第一章 二節 ディヴァインウォルフ王国
「真実がどうであれ、これで婚約の解消は免れないだろう。………やってくれたな」
場所は変わってウィステリア公爵家の屋敷。
あの後、私は父ゴルド・ウィステリアの命令を受けて一旦帰宅する事になった。アリスとは別れ、兄とは一緒に帰ったものの今は別室である。
「王妃の座を望めない以上、もうお前に価値はない。……除名を命じる。二度とウィステリア公爵家の名を使う事は許さん」
「…………承知致しました」
父の反応は至って予想通りのものであった。
母イリアスの死後、後妻カタリナを迎えた父にとって前妻の娘である私は邪魔者でしかなかった。兄は父親似であるため比較的好意的だったが、私は母親似だ。カタリナにとっても目の毒でしかない。
それでも今まで公爵令嬢として扱ってもらえたのは、第一王子の婚約者として利用価値があったが故に他ならない。それが解消されたのなら、この対応も当然と言えるだろう。
「明日、日付が変わるまでに出ていけ」
「………はい」
「以上だ。下がれ…もう顔を合わせることもないだろう」
視線の一つも向けられないまま退室を促される。
思えば母が亡くなってから、父は一度も私の顔を見て話した事がなかった。……いや、そもそも会話した記憶すら無い。
カタリナも最初こそ娘として扱おうとしたものの、父の様子を見ると一転して私と関わろうとはしなくなった。
それでいいと思っている。私もまた、二人を家族として愛してはいなかったのだから。
「シルヴィ」
と、呼ばれて立ち止まる。
目の前には兄が、アランが立っていた。
お兄様。と言いかけて、口を噤む。ウィステリア家の令嬢でなくなった私は、もうアランの妹ではない。
「アラン様。……いままで、お世話になりました。貴方の妹であった事は、私の誇りです」
母亡き屋敷の中で、私を可愛がってくれたお兄様。
使用人達を除けば唯一、私の味方と断言出来る家族だった。
「…………うん。私も…俺も、お前の兄であった事を誇らしく思うよ」
そう言って、抱きしめられる。
「アラン、様……」
「最後ぐらい、兄と呼んで欲しいな」
「……はい。アランお兄様」
「ああ。………そうだ、お前に渡さなくてはいけないものがあったんだ」
兄は抱擁を解くと、ずっと手に持っていた鞄を私に差し出す。
幾つかの衣類と本。全て、私が持ち出そうとしていたものだった。
「勝手に部屋に入った事は謝るよ。でも、時間がなかったから」
「時間……?」
首を傾げると、兄が微笑みつつ玄関を指さす。
その前には私の世話をしてくれていた侍女、マリアが立っている。彼女もまた、柔らかな笑みを浮かべていた。
「準備は既に整っている。…さあ、行ってらっしゃい」
くるりと体を反転させられ軽く、背を押される。そのまま玄関へと歩けば、マリアが玄関を開けた。
「マリア、後は頼んだよ」
「御意に。この身を賭してでも、お嬢様をお守り致します」
何かを言う間も無く、私はマリアに手を引かれる……いつの間にか待機していた馬車の前まで。
白い体に銀の鬣を備えた大きな馬が二頭。その後ろに鎮座する車体もまた白く、王族用のものと同じくらい大きかった。
その壁面を飾るのは、銀色の狼。隣国ディヴァインウォルフの国章である。
◆◆◆◆◆
「ようこそ、我がディヴァインウォルフ王国へ」
歓迎してくれたのは、筋肉隆々とした大男。ディヴァインウォルフ国王、アルバート・セフィラ・ディヴァインウォルフ陛下である。
隣には王妃アナスタシア様。その傍らには第一王子アルフレッド様、第一王女ティアラ様も居る。
「面を上げよ。というより、そんな畏まらないでほしい。これから家族になろうというのに、なあ?」
「はい。……え?」
礼を解き、硬直した。
「アルバートの言う通り、これからは私の事をママと呼んでくれていいのよ?」
「俺はお兄様……いや、にぃに。と!」
「お兄様は少し黙ってて下さい。…ああ、私のこともティアラと呼び捨てにして頂いて構いません!」
情報処理に全力を注ぐ私を差し置いて、彼等は私に何と呼ばれたいかで言い争い始めた。
何だこの家族。
「愚王…もといアルバート国王陛下。どうやら彼女は、自分が何故此処に呼ばれたのか存じ上げていないご様子です」
さり気ない罵倒と共に助け舟を出してくれたのは、宰相のヴィンセント様だ。
艶のある濃紺の髪を肩のあたりまで伸ばした細身の中年男性で、黒縁眼鏡が彼の整った容姿を引き立てている。
「ふむ?聞いておらなんだか。あー……ヴィンセント、説明は任せた!」
「チッ。………まずは、この国の聖女伝説についてお話しましょう。………始祖王アダム・セフィラ・ウォルファングには三人の息子と二人の娘が居ました。その中でも病弱であったのが第二王女シルヴィア・セフィラ・ウォルファング、後に『神狼の巫女』として語り継がれゆく事となるお方です」
そうして、ヴィンセント様はディヴァインウォルフに伝わる聖女伝説とやらを語り始めた。