1 人魚の住む川
「カメリア様は、人魚っていると思いますか?」
雑誌記者の青年、マイケルはカメリアにそう尋ねた。
シュテルンべルク公爵邸の応接室に置かれた柔らかな高級ソファに緊張することなく座る彼は、カメリアの従者である私に「ヒルダさん、紅茶おかわりいただけますか?」と聞いた。
やや厚かましい態度だが、腹立たしいとはまるで感じさせないのはマイケルの愛想の良さがなせる技だ。
「人魚といいますと、魚のひれを持つ海のお姫様でしょうか。」
小首を傾げるカメリアに、マイケルは「あぁ、それとは違いますよ。」とひらひら手を振る。
「それはおとぎ話の人魚でしょ。
おれが言うのは、怪物のほうの人魚です。」
「歌声で船乗りを惑わせる人魚のお話なら聞いたことがございますわ。」
「それです、それ。」とはしゃぐマイケルに見かねた私は「まったく、その話と貴方の仕事にはなんの関係があるのですか。」と口を挟んだ。
「貴方は雑誌の取材のため、カメリア様に事件の話を聞きに来たのではなかったのですか。
雑談のためにカメリア様に時間を取らせないでください。」
しかし当のカメリアはくすくすと楽しそうに笑うのだった。
公爵令嬢、カメリア・フォン・シュテルンベルク。
かつて第二王子の婚約者だった彼女は突如窮地に立たされた。突然の婚約破棄の理由は、彼女に殺人の容疑がかけられたことだった。
カメリアは鮮やかな推理を披露し冤罪を晴らしたが、その殺人事件は彼女の心に傷を残した。
だからこそカメリアは探偵になることを決意したのだ。
難事件を解決する探偵カメリアの話は王国で暮らす人々の話題にのぼるようになった。
王国で広く読まれる雑誌の記者であるマイケルも、カメリアが解決した事件を記事にするために屋敷を訪れたのだ。決して魚の化け物の話をするためにわざわざ来たわけではないだろう。
しかしマイケルは「やだなぁヒルダさん、これも仕事の話ですよ。」と笑う。
「今起こっている事件には、人魚が関わっているんですからね。」
「それはどんな事件なんですの。」
カメリアが興味を示すと、マイケルは嬉々として語り出す。
「王都から北へ行ったところの山間部にフルス川という川が流れてます。
その川沿いの集落では、フルス川には人魚が住んでるって噂があるんです。」
「人魚は普通、海にいるものでしょう。」
私の言葉にカメリアも「海に近く船が多く通る大きな運河ならわかりますが、山間部の小川は人魚に似つかわしくありませんわね。」と同意する。
マイケルは「そこがフルス川の人魚が普通の人魚と違うところなんですよ。」と身を乗り出す。
「よくある人魚の話は、船を難破させて船員を海に引き摺り込むってやつでしょ。
ところがフルス川は大型船が通れような大きな川じゃありませんからね、人魚が襲うのは川に近づいた人間なんですよ。
人魚の歌を聞いた人間は、川に飛び込んで自殺してしまうって言われてるんです。
昔、男に捨てられてフルス川へ身投げした女がいて、その女が人魚になって川に近づく男たちを歌で水中に誘い込んでるって話なんです。」
「はぁ、その怪談が事件なのですか。
今日日そんな迷信を信じるものも少ないでしょう。」
私は思わず呆れた声を出してまった。
科学の発展は目覚ましく、王国でも電話が普及し始めた今日この頃、そんな前時代的な怪談が雑誌に載ったところで真にうける者もいないのではないか。
けれどもマイケルは「ヒルダさん、これがただの怪談じゃないんです。」と声を大きくする。
「本当にフルス川で入水した人間がいるんですよ。
18年前、フルス川でエルマン男爵という方が亡くなりました。
エルマン男爵が川沿いを通ったとき、どこからか女性の歌声が聞こえていたとか。
男爵は歌声を聞くと、誘われるように水に近づいていった。
彼の従者の制止も聞かず、エルマン男爵は川に飛び込んでしまったと言われています。」
マイケルは「それだけじゃないんです。」と続ける。
「最近になって、また人がフルス川に飛び込む事件が起こったんです。
それも、この1カ月の間に3人も。」
「1カ月の間に3人もの方が?」
「最初の男は親切な近辺の人のおかげでなんとか一命を取り留めたそうですが、あとの2人の男は助からなかった。
夜の間に飛び込んで、早朝に見つかった時にはもう死体になってた。
不思議なことに、3人とも大きな問題を抱えていたでもなく、自殺するような理由はなかったと言われてるんです。」
「事故ということは考えられないのですか。」とカメリアが問うと、「その可能性は低いです。」とマイケルは答える。
「フルス川は浅い川で流れも緩やかなんです。
水は怖いですからね、全く危険がないとはいえませんが、事故が起こりやすい場所ではない。
そもそもこの寒い季節に真夜中に川遊びしようなんて考えるものもいないでしょ。
不注意で溺れたとは考えにくいんです。
だから周辺の人々は川を恐れているんです。
次に飛び込んで死体になるのは自分かもしれない、と。」
近づく人を自殺させる川。
そこには彼らを引き摺り込む人魚が住んでいるのか。
「私は人魚などいないと思いますわ。」
「では、カメリア様は自殺だと思うのですか。」
マイケルの問いにカメリアは首を振る。
「彼らが自殺でも事故でもないなら、これは殺人事件に他なりませんわ。
そうであれば、人智を超えた怪物の仕業などではありません。
罪を犯した人間がいるはずです。」
マイケルは「カメリア様はそう言ってくれると思いましたよ。」と嬉しそうに笑う。
「カメリア様、フルス川へ事件を調査しに行きませんか。」
カメリアは「ええ、よろこんで。」とマイケルの誘いを承諾する。
「私が人魚の呪いを解いてご覧にいれますわ。」




