合理とはなにか。
遊園地に行った。
そこには摩訶不思議な着ぐるみを着た何者かが奇妙な動きをしていた。
その何者かは言葉を発することを禁じられ、どうやら何かの大きなルールによって縛られているようだった。
ここは遊園地だ。
そういったマスコットキャラクター的な何者かがいるのは容易に想像がつくのである。
もちろん、ここにくる以前の段階でその事は予想していた。
しかし、いざ実際にその何者かを目の当たりにしたときに、私と周囲の反応の差が明確になった。
おかしい。
冷静に考えればおかしいのは周りの方なのだ。
だってこの何者かは何者かであって、摩訶不思議な着ぐるみをかぶっているにすぎないのだから。
しかし、ここは遊園地だ。
人間とはフィクションを共有することが出来る動物なのだ。
嘘を信じることが出来る動物なのだ。
私はこの遊園地という社会性のある空間において、皆が共有している嘘から疎外された。
入れない。
輪に入れない。
私のこの視点は穿った見方なのだろうか。斜に構えているだけなのだろうか。
じゃあ、このうらやましさは、羨望はいったい何なのか。
一体どちらが合理なのだろうか。