書簡四
――某月某日
拝啓
先だっては、私の身を案じる言葉を寄せてくれて、ありがとう。
何より、私の頭そのものを疑うことなく、寝ている間でも石の動きを確かめるにはどうすべきかという、健康を案じる工夫を送ってくれたこと、これほど心強いことはありません。
まことに、良き友を得たものだと思っております。
あなたの勧めに従い、囲炉裏の灰の上に石を置き、もし動けば、その移動の跡が残るであろう、という方法を、さっそく試してみました。
結果は、少々肩透かしと言うほかありません。
石のあった元の位置には、確かに、くっきりとした窪みが残っておりました。
しかし、そこから先へ至る道筋、引きずった跡などは、どこにも見当たらなかったのです。
囲炉裏の置き方や、灰の厚みを変え、幾度か試みましたが、結果は同じでした。
これらの観察を重ねるうち、私は一つの、奇妙な考えに行き当たりました。
石は、確かに位置を変えている。
しかし――
その間に、動いてはいないのではないか。
これは、言葉遊びではありません。
移動と運動を、無理に切り離そうとしているわけでもない。
もし石が動いているのなら、その間に何らかの痕跡が残るはずです。
そう考え、今度は石を墨汁に沈め、そのまま放置してみました。
やはり、位置は変わっておりました。
しかし、その経路に、一滴の墨すら落ちていなかったのです。
場所は異なる。
だが、そこへ至る間が無い。
このようなことが、果たしてあり得るのでしょうか。
いよいよ面妖な事態となってまいりましたが、それでも私は、物事には必ず原因があり、原因があれば、必ず結果があると信じております。
そして、その結び目は、いずれ解きほぐせるものであるはずです。
もし、この件について、何か思い当たることや、試すべき工夫があれば、どうか教えてください。
草々不一
敬具




