4 十八年前の事件
「18年前のあの日は、雪がしんしんと降っていた。
止まることなく空から落ちてくる雪を見ていると、自分が上に登っているような気さえしてくる、そんな雪の日の昼下がりだ。
放牧地で仕事をしていた俺は、川沿いの道を、川下の方からこちらへ登ってくる黒塗りの立派な馬車を見た。
あれは貴族の馬車だと、すぐにわかった。
ここらに貴族様が一体何の用なんだと不思議に思っていると、馬車はぴたりと止まって、中からステッキを持った男が出てきた。
後になってわかったことだが、その男がエルマン男爵だ。
エルマン男爵は川の向こう側を見ていた。
馬車の音が止まって、そのとき初めて俺は歌声に気づいた。
女の声だった。
女の歌声は川の方から聞こえてくるんだ。
俺がいた場所は川沿いの道からはずいぶん離れていたし、雪が降るせいで視界が悪くてはっきりは見えなかったが、対岸には背の低い人影があった。
あれはきっと人魚の影だったんだ。
エルマン男爵は、歌声に誘われるように川に近づいていった。
雪のひどい日だからな、普段は浅いフルス川でも、水嵩は増して流れも早くなっているはずだ。飛び込むのは危険だ。
けれどもエルマン男爵は馭者が慌てて止めるのも聞かないで、川に向かって進んでいった。
ついには馭者を振り払い、エルマン男爵は川に足を踏み入れた。
そうして流れに足を取られ、男爵は川に飲み込まれてしまったんだ。」
メグの父親は、18年前の事件をそう語った。
もし人魚の存在を否定しようとするならば、この怪談を解体しなければならない。
「雪の日の川は危険ですからねぇ、足を取られて溺れてしまうのは不思議じゃない。でも、男爵が何で川に入ったかが謎ですねぇ。」
マイケルはそう言って頭を悩ませた。
エルマン男爵を川へ落とした人物がいたなら、他殺といえるだろう。
男爵が自ら近づいたように見せかけて川へ突き落とすことなど可能なのだろうか。
私が「誰かがエルマン男爵の背中を押した、ということはなかったんですよね。」と問えば、メグの父は「当然だ。」という。
「馭者が彼を止めようとした、と言ってましたが、実際には馭者は止めようとしたのではなくエルマン男爵を川へ落とそうとしていた、ということはないですか。」
「あり得ないね。」
メグの父は私の考えを強く否定する。
「馭者はエルマン男爵の肩を片手で掴んでいた。けど、男爵はそれを振り払った。
エルマン男爵が川へ入ったのはその後だ。
間違いなく、男爵は自分で川へ向かったんだ。」
馭者を振り払ってなお川へと近づき、川へ落ちた、ということか。
そうなれば馭者は無実だ。
「では、犯人は輪っかにしたロープをエルマン男爵の足にかけて対岸から引いた、というのはどうでしょう?」
しかしこれも否定された。
「あのとき警察も他殺の線も調べてたけどな、男爵の体にはロープで縛られた跡なんか残ってなかったって話だぞ。」
マイケルは「まいったなぁ、こりゃ難題ですね。」と眉を下げた。
私たちが頭を悩ませる中、カメリアは冷静な表情を崩さないままだ。
「エルマン男爵は自ら川に入ったのは確かなのですわね。」
「あぁ、そうだ。」
「エルマン男爵は対岸から聞こえてくる歌声に誘われていた。
ですからきっと仕掛けは歌声にあるのですわ。」
川床へと誘う人魚の歌声。
その歌声に、カメリアはどんな推理をしたのだろうか。




