甘味に弱い吸血鬼①
なぜ、俺はまたここへ来てしまったのだろう。
明けがたの暁月がまだ名残惜しそうにしていた頃、俺は目が覚めてしまいベッドに転がっていた。
目が完全に覚醒してしまい、眠れる気がしない。仕方なく天井の木目を数えることにした。
あのあとグランに、数日の休暇を言い渡されてしまったのである。
突然降って湧いた休暇に戸惑いを隠せない。なにせ休暇などという概念を持ち合わせていなかったのだ。俺が餓鬼狩り協会に所属することになってから早8年、これまで休まず働いてきた。
それが当たり前だと思っていたし、俺の日常にもなっていた。
しばらく、そうして過ごし天井も見飽きた頃、俺は観念してキッチンへと向かった。
両隣で眠る弟妹達を起こさないように、そーっと起き上がる。ギシギシと音が鳴ったが、二人ともぐっすり眠っていることを確認して部屋を後にした。
俺の住む家は、綺麗な場所とはとてもじゃないが口が裂けても言えない。
毎月の支払いは銅貨一枚だけという安価な借家だが、その分ボロ屋である。建物のあちこちに隙間が見え隠れしていて、時折吹く隙間風が肌寒い。
グランには「俺の家で共に暮らせばいい」と言われているが、いつまでもグランの脛を噛じる生き方はしたくないと、一人暮らしを始めると息巻いた。
しかしこの借家を借りたところで、弟妹のキーラとクエンが俺についてきてしまったのだ。
弟妹もついて来ると知っていたら、こんなボロ家でケチったりしなかったのに……今更、解約も出来ないので受け入れるしか無かった。
なんてったって、解約すると膨大な金額を請求されてしまうのだ。俺の持ち金じゃ到底払えたものじゃない。最低でもここに数年は住む必要がある。
歩く度に今にも抜けそうな床を、できる限り忍び足でキッチンへ向かった俺は、朝食を作るには早すぎるなと思い、菓子を作ることにした。
「作りすぎてしまったな……」
最初は、弟妹の二人が食べられる量を作っていたはず。が、暇を持て余し夢中で手を動かしていると、気がついたら天井にまで届くほどになっていた。
これはさすがに、育ち盛りの弟妹でも食べきれないだろう。
案の定、弟妹は最初こそ歓喜していたが、途中から腹を抱え口を抑えていた。
それでもまだ半分以上は残っている。
このまま捨ててしまうのも勿体ない、ということで現在に至るという訳だ。
目の前には、異様な雰囲気を漂わせる屋敷に不気味な化け物の置物と、季節外れのたくさんのカボチャが置かれている。
昨日のことがありながら、性懲りも無くやって来るとは命知らずにも程があると自分でも思う。別にこんなところまで来ずとも、街のみんなに振る舞えばよかったのだ。
そう心の中で思いつつ、俺はここに足を運んでしまった。頭のどこかで、彼女のあの顔が忘れられないでいたのだ。
しかし、今回は明確な目的があるのも事実である。俺にとっては死活問題なのだ。
入口の前に立つと、相変わらず呼び鈴のない扉を思いっきりノックした。
じんじんと拳が熱い……
こんな思いまでしているのに、またしばらく経っても誰も出ては来やしない。
くっ……もう一度か。
俺は思わず眉を顰める。なんと不便な作りなのだろう。これではせっかくここを訪ねた者が、やむ無く帰ってしまうではないか。
……そういえば、ここに客はあまり来ないんだった。なるほど、それなら納得がいくか……
しかし、毎回手を痛めてしまうのはさすがに遠慮したいところである。
「お主はなぜ、また来たのだ」
もう一度扉を叩こうとしていると、ふと後ろからそんな声がした。
振り返ると、深紅のドレスを身にまとっている女児が腕を前に組み、呆れた顔をして立っていた。
どこから現れたのか分からないが、相変わらず気配を感じない。
「申し訳ない。少し困ったことがあって……」
「ふむ。とても甘い良い匂いがする……」
そう言ってクンクンと鼻を嗅ぎ、やがて俺の手に持っているものを指さした。
「ブラウニーか!」
俺は、目を丸くした。匂いだけで言い当てるなんて……
「なんでわかるんだ?」
「ふん、これくらい分かる。我を舐めるでない」
腕を組んで誇らしげに告げるアメリア。
そうか、吸血鬼は人より鼻が利くんだったな。
これも、昨日分かったことだった。
それにしても、この距離でしかも匂いだけでなにかを言い当ててしまうとは……それだけ、菓子が好きということだろうか。
「その……この間のお礼がしたかったんだが、作りすぎてしまって……迷惑だろうか……?」
嘘では無い。助けていただいたお礼は確かにしたかった。だが、こんなはずではなかった。もう少しちゃんとしたものにしようと思っていた。
アメリアは、苦い顔を浮かべている。
もう来るなと言ってしまった手前、菓子を持ってきたことに素直に喜べないのだろう。
「……中に入るが良い」
渋々と言った感じで、俺を屋敷の中へと招き入れた。
食欲には勝てないらしい。
相変わらず中は暗かった。しかし、暗いとはいえ蝋燭はたくさん灯されている。
――消費が激しそうだな――
などとどうでもいいことを考えているうちに、あっという間に昨日と同じ部屋に辿り着いた。
「シャル、おるか?」
「はっここに」
アメリアの呼び掛けに、シャルは忽然と現れ驚かされる。
こいつも一体、どこから湧いているんだ。
常にアメリアの影にでも潜んでいるのかと思うほど、スっと姿を現している。
この屋敷は、とても心臓に悪い。
「カインがブラウニーを持ってきた。ランチはそれにしよう」
シャルロッテは、俺を一瞥してからキッと睨んだ。
「人間如きが作ったものなど、口にしてはいけません。毒が入っているかもしれませんので」
「それはない。こやつからは薬の匂いも、毒の匂いもしないからの」
吸血鬼に毒を持ち込むなど、そんな危険行為できるはずがない。俺は黙ってコクコクと頷いた。
「ですが……!」
「シャル、人族を罵罵倒するのはお主の悪いとこぞ。人が嫌いなのは分かるが、我を信じてはくれぬか?」
「……」
尚も引き下がらないシャルロッテに、アメリアは静かに諭すように告げた。
シャルロッテは黙って俺から菓子を奪い取り、そのままアメリアに頭を下げ、忽然と消えていった。
「すまぬ。見苦しい所を見せたの。あやつは人が嫌いなのだ。許してやっては貰えぬか」
本当にそうだろうか?なんとなく、それだけでは無いように感じる。
彼女からは、妬みのような感情を抱いているように見えた。いつもは自分が作っている昼食を、ふと訪れただけの人間に奪われた。そんな感じだ。
しかし、アメリアは全く気づいていないようなので、あまり余計なことを言わないほうが良さそうだ。
「他種族を嫌う者は少なくない。仕方ないことだ」
「そう言って貰えると助かる」
アメリアは、例の深紅の椅子に腰掛ける。
俺も昨日と同じ椅子に座ると、間もなくシャルロッテが現れ、皿に盛ったブラウニーと飲み物をアメリアの前に置いた。
その後、俺の前にも置いてはくれたが、それはもう雑なものだった。
絶対に怒っている。
置いたと言うよりも投げたに近い。そのおかげで飲み物が入ったコップから、雫がテーブルに飛び散ってしまった。
何もそんなに怒らなくてもいいじゃないか。
「ん〜〜!美味しい!」
そんなことなど露知らずに、深紅の少女はいつの間にかブラウニーを一つ口に運んでいた。アメリアはその美味しさに頬を赤く染め、両手で抑えている。まるで頬がこぼれ落ちてしまわないように。
美味しいと幸せそうに食べるその姿が、とても愛らしい。またもや、目を奪われてしまう。普段の吸血鬼らしい威厳ある態度は、菓子を食しているこの姿からは全く感じられない。
見惚れていると、傍から物凄い威圧を感じた。俺は慌てて視線を背ける。
その視線だけで、俺の体に穴が空いてしまいそうな程だ。
「これはカインが作ったの?」
「へ!?あ、あぁそうだ」
突然声をかけられ、変な声が出てしまった。
コホンっと咳払いし、続ける。
「弟妹の為に作っていたんだが、あまりに多く作りすぎたんだ。君は菓子が好きそうだったので、持ってきてしまったんだ」
アメリアの幸せそうに食べる顔が見れたので、持ってきてよかったと思うが、これ程睨まれてしまうのならもう持ってこないようにしよう、と心に決めた。
あの巨大な斧で、気づいたら首が無くなっていた、なんてことは真っ平御免だ。
アメリアは、体を乗り出し猛烈な情熱を持って語り始めた。
「菓子はとっても大好き!昔、ガトーショコラというものを西方の国で初めて食べたんだけれど、それがすっごく美味しかったの!その後、東方に移り住んだ時にまたあの味が食べたいと思って探したんだけれど残念ながらなくって……そんな時に出会ったのがブラウニーだったの!ガトーショコラに似ているけれど、食感が違って……これがまた堪らなくて!たくさん食べていたんだけれど、こっちに越してからまた食べられなくて、残念に思っていたんだぁ。だからカインの作ったブラウニーは、その時に食べたものにとても近くて驚いた!とても美味しい!溶けてしまいそう!」
それは圧倒されるほど早口だった。俺が相槌を入れる間もない。しかも、口調まで変わっている。まさか、好きな物を前にすると性格が変わるタイプか?
いや、好きな物と言うより菓子を、か。
それとも、こちらの方が素の姿で普段の振る舞いの方が、努めているのものなのだろうか……?
もし、こちらが素なのだとしたら、普段は敢えてあのような毅然と尊大な態度をとっているということになる。吸血鬼としてそのような態度をとらざるを得ないのか、はたまた別の理由があるのか。
当の本人は、口調が変わっていることに全く気がついておらず、それはもう幸せそうに食べている。
まるで妖精か天使かと思ってしまう程愛らしい姿に、俺はただ戸惑うことしか出来なかった。
なんとか、甘いチョコラテを最後のブラウニーと共に胃に流し込んでいる頃、アメリアの皿に山のようにあったブラウニーもあっという間に無くなっていた。
「ふぅ、すごく美味しかったぁ!」
アメリアは満足そうに、喜びの声を上げた。
「アメリアは、本当に菓子が好きなんだな。あれをすべて平らげてしまうだなんて」
「リア様は、甘いお菓子ばかり食べるから、いつまでも小さいままなんです」
シャルロッテは、首を背けながら拗ねたように言った。
「ほう?言うでは無いかシャル」
そう言ってアメリアは、シャルロッテを睨みつける。が、その目はどうやら本気では無さそうだ。どちらかと言うとじゃれ合いに近い。
いつの間にか口調も、いつもの威厳あるアメリアに戻っていた。
「とても良い主従関係だな、君たちは」
「えぇ、それはもちろんです。たかが人間の短い命よりも長い付き合いですから、リア様のことは側近として熟知しております。好みの菓子もリア様も知らないご自分の癖や仕草も、寝起きのリア様の惚けた可愛らしいお姿まで……」
「わぁーーー!やめよ!」
ドヤ顔で語るシャルロッテが、食い気味でそう捲し立てると、途中でアメリアが慌てて制した。
主のことを本当に心底大事に思っている、かけがえの無い存在。そんな思いをシャルロッテから感じる。
とても長い時を共に過ごしてきたのだろう。お互いの固い絆を感じる。
正直、見ていて微笑ましい。
吸血鬼も、その心根は人と変わらない。
人は吸血鬼に対して恐れの感情を持っているが、それは吸血鬼という存在がどういう種族なのかを知らないからだ。
この街は実際に、他種族同士の共存を実現している。その中に吸血鬼も交わることは可能なのでは無いだろうか。
そして餓鬼の問題も、同時に解消出来るのではないだろうか、と思ってしまう。
しかし彼女達が、共存を望んでいるかどうかは別の話である。吸血鬼は自分の正体がバレることを極端に嫌う。そんなこと望んではいないだろう。
とは言え、こんな街の少し外れた場所で過ごしていては、逆に目立つのではないだろうか?これでは、吸血鬼であることを隠すつもりもなさそうにすら感じる。初めて出会った時だって、安易に姿を現していた。
「アメリアはなぜ、街から外れたこの場所で過ごしているんだ?」
そんな言葉がつい口をついてで出てしまった。
他者がどこに住もうが、俺には関係の無いはずである。また余計なことを口走ってしまった……。
「それは昨日の続きか?」
アメリアは何を考えているのか、汲み取れない顔をしていた。
怒らせてしまっただろうか。
「いや、ふと疑問に思っただけなんだ。無理に答える必要は無い。失礼なことを言ったな」
「別に怒ってはいない。そうだな……なぜかと問われれば……」
アメリアは顎に手を置き、なにかを考えゆっくりと口を開いた。
「恐らく、人間が嫌い故に好きなんだろうな」
……ん?どういうことだ?嫌いなのに好き?
嫌いと好きは、双方に相容れないも言葉だ。どういうことだろう?
困惑している俺に、アメリアはクスッと笑って続ける。
「人間は、面白い生き物だ。親しげにしておったと思えば簡単に他者を裏切り、かと思えばまた親しげに会話する。なんとも滑稽で醜い」
確かに人の心情はコロコロと変わりやすく、とても脆い。アメリアの言う通りで、返す言葉もない。
「しかし、他者を思いやり手を差し伸べ、時に助けを求める。とても弱いが、団結という強さも持ち合わせておる。とても儚く、美しい生き物だと思うのだ」
アメリアは終始、慈しむような目でそう語った。
嫌いで好き。なるほど一言では、言い表せないということか。
「それにこの街の風情が好きなのだ。だから、この屋敷で見守ってやりたい。そう思っておるだけだ」
アメリアは最後にそう付け加えた。
本当に目の前に見えている彼女は、吸血鬼なのかと時々思ってしまう。実は人なのではないかと……。
しかし、正真正銘の吸血鬼であると、深紅に輝くルビー色の瞳がそう語っている。
「アメリアは、人をよく見ているんだな」
「人間観察が趣味なのだ。長く生きると楽しみも減っての。気づいたら人を観察するのが好きになっておったのだ」
一体、どれだけの長い時を生きているのだろう。
長い時を生きるということは、それ即ち孤独を背負うということにも繋がる。
最古で最強の吸血鬼。その異名は、他種族への恐怖を植え付ける。孤独という枷は、彼女に重く伸し掛かっているのではないだろうか。
「ところで……」
アメリアは顔を背け、なにか言いづらそうにモジモジとしている。これはこれで珍しい。今日はいろんなアメリアが見られるな。
なんて考えていると、アメリアはゆっくりと小さい声で呟いた。
「そ、その……リアで良い……長い名前は、好きではない……からの……」
読んでくださりありがとうございます!
リアを可愛く書きたい!と何度も書き直しました:( ;´꒳`;)
ちゃんと表現出来てるといいな……
また次回をお楽しみにっ