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ホワイトピーコック&スパロウ  作者: マン太
第二章 帝都

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9.庵

 井戸は使えた。手押しの取っ手を何度か押し下げると、青銅色の蛇口からどっと水が吹き出す。濁りもない。


 ──水は大丈夫だな。あとは──。


 背後に佇む手つかずの庵を振り返った。とりあえず掃除はひと間だけ。三人いればなんとかなるだろう。

 その後、アトフとルンが持ってきた掃除道具一式で早速掃除を始めた。

 月が中天に差しかかる中、皆で囲炉裏のあるひと間を、はたきをかけ、雑巾で拭き、塵を掃き出す。

 いったい、いつから掃除をしていなかったのか、かなりの汚れだったが、そうは言っても六畳あるかないかの広さ。皆でやれば案外あっという間だった。

 一段落した所で、アトフが控え目に声をかけてくる。


「──あの、夕餉はこちらにお持ちしますか? それとも、よろしければ先ほどの控えの間にご用意いたしますが…。その間に、ここへ寝具の類をお運びいたします」


「はいっ! はい、はい! 夕餉は控えの間にお願いします!」


 ルンが勢いよく手を上げて宣言する。


「しかし──」


 俺が異を唱えようとすれば。


「その方が、準備も片付けも楽ですから。断然、控えの間で!」


 ルンは譲らない。俺はあきらめて肩をすくめると、反論はしなかった。

 ルンの言う通りでもある。わざわざ長い廊下を渡って、また庭へ降りて、この庵に食事を運ぶなど、手間がかかり面倒だ。


「──では、そのように。準備が整い次第、お呼びいたします」


 アトフは微笑むと軽く頭を下げ足早に去って行った。アトフは年若いが、慌てているようでいて、臨機応変に対応してくれる。流石、イサクの部下だ。


「あー、楽しみ! いったいどんなお料理が出るのでしょう!」


 輿入れしたその日の晩餐だ。ファジルではどんな祝の膳が出るのかと、ルンは期待で胸を膨らましている。

 が、そうして半時程して現れたアトフは、ひどく申し訳なさそうな顔をしていたのだった。


「…お食事なのですが、手違いで既にこちらの食事が済んだと思われ、粗方片づけられてしまっており──。申しわけございませんっ!」


 そこへ座ると、土間に額をすり付けて謝る。


「えぇー?!」


 ルンが声を上げた。


「急いでご用意したのですが、私どもと同じ物となってしまい…。イサク様にご相談しようにも、アルーン様のそばに控えているとのことで、すぐには会えず…。大変、申し訳ございません!」


 ルンはあんぐりと口を開けたまま、なにも言葉を発する事ができずにいる。俺は慌てて土間へ降りるとその肩に手を置き、顔を起こさせた。


「──謝る必要はない。手違いなどいくらでもある。食事など腹になにか入ればいいんだ。──ほら、顔を起こして。君らと同じもので充分だ」


「リイン様…。本当に申し訳ございません……」


「気にするな。それと、あとで手紙を書きたいんだ。紙と書くものを用意してくれるか?」


「…はい…。のちほどお持ちいたします…」


 すっかり意気消沈したアトフは、俺とルンを先ほどの控えの間へ案内した。

 夕餉の食卓に乗ったのは、僅かに具の入った汁物の碗とおこげの混じった、殆ど糊状になったおかゆ、大量の茄子の漬け物だった。それでも、アトフが頑張ったのか、量はひとり二人前はある。


「おかわりはございますから、遠慮せずお召し上がり下さい」


 健気に微笑むアトフだが、どこか無理をしている様に思えた。俺はしばしその前で佇み、腕を組むと、


「──アトフ。俺たちはそこまで腹は減っていないんだ。俺の分をルンと分ける。後は下げてくれないか?」


「ですが──」


「アトフ。君の心遣いはとても嬉しいよ。でも、その気持ちだけで充分だ。いいから下げてくれ」


「…はい」


 そうして、しおしおとアトフはひとり分の食事を下げると、後ほど書くものをお持ちしますと言い残し、庵を後にした。

 その背を見送ったあと、ルンは眦を吊り上げ、


「どうして、あんなことを? これだけじゃ、絶対、おなか空きますよ? せっかく用意してくれたのに…」


「これはたぶん、アトフの分だ。もしくは、同僚達のな…」


「ええっ?」


「大きなお屋敷に行くと、下の者ほど食事は後になり、必然的に質も落ちて量も減る。──ウイラでも昔はそうだった…」


「そうなんですか?」


 ああ、とうなずくと。


「…まだ幼い頃、夜の一人寝がさみしくて、乳母に会いにいった事があったんだ。その時、乳母は暗くて寒い台所の隅で黙々と食べてた。──皆が食べ終わって、余った米をお湯で延ばした、ほとんど水みたいな粥をな…。俺の乳母は下っ端で若い方だった」


「…そんな」


「父の代になって見直したんだ。だから、ルンの頃はちゃんと充分、量も質もあったはずだ。俺たちと同じ物を食べてたよ」


「…知りませんでした」


「ま、だからこれもきっと同じだなと。大国と言えど、案外、変わらないのだな?」


 俺は笑って見せるが、ルンは意気消沈している。


「そうですね…」


「──それはそうと、さっき庵の庭でナツメがなってたぞ? 後でいただこう。ほったらかしの庭だ。少しくらいご相伴に預かっても、文句は言わないだろう。あれで結構空腹はしのげるぞ?」


 それを聞いたルンは、よよと顔を覆うと。


「……うう。不憫です…。今ごろ、煌びやかなお部屋で絢爛豪華な食卓について、アルーン皇子と酒を酌み交わしていただろうに…。なのに! 部屋はすすまみれで、食事は延ばされた糊状のおかゆと茄子の漬け物、果ては庭の木の実って! どうしてこんな事に? 皇子はなにも知らないのですか!」


「そう興奮するな。皇子はお忙しい身だ。それどころではないのさ。──それに、食べられるだけマシなんだぞ? この漬け物、美味そうだ。さあ、冷めないうちにありがたくいただこう。アトフ達の気持ちだ」


 そうして、半泣きになるルンと共に、ささやかな夕餉を粛々と済ませたのだった。


 食事が終わると、すっかりしょげかえったアトフが持ってきてくれた紙と筆、墨で早速手紙をしたためる。

 脇にあった文机でサラサラと迷いなく書き付けると、ルンが横から覗き込んできて。


「何をお書きなのですか?」


「ちょっとしたお願いさ。大したことは書いていない──」


「もっと綺麗な部屋と食事を! ──って?」


「ちがう、ちがう。──さて」


 そう言って書いた手紙の墨を吸い取った後、ぱたりとぱたりと折り込み、片付けに訪れたアトフに差し出した。


「──これを、イサクに渡してくれるか?」


「…はい。分かりました」


 やや不安げな顔をしたものの、それを大事そうに懐へしまい、また済まなさそうに眉をハの字にして、


「──その、湯殿なのですが……」


「え! お湯も使えないのですか?」


 先走ったルンが声を荒げるが。


「い、いいえ。使えるのですが、実は湯殿はただいま、アルーン様がお使いでして…。その…」


 言いづらそうにするアトフにピンと来たらしいルンは。


「──まさか、あのキヤーナと?」


 詰め寄るルンにアトフは更に泣きそうな顔になりながら、


「…は、はい。今しばらくお時間がかかるようで…」


「うわー、もー、なんなんですか? 今日はどんな日か分かっているので? リイン様の輿入れの日ですよ! ファジルではこれが普通なのですか?」


「も、申し訳ございませんっ!」


 怒り出すルンに、平身低頭するアトフ。

 もう喜劇の様だ。俺は二人の間に立って、それぞれの背をなだめるように、ぽんぽんと叩くと。


「ルンそれくらいにしておけ。アトフに怒っても仕方ない。彼が悪いわけではないんだ。──アトフも必要以上に自分を責めるな。今日はそういう日だったんだ」


「わかってます! わかってますけど! 幾らなんでも酷すぎますぅ!」


「お、お湯は、私どもが使っている湯殿があります! そちらをお使いいただければ…」


 ルンは嘆き、アトフは必死に言い募る。


「──けど、俺たちが使えば、その間、皆は待つことになるだろう? どうせなら、一緒に入ってしまえばいい」


「そ、それはっ、流石に──」


 アトフは狼狽えた。ルンが今度は顔を真っ赤にして怒り出す。


「そうですよ! ここはウイラとは違うって言ったじゃないですか!」


「ウイラでは、王家の方々一緒に入るのですか?」


 アトフは目を丸くするが。ルンは手ぶり身ぶりで精一杯否定する。


「違うんです。この方だけがおかしいんですぅ! 普通は一緒になんて、入りません! この人、平気で身分の下のものと一緒に入るんですっ。私どもとも入りますし、村人等とも公衆浴場で一緒に入るんですから!」


「村人とも…」


 アトフの目は真ん丸だ。


「まあ、俺が気にしないんだからいいじゃないか。皆にはルンの配下だとでも言えばいい。──そう言う事で」


「そういうことじゃありませんっ!」


「ああ、別に致しますので──」


 オイオイ泣き出すルンに、アトフもアタフタし出すが、


「アトフ、気にするな。ルンはいろいろあって不安定になっているんだ。お湯は遠慮なく使わせてもらうよ。アトフたちはいつも通り使ってくれ」


「は、はい…。分かりました…」


「すまないな。アトフ」


「いえ。──それでは、私どもが使う湯殿は、ルン様がご存じですので、ご案内はお任せ致します。こちらに入浴に必要なものは揃えてございます。あちらの宮に就寝の準備も整えさせていただきました」


「ありがとう。アトフ」


「いいえ…。ルン様は私とこちらで同室となります。後ほど、お迎えに上がりますので…」


 アトフは恐縮しながら、手紙を携え退がっていった。


「……私、この事は一生、忘れませんから」


 ぐすっと鼻を鳴らし、ルンは悔しそうに床を睨みつけていた。


 その後、ルンをなだめすかし、湯殿へ向かった。脱衣所には使った形跡があったが、人気はない。


「きっとアトフが気を使ったんだな」


「…使用人が使った後なんて…」


「入れるだけましだ。ほら、さっさと入ろう」


 ルンを急かして、手ぬぐいを手に浴場に入った。モワモワと白い湯気が立ち、ヒノキのいい香りがする。

 四、五人も入ればいっぱいだろう湯船には、満々とお湯が湛えられていた。きっとアトフが手を回したのだろう。普通なら、汚れてお湯も減っているはずだ。


「さ。背中を流してやる。ルンと入るのは久しぶりだな? …ちょっと太ったか?」


「っ、太ってなんか、いませんっ」


 ずっと機嫌が治らないルンをからかいながら湯を済ませた。




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