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書簡六

――某月某日


拝啓


近ごろは、石について書くたび、筆が以前よりも重く感じられます。

奇譚を書き連ねているつもりはなく、ただ、起こったことを順に記しているだけなのですが、それでも、言葉が追いつかぬ感覚が拭えません。


これまで私は、石がどう動くか、あるいは、どのように移動するかを考えてきました。

しかし、今は少し、考える向きが変わってきております。


どうやら問題は、石の側だけにあるのではない。

そう思わざるを得なくなってきたのです。


観測するという行為――

すなわち、確かめようとし、数え、記し、位置を定めるということ。


この一連の行いが、原因と結果の鎖の、どこに置かれるべきなのか。

その点が、どうにも曖昧になってきました。


通常、私がここに在ることと、そこに石が在ることとの間に、因果は無いと考えるのが自然です。

私が居ようが居まいが、石は石であり、その性が変わるはずはない。


それでも――

石が動くか否かが、私が確かめようとした、その折に限って、数として現れるのであれば、そこには、私の行いが何らかの形で関わっているのではないか、という疑いが生じます。


これは、突飛なことを言っているつもりはありません。

ただ、原因と結果を結ぶ線が、私の考えていたよりも、ずっと手前に引かれているのではないか、そう感じているだけです。


ふと、かつて読んだ西洋の書に、自分はなぜここにあるのかと考える事自体が、自分の存在証明であると書かれていたことを思い出しました。


思う我の確かさゆえ、私がここに在ることについて、疑いようがないことですが、この言葉は、思われぬものについては、何も語りません。


石が、見られていない時にいかに在るのか、その問いには、沈黙したままです。


私は、これまで頼ってきた言葉や枠組みが、この現象を前にして、ことごとく足りなくなっている、その事実に戸惑っています。


馬鹿な考えだと、あなたは思うかもしれません。

私自身、そうであってほしいと願っています。


けれども、もし私たちが、世界のあり方について、根本的なところで問いの立て方を誤っていたとしたら。


原因と結果を結ぶ向きや、確かさの置き所を、最初から取り違えていたとしたら。


この石は、その誤りを示しているのではなく、ただ、その誤りの前ではうまく書き表せないものとして、そこに在るだけなのかもしれません。


私はまだ、この考えを受け入れることができません。

自分の行いが、石の振る舞いに関わるなどということを、どうしても、実務の言葉で説明できないのです。


あなたなら、この違和を、どのように扱うでしょうか。

私は今、一つの考えの前に立ち、それを越えるべきかどうか、立ち尽くしています。


草々不一


敬具

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