銃声と鈴の音
午後五時、戸川市の夕暮れは赤く染まり、空に浮かぶ禍々しい渦がゆっくりと回転していた。異界との連結が始まってから七十五年。世界はもはや「科学」だけでは説明がつかない場所になった。
校舎裏の射撃訓練場で、間宮夏鈴は汗まみれの制服を肩から脱ぎ、手慣れた様子でM4カービンを分解・清掃していた。周囲には他の自警部のメンバー──2年の部長・木村司、霊感持ちの占術担当・真鍋悠里──が緊急警報を前に装備を確認している。
「カリン、弾倉の装填確認終わったか?」
「とっくに。あたしの子はいつでも喧嘩できるわよ」
にやりと笑ってM4を肩に担ぐ夏鈴。ボーイッシュな口調がクラスの男子に陰口を叩かせるが、その口は誰も現場では利かせなかった。去年の「水無月獣災」の際、避難誘導に失敗しかけた1年生を盾になって守った話はいまや語り草だ。
そこへ、学校備え付けの式神報が甲高く鳴き叫ぶ。
「異界流出警報。戸川第三区、神社前交差点。大型存在、分類:『忌獣』。避難誘導を開始せよ」
「出番だね」
木村が眼鏡を押し上げる。その隣で悠里は呪符を何枚も繰り、夏鈴はマガジンを装填する。
「よし、行こう。民間人を守るのはあたしら自警部の仕事だ」
戸川高校の鉄製の門が開き、三人は夕焼けの街へ駆け出した。
夕焼けが赤く街を染める。戸川市神社前の交差点はすでに封鎖され、沈黙が支配していた。
夏鈴たち三人が駆けつけたとき、鳥居の前にそれはいた。
――漆黒の体を持つ、獅子のような獣。
毛並みは夜のように艶やかで、目は溶けた鉄のような鈍い光を放っていた。背丈は成人男性の倍以上。このサイズの忌獣が都心部に現れることは極めて稀だった。
「……でかい」
木村が低くつぶやいた。
通常、忌獣は人の“気”に影響される。人口が密集すればするほど、その精神的密度によって怪物は形を保てなくなり、縮小する。それゆえに危険な忌獣は離島や山間部、都市の縁で出現するのが通例だった。
だが、今は違う。
獣の体には、無数の白い紙が張りついていた。風もないのにひらりひらりと舞い、重さなど感じさせないそれらは、動きを封じるための「形代」――神職による呪具だ。
「援護してくれてたんだな……助かる」
参道の石段。その中腹に、白装束の神職と、M16系列のライフルを抱えた二人の護衛が立っていた。神の御業と現代兵器の融合。それはこの世界では、もはや当たり前の光景だった。
夏鈴はM4を構え、頷いた。
「全員でいくよ。二マグジン。連続射撃で仕留める」
「了解」
「祝詞、簡単にでも唱えておくね」
悠里が小声で祈詞を唱え始めた。神官の支援を受けることで、銃弾に加護が宿る。オカルトも今では実用の一端だ。
夏鈴が引き金を引いた。
爆ぜる銃声が神社の静寂を切り裂く。4人の射手が一斉に火を吹いた。M4、M16、そして形代の束縛。獣が咆哮を上げて暴れようとするが、すでに四肢の筋肉は断裂し、肺を貫かれていた。
合計240発。弾倉を撃ち尽くした頃には、獣は地に伏していた。
「……動かない」
「沈黙確認」
木村が銃口を下ろし、夏鈴も深く息を吐いた。
遺体の始末と記録は警察の管轄だ。夏鈴は無線を取り、現場情報と終了報告を送信した。
「こちら戸川高校自警部、間宮夏鈴。忌獣は無力化完了。警察部隊の到着を待ちます。繰り返します……」
通信を終え、三人はようやく腰を下ろす。
薄暮の空の下、鳥居の奥から夜風が吹き抜け、異界の残り香を運んでくる。獣の死体は黒い液体を流しながら、まるで影のように崩れていった。
「やれやれ……晩飯、冷めちゃったな」
木村の冗談に、夏鈴はうっすら笑った。
日常と異常が交差する街。ここが、彼女たちの“戦場”だ。