる。
やや手つきは固いが、それでも器用にそれを広げ、俺がひょいと餅を乗せると、綺麗にふきんで包み込んだ。それを広げれば──。
「わぁ。とてもお上手です…」
ルンが声を上げた。確かに美味しそうなぼた餅が出来上がっている。
「さすが、昔手伝っただけある。じゃあその調子でどんどん作ろう」
「わかった」
そうして、ルンと俺、アルーンと言う、なんとも不思議な組み合わせで、なぜか台所にたち、ぼた餅を延々と作った。
その後、荏胡麻餅に移り。最終的に大皿ふたつ、大きく盛られたぼた餅と荏胡麻餅が出来上がった。
「…いい匂い」
ルンが鼻をひくつかせる。
「さあ、みんな手を洗って。先にご相伴にあずかろう」
皿を取り出し、それぞれ一つずつのせ、まずはアルーンに渡す。その間に、ルンはお茶を淹れに立った。
それぞれ持って日の差す縁側に座る。アルーンは俺の隣に座った。朝食と昼食の間、丁度、おやつにいい時間だった。ルンが皆にお茶を配る。皿に盛られたぼた餅に、アルーンは箸を入れる。それからひとくち頬張って。
「──ああ、これは祖母の味だ…。同じ味がする…」
頬を綻ばせる。
「そうか? 良かった…。いっぱい作ったから、沢山食べてくれ」
「いただこう」
そうしてお茶をすすりながら、アルーンとルン、俺の三人で日の当たる庭を眺めつつ、食べていると。アルーンがおもむろに尋ねてきた。
「──ここでの暮らしはどうだ? なにか不都合はないか?」
と、その言葉にルンが素早く反応を示し、口を開こうとしたが、俺はそれを制して。
「──いや。なにも。ここでの暮らしは快適だし、なにも不都合を感じたことはないな」
アルーンはその言葉にしばし沈黙したが。
「──そうか。ならいいが…」
ここでアルーンに訴えたところで、それは一時的なものに終わるだろう。下々の者に対しても、もっと豊かになる様にするためには、それではダメなのだ。
また、キヤーナの態度を訴えても、これも、アルーンを困らすだけで。どういう考えをもつにしろ、アルーンは今、すべてをキヤーナに任せているのだ。それを横から口を出すわけにはいかない。
いくら不便を感じていても、今しばらくは、様子を見るのが先だと思った。軽率な行動は控えねばならない。
ルンがどこかぷりぷりしながら、お茶の葉を取り換えに席を立った。
雀が地面の虫をつついている。アルーンはそんな庭を眺めながら
「…今はまだ言えぬが、色々動いてはいる…。今しばらく辛抱してくれ」
「わかった。──というか、俺は本当にひとつも辛抱はしていないんだけどな」
ここでの生活は快適そのものだ。そう言って笑えば、アルーンも破顔し。
「…そうか」
そうして、また二人並んで餅を食った。
しばらくして、庭にイサクが現れた。
「アルーン様。そろそろ…」
どうやら時間のようだ。
だいたい、忙しい身の上のアルーン皇子がどうしてここで、こんな時間を過ごせたのかが不思議だった。わざわざこのためだけに時間を割いたのだろうか。
「わかった。──では。また来る」
「おう。またな」
気安く手を上げて見せれば、アルーンも笑みを返してくれた。
多くの言葉を交わしたわけではないが、過ごした時間は、穏やかで楽しいものだった。
そんなアルーンらを見送った後。
「…いったい、どうしてアルーン様が?」
ルンが尋ねてくる。
「いや、俺だって知りたいくらいだ。気づいたらいたんだ。──どうやら皇太后さまがここにいらした時も、よく遊びに来ていたようでな。懐かしかったんだろう…」
俺が遠い目をすれば。
「ふうん。なんだか、色々気にはなるんですけど…。でも! 来ていただいたことには感謝です。──けど、もうちょっとこう、アルーン様に頼ったらどうなんです? 食料のことも扱いのことも訴えれば良かったのに…」
「それはいいんだ。アルーンもきっと分かっている…」
先ほどの会話を思いだす。
アルーンは動いていると言った。何か目的があって、今は様子を見ているのかもしれない。
「そうなんですか?」
疑わしい目を向けてくるが。
「そうなんだ」
アルーンの言葉を信じようと思った。
「──さて。このぼた餅と荏胡麻餅をアトフ達にも分けてやってくれないか。そうっとな? キヤーナの息のかかった連中にみつかると没収されかねない」
「大丈夫です。ぼろぼろの風呂敷に包んでいけば、見向きもしませんから。キヤーナ様の所の侍従は」
「なら安心だ」
ルンは重箱に詰めたそれをさらに古びた木箱につめ、念を押すようにぼろぼろの風呂敷に包むと、それをアトフらに持っていった。
どうみても、美味しいもちが入っている様には見えない。昼ごはんもろくに食べていないはず。少しは腹の足しになるだろう。
──いったい、アルーンはどう動いているんだろうな。
想像した所でわかるものではないが、予想がつくのは、ルンの言っていた宰相とキヤーナに関わることだ。
何やら大ごとになりそうな気配がするが、半ば部外者の俺が出来ることは少ない。できることと言えば、こうして、下のものに差し入れをするくらいだ。
──小さいな、俺。
なんの力もない。神子の力と言い。
俺は自分の手のひらを見つめる。けれど、アルーンはそんな俺の事をわかってくれていた。
──嬉しいな。
素直に思う。
感情の見えないアルーンに、取り付く島もないと思っていたのだが、どうやら、そんな事はなかったらしい。
アルーンとの間に、強い繋がりができた様で嬉しかった。




