最古の吸血鬼②
「我が主になんの御用でしょうか」
何者かが中から突如、フッと現れた。
俺は、驚いて後ずさる。
よく見るとそこに現れたのは、メイド服を着た女性だった。
肩までの長さの銀髪を、両横でツインテールにしており、メイド服は袖が二の腕までしかなく裾も膝丈までしかない。
まだ気温もそう高くないこの時期に、その格好はかなり肌寒い気がする。
手には白い手袋を填めており、靴は黒のベルトデザインがされている厚底のブーツを履いている。
整った顔はかなりの美形であり、この距離でもキメ細やかな白い肌であることが分かる。目はエメラルドグリーンだ。しかしその目は冷たく、蔑んだ目をしているためせっかくの美形が台無しである。
この女性が目の前に現れるまで、気配が全くと言っていいほど感じなかった。普通の人間とは到底思えない。
第一どこから湧いて出てきたんだ?確かにドアの向こうは、暗くて何も見えなかった。とは言え、忽然と音もなく現れるのにも限度があるだろう?
「怪我をしたくなければ、お引取りを」
身構えている俺を見て、忠告したのだろう。目の前に突然現れた強者に、無意識に反応してしまい、気づけば腰の愛剣に右手を触れていた。
堂々たるその振る舞いは、あらゆる戦場を知っているような立ち居振る舞いだ。隙は全く見られない。
断言してもいい。このメイド服を着た女性は、絶対に只者では無い。
「申し訳ない。貴公が突然現れたものでつい」
声が震えているように思う。俺は、努めて剣から手を離した。
しかし、警戒だけは解かない。
この者がもし人ではないとすれば、いや人であってもその力を行使されてしまえば、俺という人間は抵抗虚しく殺されてしまう。そうなる前に、どうにかしなければ。
そして俺は言葉を続けた。ここに来た目的は、刃を交えるためじゃない。
「全身赤い少女を探しているのだが、知らないだろうか」
メイドの女性は、顔色ひとつ変えないが、張り詰めた空気が一瞬で変わった。表すなら、肌を突き刺す刺々しい細い針だったものが、この辺一帯に氷が張り巡らされてしまったような感じだ。
「どうでしょうか」
それがどうしたと言いたげに、俺を一瞥する。これは当たりということだろうか。的を射た問いに慌てている、とも取れる。
しかしこれ以上、なにか余計なことを口にしてしまえば、今にでも首を切られてしまう勢いだ。
全く気を抜けない。自然と冷や汗が頬を伝った。
俺はゴクリと唾を飲み込み、次の言葉を思案する。
「やめよ。たかが人間に、なにを警戒する必要があるというのだ」
しばしメイドの女性と睨めっこしていると、俺のすぐ後ろから突如としてそんな声がした。
「申し訳ございません、リア様」
そう言って目の前にいるメイド服を着た女性は、すかさず膝まづいた。同時に張り詰めていた氷のような冷たい空気も無くなった。
それに少し安堵したが、今度は声の主の気配が全くしないことに、恐れを抱く。
後ろから声がしたのは、間違いない。が、気配は全くしない。しかも、目の前のメイドと違って存在を探知した今でも、少しも気配を感じ取れないのだ。
「それで一体なんの用かの、人間。我は忙しい。さっさと述べることをすすめる」
それは苛立ちとも取れる刺々しい声だった。それはそうだろう。己の縄張りに他者が無断で足を踏み入れたのだから。
待てよ。今の俺って凄く迷惑なやつなのでは?なんの連絡も取らずに昨日の今日でここに来た。もし、この場にいるのが昨夜の女児だとしたら、昨日の疲れを癒している時間だったかもしれない。
そんな所へ素性の知らぬ者が足を踏み入れたのだ。迷惑千万である。
そもそも目の前にいるのはメイドだ。つまりその主人は教養がある者、ということでもある。学のない俺が無造作に来ていい場所ではなかったのだ。
あぁ、なんて失礼なことをしてしまったんだろう。これならレーナの言うことを大人しく聞いておけばよかった。
俺はとある考えが頭をよぎり、振り向くことも出来ず恐る恐る尋ねる。
「と、突然押しかけてしまい申し訳ない。俺はただ、とある人物を探していただけで、迷惑をかけるつもりはなかったんだ。どうか、首を狙うのだけは勘弁して貰えないだろうか」
自分でも驚く程、口が滑らかに動いた。誠意が伝わっているかどうか心配になる。
全員が黙り込み、静寂の時が流れた。
気配を感じられない中で、静寂がこれほどまでに恐れを抱くものだとは思いもしなかった。
張り詰めた空気に、滝のように汗が流れる。
振り向くことも、剣を構えることすらも許されない。この場はそういう空気が感じられた。少しでも動けば、一瞬でこの首は地に落ちる事だろう。
俺は、ここで何も出来ずに死ぬのか。
生まれ育ったこの街を、そして唯一の家族である弟妹達を守る為に剣術を習った。
亡くなった両親が餓鬼狩りとして、この街を守り抜いたと知ったその時から、俺は餓鬼狩りの道を歩もうと心に決めていたのだ。
が、両親と違い俺に魔法の才は無かった。そんな俺が唯一進める道が、剣術しか無かったという話だ。
それから血の滲む努力をしてきた。やれることはなんでもやったし、限界を超えて極めもした。おかげで、この街では最強と称されるようにもなったらしいが、所詮魔法も使えないただの剣士。
餓鬼を弔うだけならなにも問題ないが、逆を言えばそれしか出来ない。それで十分と言えばそれまでだが、もし相手が餓鬼以外なら、俺は木偶の坊同然だ。
今までの努力も苦労も、魔法を前にすれば無に帰る。
ここまで危険な者が存在することを、俺は認知していなかった。
正直、舐めていたのかもしれない。内容の真偽は別として、噂はこの屋敷がとても危険だということをしっかり示唆していたのだ。
それを無視し、あろうことかこの屋敷に無断で、そして土足で踏み込んだ迷惑な愚か者が、どんな結末を迎えることになるのか、これから分かるだろう。
「くくく……あはははは!!」
しばらくの静寂の中、突然後ろから笑い声が聞こえた。盛大に声を上げて笑っている。
なにがそんなに面白いというのだろう。
俺は死を覚悟して、恐る恐る振り向いた。
そこに居たのは、全身赤が印象的な女児だった。血のように真っ赤に染まった髪を腰まで垂らし、それに負けないくらいに真っ赤なデザインのドレスは所々に黒のレースが入っている。
その姿は昨夜、霞む目で見た姿にとても似ていた。
そしてこの者も白くキメ細やかな肌をしており、整っている顔であるが、メイドの女性と明らかに違うのは童顔であること。そして目が..……深紅に輝いている!?
ひと目で吸血鬼と確信した。と同時に、あの時見た瞳のそれだった。やはり見間違いではなかったのだ。
昨夜、街を取り囲む餓鬼を一瞬にして弔い、餓鬼の驚異から俺を救った、深紅に輝く瞳の女児。それは彼女で間違いない。
俺は、目を奪われた。こんな可憐に笑う少女がいるのかと。馬鹿にしているような、そんな嘲笑めいた笑いでは無い。思わぬ返答に驚いて笑っている、そんな感じだ。
おかげで、笑われているというのにも関わらず、これっぽっちも不快に思わない。
「まさか、我がお主を殺すとでも思っておるのか?安心するが良い。我は人の命などに興味はない」
その言葉に深く安堵し、肩の力を落とした。
とは言え、ここには人の血を喰らう吸血鬼と正体不明のメイドがいる。完全に安心できる状況では決して無い。
それに、女児の瞳が深紅に輝いていることは、警戒するに値する十分な理由と言えるだろう。
吸血鬼に会ったのは初めてなので、深紅の瞳が空腹時の証というのが本当の話なのか、正直分からないところではあるが、警戒していて損は無い。
と言っても、今すぐに首を切られる心配はしなくて良さそうだ。
「それよりも……貴様、どこかで見たことがある顔だの?」
そう言って俺の顔をしげしげと凝視している。俺より顔二つ分程低いため、下から見上げるように見つめられているのだ。ここからだと上目遣いに見える。
そのあまりに可愛いらしい表情と仕草に、たじろいでしまう。こんな状況だと言うのに、一体何を考えているのか。
俺は無理矢理、我に返る。
「えっと……昨夜、君に助けられた者だ」
引け腰にそう答えると、深紅の女児は何かを思い出したようにポンっと手を叩いた。
「おー、そうであった!あの重症の餓鬼狩りだろう?」
重傷の餓鬼狩りと称されるのは不覚だが、何にせよ思い出してもらえたようで良かった。
「昨夜は、救っていただき感謝する」
そう言って礼を伝える。
「そんなことをわざわざ言いに来たというのか?律儀だの。こんな所、人間は近づきたがらないというのに」
「しかし、あのようなことはもうするな。結果的には良かったものの、子供があんな所に行くなど危険極まりない」
俺はそう付け加えた。
助けていただいたことには感謝している。だが、いくら強いからと言っても、まだほんの子供じゃないか。危険行為には同意しかねる。
餓鬼狩りは、その名の通り餓鬼を弔う為の組織ではあるが同時に、街に住む者を守るための組織でもある。その街に住む者には、あらゆる多種族が含まれており、例え人に恐れられている吸血鬼族でも、このミスティックヘイヴンに住んでいる限りその対象に含まれるのだ。
俺はそれを誇りに思っている...のだが。
女児はしばらくの間、目が点になりその後再び声をあげて笑い出す。
「貴様、我が主を愚弄するか!」
俺の首あたりに、なにやら冷たい刃の感触がある。恐る恐る横目で見ると、それはそれはとても大きな斧が見えた。
その長さはなんと、深紅の女児の身長と同じくらいあるだろう。そして深紅の女児が3人、横並びにすっぽり埋まってしまう程の大きさだ。
刃の部分だけでこれ程の大きさなのだから、柄の部分も合わせたらどれだけの大きさになるのか……。
俺はゴクリと唾を飲み込む。
完全に首を取られた。反応すら出来なかった。寸前で止められていなかったら俺の首は、地面を舐めているところだった。
一体どこにそんなものを隠し持っていたのだろう。
そもそもこんな大きさならかなり重いはず。そんな物を容易に振り回し、的確に俺の首に狙ってきているところから察するに、かなりの強腕である。
そしてそれを扱っているのは、もちろん深紅の女児ではない。あのメイドなのだ。
体中からまたもやドっと冷や汗が流れでる。ここに来てから、ずっと緊張しっぱなしで体中が強ばっていた。命がいくつあっても足りはしない……。
俺は、何か失礼なことを言ってしまったのだろうか。こんな状況で、愚弄などとは微塵もするつもりもなかった。
まずい、謝罪をしたいが何について言っているのか全く分からない。
俺は、そーっと両手を挙げる。
謝罪の意が少しでも伝わって欲しいと願った。
「シャル、やめよ。どうやらこの者は、馬鹿にしているわけではないようだからの」
「ば、馬鹿にするなどとんでもない!救っていただいた者に無礼を働くつもりは無かった。もし気に触ったのなら謝る」
俺はすかさず、謝罪の言葉を述べた。
シャルと呼ばれたメイドは、深紅の女児に命じられるまま斧を降ろす。顔は見えないが、後ろからすごい形相で睨まれているような気がする。
「そうだろうとも。しかし、お主は一つ大きな間違いを犯しておる。申しておくが、我は決して矮小な子供などでは無い。これでも一応、お主よりも何倍も長いこと生きておる」
そうか!確か、とある文献に記されていた。吸血鬼は不老不死と言えるほどに長寿だと。
なるほど、確かにそれは失礼な物言いをしてしまった。
しかし、俺の何倍も……か……。
「お主、今失礼なことを考えたの。女性の年齢を考えるなど言語道断……」
心を読まれた、だと!?
「ま、待て!申し訳ない!この通りだ」
俺は頭を下げる。
「……お主は人間の癖に誠意ある者のようだ。我は嫌いじゃない」
「許してもらえるのか?」
恐る恐る尋ねる。許して貰えなければ俺の首は、あの大き過ぎる斧によって抵抗も虚しく切り落とされてしまうだろう。
「最初から怒ってはおらぬ。シャルが過剰に反応しておるだけのことよ。しかし、一応忠告してやろう」
深紅の女性は、俺を一瞥する。
「もう二度と子供などと口にしないことだ」
「しょ、承知した」
俺は再び冷や汗を流し、慌てて首を縦に降った。やはり怒っていたではないか。次に同じことを口にすれば俺に残された道は、死あるのみだろう。
とても可愛らしい容姿をしていると思うのだが、本人はそれを気にしているようだ。しかし、器は大きいと見える。少なくとも後ろのメイドよりは。
おっとまずい。心を読まれてしまうのなら、こんなことを思うのも良くない。また首を狙われてしまう……!
「それで、感謝を述べるのが目的だというなら、もう用は済んだと思うが?」
いや、心は読まれていない……?一瞬身構えてしまったが、先程のはたまたまだったのだろうか。
俺はホッと胸を撫で下ろす。
「ひとついいだろうか」
「なんだの?」
そう言って小首を傾げる。なんて可愛らしい仕草をするんだろう。これではどんな男でも、たちまち射抜かれてしまってもおかしくない。
ただ1つ、深紅の瞳をしていなければ、の話だが。
「俺は、吸血鬼のことを噂や言い伝えでしか知らない。このまま知らぬ状態だと、また先程のような失礼なことを口走ってしまうかもしれない」
「ふむ……たしかにそうだな」
そう言って、人差し指を顎に添え考え込む。
「しかし、お主はもうここには来ない。なにせもう用は済んだのだから」
「それは違う」
深紅の女性は、驚き俺を凝視する。
その深紅の瞳は宝石のルビーのごとく美しく、いつまでも見ていられそうな程だが、全く恐れを抱かないと言えば嘘になる。
「君はこの街に住んでいるのだろう?それなら、俺ら餓鬼狩りの守るべき対象だ。できるだけ君達吸血鬼のことも知っておきたい。もちろん、言いたくないことは言わなくて構わない。だが、このままでは、守れるものも守れなくなってしまう恐れがある」
これからも餓鬼狩りとしてやっていくのなら、ドワーフやエルフ、獣人など他種族が多く住むこの街だからこそ、少しでも多く知っておきたいという気持ちが強い。
深紅の女性は、クスっと笑った。
俺はまた、なにかおかしなことを言ったのだろうか。
「君はどこまでも誠実なのだな。しかし我は人間に守られる程、弱くはおらぬ。それに……」
そう言ってすぐに真剣な面持ちになる。
「我はお主のことを知らぬ。故に我の身の上をペラペラと話すほど、愚かではない」
ここから立ち去れと言いたげな顔だ。
しかし、俺は食い下がらない。かなり腰が引けてるし、可能ならそそくさと帰りたい。が、せっかくここで出会ったのだ。なにか意味があると思いたい。
「それもそうだな。では自己紹介から始めよう。俺の名はカイン・ヴァレスティア。平民の出で餓鬼狩り協会に所属している」
よろしくと言うように右手を差し出す。
「あはは、まさかここまでとはな」
深紅の女性は目を丸くし、程なくして微笑んだ。そして、俺の手を握る。
「素直に我の負けを認めよう人間。いや、カインよ。我の名はアメリア・リングハート・レヴァリアス」
そして、手を離し続ける。
「このような所で語らうのは、体も冷えよう」
そう言って、俺の横を通り屋敷の中へと手招きされる。
俺は素直に、その後をついて行った。
読んでいただきありがとうございます!
如何でしたでしょうか?
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