サイバーバル
「ハァッハァッ……!」
逃げなきゃ。このカメラには、真実が込められてる……。
いつもは、あちこちに思考が飛び散る新聞部員《大谷ケイ》も、今回ばかりはそれしか頭になかった。
ただ無心に足を動かし、腕を振り、そのための息を吸い、吐く。
これをできる限り自己最高速度で繰り返す。
普段の冷静な彼女なら、呼吸をしないほうが速く走れる、という事実を理解しているだろう。
しかし、今の彼女はそれどころではない。
「グァァァァァァァ!!!」
後ろから正体不明の怪物が追いかけてくるこの異常事態ではムリからぬ話だった。
むしろ、腰を抜かして逃げられないよりずっと優秀と言える。
(たしか出口がこっちに……!)
「あれっ!?ない!?」
しかし、状況はケイの味方をしなかった。
(どうしてっ……!?たしかにこの辺りから“ココ”に入ってきたのに!)
「グォォ!」
「ヒィッ!」
まさにその身が引き裂かれる、その瞬間だった。
ケイの前方、異形の後方に当たる方向から、何かがビュン、と音を立てて飛んできた。
それは、そのまま異形の背中に突き刺さり、異形は動きを止める。
何が起きたのかわからなかった。
飛んできたモノの正体を確かめる。
それは、ケイを追う形で迫ってきた異形をさらに追いかける者だった。
「え?」
「ググ!?」
「……」
そこにいたのは、銀色の騎士のような外観の何者かであった。
そこからは早かった。
銀色の騎士は、瞬く間に異形の懐に入り込んだと思うと、連続で鋭いパンチを浴びせた。
それらを避けきれず、全てくらった異形はあえなく倒れ、消滅した。
混乱するケイが理解できたのは、自分は助かった、ということだけであった。
安心して腰が抜ける。地面に座り込んでしまった。当分立てそうにない。
「助けて、くれたの……?」
「……」
思わず問いかける。
と、銀色の騎士は、ケイの元へと歩みだしてきた。
……手の指をピンと揃え、徐々に手刀に変えながら。
「……」
「え?もしかして、私、も……?」
騎士は無言のまま、腕を振り上げ、そして……。
「ッッッ!!!」
思わず目を瞑り、身を縮こませる。
すると、バキン、という音が聞こえたきり、訪れるはずの痛みはなかった。
(……?)
恐る恐る目を開ける。すると、そこに騎士の姿はなく。
代わりに、彼女が“この世界”に侵入した裂け目があるのみだった。
「一体……」
なんだったのだろう、と言おうとして先ほどまで手元にあった重みがないことに気づく。
「ん?……あ!!」
(やられた……カメラが……)
「……ぁぁあもぉぉお!!!!なんでこうなんのよぉぉ〜〜!!!!」
足元に、粉々になったカメラが散乱していた。
〜〜〜
「はぁ……」
今日の相手はそれほどでもなかったなと思い返しながら、《佐方 トウマ》は階段を降りていた。
事実、先ほど戦闘になった“バケモノ”は、大した獲物ではなかった。
——問題はあの女だよな……。
いつも通りに“あちら側の世界”に入り、いつも通りにバケモノを退治し、いつも通りに帰ってくる。
それだけのハズだったのだが……一つだけ、いつも通りではないモノがあった。
声や体格からして、女生徒であることはほぼほぼ間違いない。
が、その素性までは知れない。
もともとトウマは顔が広いタイプではない。
同じクラスだったとしても分からないだろう。
そんな正体不明の女生徒というだけなら、トウマもここまで気にしない。
——あの女、カメラを持っていた。
スマホのカメラ機能を使えば、写真などいつでも撮りたいだけ撮れる世の中だ。
そんな時代に好きこのんでカメラを持ち歩くような奴は、この学校には“彼ら”しかいない。
——新聞部……。クソ、厄介な連中だよ……。
あの世界のことを記事にされるかも知れない。
カメラは破壊した。
しかし、あのカメラの持ち主である女生徒にはなんの対策も取れていない。
——まぁ、人殺しにはなりたくないしな。
どうしようもなかった。
じゃあ、あの女を殺せばよかったか?と問われれば、それもうなづけない。
そう結論づけようにも、もっとやりようがあったのではないかという後悔が尽きない。
——あの時、俺はどうすれば。どうすれば……。
「おい、そこで何してる」
「!」
いつの間にか、階段を降り切ったところで立ち止まっていたようだ。
考え事に集中しすぎていた。
「もう下校時刻だぞ」
階段の上から声が降ってくる。
さっきの声も同じ発生源だろう。
「すみません、すぐに帰り……あ」
「こんな時間まで何やってんだ?不・良・少・年」
謝罪しようと振り返ると、声の主は数少ない親友、《椎野 ユウ》だった。
〜〜〜
玄関口で靴を履き替えた2人の学生が、校舎から出てくる。
「全く。人が悪いよな、ユウ?」
「悪い悪い。冗談で言ってみたら面白い反応返ってきたからさ」
全く悪びれない様子のユウと、本気で怒っているわけでもないトウマ。
2人は正反対だった。
クラスを問わず多くの友達に囲まれたユウ。
数えられるほどしか友達がいないトウマ。
生徒会のメンバーに選ばれるほどの人望を持つユウ。
一方で教室ですら存在を認知されていないトウマ。
そんな正反対の彼らにも、いくつかの共通点があった。
2人とも、人より少しだけ正義感が強くて。
2人とも、好きな漫画の趣味が合って。
「おーい!ユウ!トウマ!」
そして。
「おぉ〜!ウユ、待っててくれたのか」
「ウユ……」
2人とも、同じ《掘口 ウユ》が好きだった。
〜〜〜
「あの時はすごかったよな〜。ほら、覚えてるか?お前、いきなり飛び込んできたもんな!クラス違うのに!」
「そうそう!石田先生の授業でさっ!」
「そのことはもう忘れてくれよ……」
2人と話すのは楽しい。
トウマにとって、ウユも、ユウも今では気の合う友人だ。
2人との出会いは、ほぼ同時期だった。
遡ること、1年前。この能力を手にする少し前のこと。
ーーーーーー
「よ〜し、全員着いたな。そんじゃ今学期はこんな席で!」
先生のそんな言葉を聞くや否や、声を上げるのは新たな席に満足した者たち。
無言のまま先生を眺めるのは、不満足な者たち。
トウマはというと、そのどちらでもなかった。
ただ無心に前の席に座る少女を見つめていた。
見とれていた、という方が正しいのかもしれない。
ほんの数秒だろうが、そうして見ていると少女は視線に気づき、後ろに向き直った。
「私、ウユ。よろしくね」
少女の笑顔は、それ以外の何も見えなくなるほど煌びやかだった。
数週間がたった。
あれからウユとは何もない。たまに目が合えば二、三会話を交わすだけ。
トウマはウユに対して興味があったが、どうも彼女はそうでもなさそうだ。
しかし、無理やりに話題をひねり出して話しかけるほどの勇気はない。
何かきっかけになるような事でもあればいいのだが。
——うん?
おかしい。
先程教室に着いたトウマは授業の準備をすべく、リュックから教科書を移す作業を始めていた。
今朝、持ってくる教科書はしっかりと確認したはずだ。なのに、数学の教科書だけがない。
数学は学年で一番厳しいと噂の先生の授業なのだ。
他のクラスでは、すでに怒号を飛ばされた生徒が何人かいるとか。
——参った……。
トウマは頭を抱え込みたくなった。
「どうしたの?頭抱え込んじゃって」
頭上から声が聞こえて振り返る。
ウユだ。今しがた登校してきたのだろう。
「いや……教科書忘れてさ……」
「良いじゃんそれくらい!誰にでもあるよ〜」
「……数学の」
「あ」
教科書を忘れたという事実と、その科目だけ伝えれば大体の気持ちは伝わる。
便利な事この上ない話だが、喜べる要素は一切ない。
うなだれるトウマを見て、ウユは
「ちょっと待ってて!」
と言い残すと、自分のカバンを席に置き、教室を出て行った。
その後、ホームルームが始まる頃に彼女は戻ってきた。
ホームルームが終わり、例の先生が教室に入ってくると、騒がしかった教室が少し静かになった。
心なしか温度も二度くらい下がった気がする。
トウマは胃が引き締まる感覚を覚えた。
体を縮こませ、そのままうつむく。
ここから逃げ出したい。できるならば。
とはいえ、逃げられる場所などない。
「ねぇ」
保健室に逃げ込めばやり過ごせるかもしれない。
後から何をしていたか問われるだろうが、具合が悪かったといえば……。
「ねえってば」
いや、だめだ。
具合が悪かったで済むほど融通が利くなら、教科書忘れたくらいで怒号は飛ばない。
どうすれば……。
「おい」
「のぉっ」
ガシッと頭を掴まれ、驚いたトウマは声を出してしまった。
ウユに話しかけられていたようだ。
「もぉ〜落ち込みすぎ。そんなに暗くなる事ないよ」
「いや、でも、しかし」
「ストップストップ、落ち着いて。ね?」
ね、と同時に小首を傾げる。
かわいい。笑顔に癒される。
が、そんな場合ではない。
「そんな顔しないで良いんだよ!だって教科書なら……ほら、これ使えば良いし。はい!」
そう言ってウユが差し出したのは、数学の教科書だった。
「これは……」
受け取って裏を見る。
名前:堀口ウユ。
ウユのだ。
「でも、じゃあ君はどうするんだ?」
「私?私なら大丈夫。さっき教室出て行ったでしょ?あの時、別のクラスの友達のとこに行ってたの」
——なるほど。俺たちは一時間目が数学だが、他のクラスで時間がズレている友人がいるなら、その人から借りることもできる。
合点がいったことが顔に出ていたらしい。
ウユはトウマの表情を見て、
「そういうことだから!遠慮なく、ささ」
どうぞどうぞと、手のひらを向ける。
「そういうことなら、遠慮なく……」
「そうそう」
笑顔のウユは腕を組み、胸を張るとうんうん、とうなづきながら促した。
「すまん。ありがとう……」
優しさに触れ、心が温まるトウマだった。
ーーー
「先生!教科書を忘れました!」
「何ィ!!馬鹿者がァ!!」
「へ???????」
なぜかウユが教科書を忘れたことになり、怒号を飛ばされていた。
授業後、その真意を確かめようと声をかけたが、続く授業が移動教室であったため
「ごめん!話は後で!」
と煙に巻かれてしまった。
詳しい話は、昼休みにでも聞くしかないだろう。
そして昼になった。
休み時間は50分近くある。
話をするには十分だろう。
「ちょっと良いか」
「うん」
「まずは……これ、返すよ。本当にありがとう」
「いえいえ〜」
「それで……さっきのことなんだけど」
「うん。なに?」
「いや……他のクラスの友達に会いにいったんだよな?」
「うん。行ったよ」
「教科書は?」
「借りられなかった。その子、今日数学ないんだって」
「なら……なんで貸したんだ?」
「女の子相手ならそんなに厳しく怒らないかな〜なんて思って!」
まぁ甘かったけどさ、と付け加えて舌を出した。
彼女はなぜこんなことをしたのだろうか。
トウマは答えを求めてさらに問いを投げかけた。
「なぁ、なんでこんな事をしたんだ」
「ん?どの事?」
「その、教科書貸してくれただろ。自分のがなくなるのに」
「ん〜……やっぱり、困った時は助け合わないと、じゃない?」
「助け合うって……俺は一方的に助けられただけで、君は救われてないだろ?」
「そうだけど……でも君って、誰にも頼ろうとしないじゃない?」
え?と、思わずトウマは言葉に詰まった。
「前に学校休んだことあったよね。体調不良とかで。あの時も、ノートを見せてもらったりしないで先生に聞きに行ったりさ」
「それは……頼めるような知り合いがいないから……」
「それに、掃除の時も。不真面目な人がいる中で、君だけは真面目にやってたでしょ」
「あれは……さっさと終わらせれば帰れるし、俺一人でも片づく量だったから」
「ほら、いつもそう」と口にすると同時に、ウユは人差し指をビシッとトウマに向ける。
「君はいつも、何かと理由をつけて人に頼るのを避けてる。ノートなら私に頼めば良いし、掃除だって軽く注意すればそれで済む。でも君はそれをしないじゃない?」
「まぁ、そうなのかも……」
「もう少し、甘えても良いんだと思うよ。みんなにも。もちろん、私にもね」
「甘える……か」
「うん。君を助けてあげたいって思う人は、案外いるもんだよ」
「そう、かな?」
「そうだよ」
優しい笑顔でそう念押しされて、トウマはそれ以上何も言えなくなってしまった。
この笑顔は自分のために向けられているものだと考えると、気恥ずかしさもあったが、それ以上になんとも言えない幸福感に包まれた。
事件が起きたのは、そんなことがあってから1週間が経った頃のことだ。
放課後の校舎で、ウユを見かけた。
手にはハガキくらいの大きさの封筒を持って、足早にどこかへ向かっているようだ。
ウユとは、あの一件以来、少し話す仲になっていた。
こういう食べ物が好きだ、とかこういう遊びが好きだ、とか、そんな程度の話題だが。
トウマは、ウユが自身に興味を持っているか判別できなかった。
しかし、トウマがウユに対して興味を抱いているのは自覚があった。
そんな興味の対象は慌ててどこへ向かっているのだろう?
なんとなく気になってしまったトウマは、彼女を追いかけることにした。
彼女が角に差し掛かり、そのまま曲がっていった直後、
「キャー!!!」
という悲鳴が聞こえた。
「!?」
慌てて駆け出し、角を曲がると、目を疑う光景があった。
廊下の何もない空中に、紫色の大きなヒビのようなものが広がっていたのだ。
そして、そのヒビにウユが引き摺り込まれそうになっている。
「堀口!!」
手を伸ばし、全力で駆け寄る。
しかし、間に合うことはなく。
ウユはそのまま、ヒビの中に消えていった。
——何がどうなってるんだよ……!ワケわかんねえよ……!
事態がまるで飲み込めず、立ち尽くす。
ウユはヒビの中に消えていった。
しかし、ヒビは変わらず目の前にある。
もしヒビはどこかへの入り口なら、ヒビの中に入ってウユを探すこともできるかもしれない。
——だけど……。もしこのヒビがブラックホールとか、そういう類のヤツだったら?
ヒビに触れた瞬間、分解されて終わりだ。
ウユは消滅していて、それを追いかけたトウマも消滅する。
「クソッ!どうしたらいいんだよ……!!」
思わず頭をかきむしる。
救えることなら救いたいが、それすらも叶わないかもしれない。
彼女のことを救いたいのに、結局自分の身が一番大事なのは自分だった。
トウマは自分自身を恥じた。
——アイツは身を呈して俺をかばってくれたんだぞ? なのに俺は、アイツに対して何もしてやらないのかよ!?
トウマの自分に対する責め苦は続いた。
なんでこうなんだ。
助けたいという気持ちはあるのに。
なのに、怖くてたまらない。体が震える。
自分には、他人を救えるなんてできないと思う。
だけど、ウユもそうだったのではないか?
彼女も自分を助けるために、こんな感情を抱いたのではないだろうか。
——不安な思いをさせて……それで自分はのうのうと生きて……恩返しもしないまま終わる……?
「ふざけるな……。今度は俺が救ってみせる!俺が……俺が君を守る!!」
強い決意を胸に抱いた時、一陣の突風が巻き起こるのを感じた。
あまりに強い風に、思わず目を閉じる。
そして、ゆっくりと目を開いた時
「……見える!ヒビの奥がッ!!」
トウマの目は、眼前のヒビの内側を捉えていた。
——待っていてくれ、堀口!君を守ってみせる!
覚悟のままに、トウマは勢いよくヒビに飛び込んだ。
ーーー
ヒビの内部は、真っ暗な空間に、黒い一本道が伸びているだけだった。
普通に歩くだけならなんてことはないが、先程から強い風が吹き続けている。
それどころか、前に進めば進むほど風は強くなっていっている。
「負けるかよ……!絶対に……!堀口を……助け出すまで!!」
トウマは、台風の日に外を出歩いたことはなかったが、もし出歩いたならこんな感じなんだろうなと思った。
前からすくい上げるような強い圧力がかかり、前傾姿勢になることでそれを耐える。
「負けッ……!なッ……!」
呼吸すらままならないほどの暴風の中、それでもトウマは歩を進め続け……。
やがて、体が軽くなり、呼吸も苦しくなくなっていった。
しかし、極度の集中状態にあるトウマは、そんなことには目もくれない。
体が軽くなったことすら忘れ、自分が今、何のために何を追いかけているのかすら忘れていた。
無我夢中で進むトウマは、自分の体が徐々に無機質な銀色に変貌していくのに気づかなかった。
ーーー
「ギヒヒヒ……お前は俺のモノ……」
「ふざけないで……私はアンタのモノなんかじゃないし、絶対ならない!」
暗い道の奥で、大男と、言い寄られるウユの姿があった。
自分の3倍ほどの大きさである大男に対して、ウユは断固とした態度を示していた。
「生意気だなぁ……少し躾がいるかァ!!??」
「ガッ!?」
ウユの反応に怒りを示した大男は、彼女を右足で軽く蹴った。本当に軽く。
だが、ウユが吹き飛ばされ、気を失うには十分すぎる強さだった。
「さぁて……続きは向こうで……」
倒れたウユに歩み寄る大男。
だが、彼の歩みは思わぬ乱入者によって阻まれることとなる。
「!? なんだぁテメェ!?」
大男とウユの間に、いつの間にか銀色の騎士然とした存在があったからである。
それは、変わり果てたトウマそのひとであった。
「……!(俺が誰かなんて関係ない……!)」
「……」
後ろに倒れるウユを首から上だけで振り返る。
吹き飛ばされた時に地面と擦れたのか、腕から血が出ている。
トウマの中で、殺意にも似た感情が湧き始めた。
「……!(よくも堀口を……!)」
「テメェ……だんまりかぁ?」
「……?」
トウマは、大男の問いかけに対して怨嗟を吐き出したつもりだった。
しかし、どうやら自分の言葉が相手に届いていないことを察知し、なぜだろう?と不思議に思った。
そこで手を口に当てた時、ようやく“自分の今の顔に口がない”ことに気がついた。
——どうなってる?口が……。!それに、手もおかしい……。
さらに口に触れようとして顔に当てた手も、もはや人間のそれではなかった。
「喰らえ!!」
戸惑うトウマのことなど意にも介さず、
大男が大ぶりのパンチを繰り出す。
——そういえばコイツもめちゃくちゃデカくないか……?ひょっとして、これって相当まずい状況なんじゃ……。
完全に体が硬直してしまったトウマは、眼前に迫る拳をただ見つめることしかできなかった。
——クソッ!!
ドォン!という音が鳴り響く。
覚悟を決めたトウマは、そのパンチを受けた。
が、覚悟していたほどの衝撃はなかった。
というよりも……
——痛くない……?
「ククク……どうだ俺のパンチはぁ……?もう一発ゥ!!」
「……!!」
今度はトウマも反撃に出ることにした。
拳を握りしめ、タイミングを待つ。
——いまだ。
敵の拳が降りかかってくるすんでのところで軽くジャンプし、それをかわす。
——喰らえ!!!
そして同時に、握った拳を敵の顔面に向けて思い切り放った。
「バァッ!?」
顔面で拳を受けた大男は後ろに仰け反り、二歩、三歩と後ろ向きによろめき、そのままドスンという大きな音と共に倒れた。
「バ……カな……ァ?」
それだけ言い残すと、大男は体が徐々に薄れ、そのまま消えていった。
——そんなことより堀口だ!
「……!(大丈夫か、堀口!)」
肩を抱いて倒れた体を起こすが、意識はないようだ。
はやく学校に戻って医務室に運ばなくては。
ウユを横向きに抱きかかえ、いわゆるお姫様抱っこの形を作ってトウマは立ち上がった。
そのまま歩き出すと、
「たすけて……」
「……!」
ウユが何か言っている。
寝言か?
「たすけて……椎野……クン……」
「……」
——俺は“椎野くん”じゃないが……君を助けてみせる。
足早に異空間を去った。
「うぉっ」
裂け目から出ると、いきなりウユが重くなった。
ガクンっと姿勢が倒れかけ、慌てて立ち直る。
——姿が元に戻ったから、重くなったように感じるってことか……?
「ていうか……声も出るようになってる……」
自分の姿も、銀色の甲冑姿から元の制服姿に戻っていた。
だが、そんなことに構っているヒマはない。
はやくウユを保健室に運ぶ必要がある。
「とりあえず、さっきまでの運び方は無理だな……」
トウマはウユを背負うことにして、一度彼女を床に下ろした。
その時、ふと床に落ちている封筒が目についた。
「ん?」
手にとって見てみると、“椎野くんへ”という文字が記されていた。
「……」
——深く考えるのはやめよう。
ブンブンと首を振って、余計な考えを一掃する。
そして、封筒をポケットに入れ、ウユを背負い、保健室に向けて歩き出した。
ーーー
「失礼します……先生?」
ガラガラという音を立てて保健室のドアを開ける。そこに先生の姿は見当たらなかった。
「いない、みたいだな……」
「ああ……」
「とりあえず寝かせた方がいいか?」
「そうだな」
道中で出会った、“椎野くん”に手を借りて、ウユをベッドに寝かせる。
ウユは相変わらず目を覚まさない。
「……話があるから、廊下で待っててくれって言われたんだ」
「……」
「だけど、全然来なくて……どうしたんだろうって思っていたんだけど……」
「まぁ、まさか廊下で倒れてるとは思わないだろうよ」
トウマは、“椎野ユウ”に本当のことを話していなかった。
自分が行った時には倒れていた、とだけ伝えた。
ましてや、自分が彼女を救った、などとは口が裂けても言えない。
なにせ……
——堀口は、椎野に救われたかったんだからな……。
「椎野」
「何?」
「コレを」
言いながらポケットから、手紙を取り出し、渡す。
「コレは?」
ユウが受け取ったのを見計らって説明を始める。
「堀口が倒れてる近くに落ちてたんだ。たぶん、お前に……名前も書いてあるし」
裏裏、と指差して言うとユウは裏面を確認し、確かに自分の名が書かれていることを認識した。
——ここにいるべきじゃない。
「じゃあ俺、先生探してくるから……。そばにいて見てやっててくれ」
ユウに背を向けて、そのまま教室を後にした。
〜〜〜
「じゃあな、トウマ」
「ばいばい」
「ああ、また明日。二人とも」
交差点で帰る方向が分かれるトウマたちは、各々別れの言葉を口にし、それぞれの方向へと向かう。
——まぁ、そうは言っても……別れるのは俺だけでしょ。
ユウの自宅は、ウユのそれとは離れた位置にあったが、毎日家までついて帰っていた。
恋人っていうのはそういうモノなのだろうか。
だとすれば面倒な話だな、なんて考えていると、トウマは家の玄関口にまで達していた。
背負っていたリュックの小さなポケットをまさぐり、鍵を取り出す。
それを鍵穴に差し込みながら、トウマは普段以上にぼんやりとしていた。
——アレから、もう1年近くか。
トウマと二人は、それぞれを名前で呼び合うほどの仲になった。
“堀口”は“ウユ”にかわり、“椎野”も“ユウ”に変わった。
ユウとウユもまた、それぞれを名前で呼び合うし、トウマのことも名前で呼ぶようになった。
この一年でいろんな変化があった。
だけど、変わっていくものだけが全てではないことを、トウマは実感していた。
「ただいま」
返事はない。あるわけがない。
なにせこの家は、誰かがいる時間より、いない時間の方が長いのだから。
トウマには母がいない。
父が言うには、トウマが幼い頃に出て行ったらしい。
もちろん、トウマ自身は覚えていない。
そして、そういう父もまた、あまり家にいない。父が外で何をしているのかはよくわからない。
父はトウマに対して興味がないようだった。
トウマも同じように、父に対して無関心だった。
——少し眠るか……。
自室のベッドに倒れこむ。
あの世界に入って戦闘をすると、いつもこうなる。
疲れてしまって、どうにも夕食をとる気になれない。
——ウユのためだ。……ウユとユウのため。
大変ではあるが、これは友人二人のためだと言い聞かせる。
トウマは幾度となくウユを助けてきたが、本人からそれについて礼を言われることはない。
だからせめて、自分で自分を褒めてやらねば……。そうでなければ、いったい誰がトウマを褒めてくれるのだろうか。
——そういえば……ウユはよく狙われるな。
思い返せば、ウユはわりと頻繁に誰かしらに狙われている。
なにか理由でもあるのだろうか。
——そして、狙われるたびにウユを助けている……。
ウユは大事な友達で、恩人で、だから助けるのは当然だと、トウマはそう思っていた。
しかし、本当にそれだけだろうか。
——俺は……アイツのことが……。
急激な眠気がトウマを襲い、トウマはなすすべなく、まどろみの中へと流されて行った。
〜〜〜
堀口ウユは、夜の町を鬼気迫る表情で走っていた。
「ハァ……!ハァッ!」
先刻から何者かに追いかけ回され、恐怖に支配されていたが、光明が見え始めていた。
——もう少しで自宅の玄関……飛び込めば逃げ切れる!
玄関前まで到達したと同時に、後ろを振り返る。
が、誰もいない。
「嘘……さっきまで後ろをついてきてたのに……?」
「私のことか?」
真横から声がした。
「!!」
すぐさま右に向くと、そこには再三つけ回してきた不審者の姿。
そして……。
「ッ……」
声を発する間もなく、ウユは裂け目に飲み込まれた。
ーーー
朝、学校。
いつも通り玄関口で靴を履き替え、教室へ向かう。
イスに座ったと同時に
「いた、トウマ!」
と声をかけられた。
「ん?」
声の方向にはユウがいた。
息を切らして、肩で息をしている。
表情も何やら険しい。
「何かあったのか?」
「あぁ……その、ウユがな、まだ学校に来てないんだ……」
「?……ああ、たしかに普段のアイツならもう登校してる時間だな」
トウマがそこまで深刻に捉えていないのを感じ取ったのか、ユウは一度黙り、間を作った上で続けた。
「……さっきウユの母親から連絡があってな……ウユ、昨日の夜から帰ってきてないらしいんだ……」
「なんだって……!?」
「もしかしたら、何か事件とか事故に巻」
キーンコーンカーンコーン、という忌むべき音が鳴り響く。
ホームルームの時間だ。
「時間か……。俺はクラスに戻るよ、何か聞けるかもしれない」
ユウは去って行った。
ユウはトウマの隣のクラスであり、ウユもユウと同じクラスだ。
——昨日の夜からいなくなってるとすれば、学校にはそもそも来てない。つまり情報だって、ウユの母親から得られる以上のものはないハズだ……。
「まさか……学校外で襲われたのかッ……!?」
そう思うと居ても立っても居られなくなり、教室を駆け出した。
先生の制止する声が聞こえた気がしたが、構わず走った。
ウユを救いたいという正義感はもちろんあるが、それ以上に罪悪感の方が大きい。
——完全に油断していた。今までの敵は学校内で現れたから、“敵は学校に現れる”……そういうもんだと思っていた……。
自分の甘さが、取り返しのつかない結果を呼び寄せないよう祈るように、トウマはウユを探して走った。
ーーー
——クソ……どこにも見当たらない……。
いろんな場所を探した。
近所の公園やウユが行きそうな店も当たったが、成果はなかった。
——あとはもう自宅くらいしか……。
あった。
ウユの自宅前、一軒家の玄関ドア前に裂け目が見える。
ようやく見つけた。
おそらくこの中にウユはいる。
あとは中に入り、主を倒し、ウユを救出するだけだ。
よし、行こう。
裂け目の前に立つ。
が、何も起こらない。
「……あれ?」
——おかしい。いつもなら裂け目の前に立つと、風が吹き抜けるような感じがして視界がクリアになるのに……。
普段、裂け目に潜り込む時を思い出す。
まず、裂け目の前に立つと風が吹く。
すると、それまで真っ黒で何も見えなかった内側が急によく見えるようになる。
……まるで、自分を歓迎するかのように。
——なんでだ?なんで風が吹かない?
トウマは焦った。
ここまで来て、ウユを救えなければ、自分が今までやってきたことが全て無駄になる。
——ふざけるな……ふざけるなよ!ウユは……俺の!!
その時だった。
ブォォ!!、とこれまで体験したことのない風が巻き起こる。
「ッ!!?」
トウマは吹き飛ばされそうになりつつも、すんでのところで持ちこたえた。
今までに経験したことのない規模の大きな風だった。
——そういえば、この風って何なんだ?なぜ吹けば裂け目に入れる?なぜ強さが違う?
考えてはみるが、答えは出ない。
……なんにせよ、風は吹いた
——……行こう。
「そこにいるのか……?待っててくれ、ウユ」
裂け目へと突入を開始した。
ーーー
「……!(コレは!)」
裂け目の中で、銀色に姿を変えたトウマは戸惑っていた。
「……(この裂け目は、今までのとは全く構造が違う……)」
いつもなら、多少ひねくれていても大体は一本道でゴールにたどり着くのは難しくない。
しかし、今回は違う。
別れ道や行き止まりなど、侵入者に対する対応がまるで違う。
「……(普段の一本道が、無抵抗に俺を受け入れているとするならば……今回は俺を試しているような、そんな気がしてくる)」
本当にゴールまでたどり着けるのだろうか。
ウユを助けることができるだろうか。
不安は尽きない。
だが、行くしかない。
ウユもまた、きっと辛い思いをしている。
「……!(俺は負けない……!必ず助けるからな……ウユ!)」
決意を新たに、また一歩踏み出した。
「……?」
堀口ウユは目を覚ました。
真っ暗闇の中で。不思議な空間だった。
真っ暗闇なのに、自分の手足や、今座り込んでいる地面はハッキリと見える。
「ここは……」
「お目覚めのようだな」
「!」
立ち上がって辺りを見回すと、後ろから低い声をかけられた。
ビクッと驚き、振り向く。
そこに立っていたのは、ローブ姿の奇妙な男だった。
フードをかぶって顔を隠している。
——この男、どこかで……?
「……あ!家の前にいた不審者!」
そう、ウユが眠りにつく直前、ウユはこの男にあっている。
この男こそが、ウユを裂け目に連れ込んだ張本人なのだから。
「……」
「私をどうするつもり!?」
「……」
「なんとか言いなさい!」
「……よく喋る女だな」
「私をどうするつもりなの!」
「もう少し待て。もうじき奴が……」
そこまで言いかけて、ピタッと不審者は動きを止め、頭上を見上げた。
「?」
何かと思い、ウユも頭上を見上げる。
上に何かがあるわけではない。
しかし、この男は何かを感じたようで
「そろそろか……」
と口にすると、一歩二歩とゆっくり前進し始めた。
「……!」
ウユは緊張し、体を縮こめながらも警戒して見つめていると、男はウユを通り越してそのまま歩き続けた。
そして、しばらく進んだところで立ち止まると、そこで黙って突っ立っていた。
まるで、誰かの到着を待っているかのように。
「……」
「……足音?」
かすかではあるが、タッタッタッ、というリズミカルな音がする。
ブーツか何かで地面を蹴るような、そんな音だ。
音は次第に大きくなり、音を立てている存在はドンドンこちらへ向かってきているのだと、ウユはこの時気付いた。
そして、彼が現れた。
「……」
「銀色の鎧……?」
自身をこの空間に連れ込んだ不審者はローブ姿にフードではあったが、ところどころ見え隠れする肌の部分は無機質で、人間ではないのだなと感じるには十分だった。
しかし、今現れた新たな不審者は特にその傾向が強い。
全身が銀色で、生物的な部分が見当たらない。
まるで機械のようだ。
「……(ようやく見つけたぞ……ウユは返してもらう)」
「返してもいいが、その前に少し確かめさせてくれ」
「……!?(何!?)」
——コイツ……俺の言葉がわかるのか?
今まで、トウマの“声”を聞き取れた者は、ただのひとりもいなかった。
だというのに、今まさに対峙する相手は聞き取ってみせた。
——今までの相手とは、格が違うということか?
「……!(なぜこんなことをした!)」
「なぜと問われれば……私にとって必要だったから、としか言いようがないよ」
「まぁ、それ以前に」と口にして、唐突に男は右手をあげた。
すると、いつの間にかその手には銃状の武器が握られていて……。
「……!!」
「君には教える価値があるのか、計らせてもらおう」
男は銃を構え、
バンバンバン、と
トウマに向かって3回発砲した。
放たれた弾がうっすらと光を放ちながら迫る。
——だが、このカラダの反応速度なら!
右に向かって大きくステップを踏むことで、全てをやり過ごした。
弾は空を切り、そのまま駆けていった。
「ん?」
弾が避けられるサマを見守った男は、1発ずつ、トウマを狙って続けざまに撃った。
——落ち着け……落ち着いて……かわせ!
右にステップ、左にステップ、右、左、右、左……。
だが、だんだんと弾を撃つテンポが速まり、次第に反応が追いつかなくなっていった。
——まずい、避け……
最後の1発に反応しきれなかった。正面から弾を食らう。
パァン、と大きな音ともに弾が破裂し、眩しい光を発する。
しかし、痛みは一切なかった。
「……?(どうなってる?)」
戸惑っていると、男が語りかけた。
「なぜ避ける」
「……(当たり前の事を聞くな。避けないと当たるだろ)」
「まさか、まだ目覚めていないのか?言刃は……」
「……?(コトバ?)」
「……そうか、時期尚早だったか……」
「……!(なんの話だ!)」
トウマの反応を意にもせず、男は体を翻した。
背を向けた状態で、顔だけ左を向き、言い放つ。
「彼女は一旦、君達に渡そう。私も少し見通しが甘かったようだ」
「……!(さっきから何を行ってるんだ!)」
その背中を追いかけようとするが、男はパッと一瞬のうちに消えてしまった。
——何者なんだ……一体……。
トウマの頭を、謎が支配する。
しかし、それもつかの間。
ふと、ウユの姿が目に映った。
「……」
緊張した面持ちでこちらを見つめている。
——俺のことも、あいつの仲間だと思ってんのかな……?いや、今争ってたし、敵同士というのは伝わったのか?
とにかく、彼女をここから逃すのが先決だ。
「……(ついてこい)」
手招きしてから後ろに振り返り、そのまま歩き始める。
ゆっくりとした歩調で前と進む。
すると、後ろから同じペースで刻まれる足音が聞こえた。
歩きながら、トウマは安心した。
同時に、この直後に起こるであろう出来事にどう対処するか悩んでいた。
ーーー
「え……?トウマ……?」
無事裂け目を脱出した二人。
だが、裂け目をつけるのが、ほぼ同時だったために外で鉢合わせすることになってしまった。
「ああ……やぁ、ウユ……」
「どうして……トウマが……?もしかして、トウマが……?」
「あぁ、俺が銀色の方……」
それから、トウマは知っている事をすべて話した。
そうは行っても、トウマ自身、決して多くを知っているわけではない。
ものの数分で語り終えた。
いつからか裂け目の世界に行けるようになった事、その場所では自分の姿が銀色の鎧のようになる事、その場所ではバケモノと闘っている事。
だが、「ウユのことを何度も救っている」とは言えなかった。
「そう、なんだ……」
「あぁ……」
信じられない、という面持ちのウユ。
とはいえ、実際に体験してしまった以上、信じるしかないのは彼女も理解している。
「今までも、ああやって戦い続けてたの?」
「まぁ、そうだな……」
「そっか……あんまり、無茶しすぎちゃダメだよ?」
「ああ、気をつけるよ」
——自分が怖い目にあったばかりなのに、もう人の心配か。まぁ、ウユらしいと言うか……。
ウユは優しい。誰に対しても優しさを惜しげもなく振りまく。
だからこそ、彼女自身も色んな人に助けてもらえるんだろう。
そんな彼女だからこそ、自分は……。
——俺は何を考えてるんだ……。
「とりあえず、学校には行ったらどうだ?」
自分で自分の思考を遮るように、トウマは声を発した。
「え?」
「授業は別に出なくてもいいけど……その、ユウが心配してた。会いたがってたぞ」
「!……そっかぁ」
「じゃ、行くね!」
「あぁ」
笑顔で言うから、笑顔で答えた。
「ありがとうね……本当に……」
「いや、気にすんなって」
「気にするよ!だってトウマは命がけで……」
「ほら、行けって。今から行けば休み時間には戻れるぞ」
「あぁうん、もう……わかったよ。じゃあ行くけど、本当にありがとう。それじゃね」
手を振り去っていくウユを見送った。
——さて、どうするかな。なんかもう疲れたしな。
今日はもう学校に行かないで帰るか、でも出席日数って足りてたっけな?、なんて考えながらも、トウマの足は自宅へと向かっていた。
ーーー
それからしばらくは平和が続いた。
もちろん、この場合の平和とは「ウユが裂け目に連れ去られてもすぐに取り返せる状況」という意味である。
もちろん、裂け目に引き込まれるのはウユだけではない。
しかし、別に正義のためにやっているわけでもないので、トウマはウユを助けるついでに他の人も助けるというスタンスだった。
——正直な話、なぜ俺はウユを助けてるんだろうと思ってしまう時がある。助けるなら、付き合ってるユウじゃないのか?……というか、ウユを助けてるのは俺だろ。ならウユにふさわしいのは……。
そう考えてしまうのは、ウユを助けたあとだ。
ここまで考えて、頭をブンブンと左右に振る。
それで自分の考えを打ち消して、元の生活に帰っていく。
トウマの精神状態は限界に達しようとしていたのかもしれない。
ことが起きたのは、それから数週間もしない後だった。
「ウユがいない!?」
「あぁ……」
ある日、登校したトウマはユウの相談を受けた。内容は以前と同じ、ウユが学校にいない。
「またいなくなったのか……」
「あぁ。前にもこんなことがあったよな。あの時はなんともなかったけど……」
ーーー
——どこだ?
階段を駆け下り、廊下を見渡す。
裂け目は見当たらない。
——どこだ?
さらに階段を駆け下りる。階段を登ってきていた女子生徒と肩がぶつかって、倒れかける。
「うわっ」
「……!」
が、なんとか踏ん張って走り続ける。
「謝りもなし、ねぇ……」
女子生徒がトウマを振り返りながら、呟く。
「たしか彼は、佐方トウマ……だっけ?何をあんなに急いでるんだか」
女子生徒、新聞部の大谷ケイはトウマに興味を抱いた。
そんなこともつゆ知らず、トウマはウユを求めて走り回る。
どこを探しても見当たらない。
ということは、普通にいなくなったわけじゃない。
——おそらく、また……。
どこかに裂け目があるはずなのだ。
彼女をさらった何者かの裂け目が。
しかし、様々な場所をみても、それらしいものはない。
——あと見てないのは……校舎裏くらいか?
校舎裏ならひと通りは多くない。
裂け目があっても気づく者はいないかもしれない。
しかし、校舎裏には隠れられるような死角がない。
あまりにも無謀すぎないだろうか……。
——考えていてもしかたがない。行くしかないか。
これが最後の疾走になることを願いながら、トウマは地面を強く蹴った。
ーーー
かくして、トウマは裂け目の前にたどり着いた。
——まさか校舎裏にあるとは……。
少々予想外ではあったが、これでウユを救い出す準備はできた。
あとは内部に進入して、主人を倒すだけだ。
「行くぞ!」
裂け目に向かって飛び込む。
が。
「あだっ!!」
苦悶の表情を浮かべたトウマは、その場でしゃがみ込み、頭を抱えた。
裂け目に飛び込むハズが、裂け目をすり抜けてそのまま壁にぶつかってしまったのだ。
「なん……で……?」
いつもは裂け目の前に立つと、裂け目から風が吹いて、それが合図であるかのように内部の光景が見えるようになった。
しかし、今回は違う。
裂け目の前に立っても風は吹かない。
真っ黒なカーテンを眺めているかのように内部も見えない。
おまけに触れない。
——なんでだ?なんで入れない?
この中にウユがいる可能性は高い。
だというのに、それを確かめることすらできないのか。
「クソッ!なんでだよ!」
——ウユには散々助けてもらったじゃないか……なのに、自分は肝心な時に助けられないのかよ……。
トウマは自分を責めた。
こぼれはしなかったが、目には涙が滲んでいた。
——ウユに救われて……だから俺も助けようと思ってたのに。
いや、違う。
——本気でウユを助けたかったのなら、他にも方法はあったハズだ。
例えば、ウユを家までつける、出かけるのを尾行する、など。
倫理的な観点を無視すれば、やりようはあった。
あとは、やろうという覚悟さえあればできたハズなのに……。
——結局、俺はウユを助けることで満足感を感じていただけなんだ。俺を救ってくれた相手を自分も救えるって。
……自分が救われたかっただけなんだ。
その時だった。
頬に風を感じたトウマは、いま一度裂け目を見つめ直した。
すると、その姿は先ほどと打って変わってクリアなものに変貌していた。
「どうして!?」
そういえば、とトウマは思い出していた。
以前もこんなことがあった。
風が吹かなくて、裂け目に入れず……。
しかし、その時も同じように、あきらめずに最後まで考え続けていれば、道が見えた。
——裂け目へ入るには何か特殊な条件があるのかもな。
少し納得したが、あいにくそんなことを考えているヒマはない。
「待っててくれ、ウユ!」
裂け目へ飛び込んだ。
ーーー
今度の裂け目は、今までのものとはわけが違った。
一本道でしかなかったこれまでのものと比べると、明らかに迷路のような作りになっている。
道が二手に分かれ、片方が行き止まり、片方がさらに先へ続く。
進んでいくと、分かれ道が三つに増える。
もちろん正解の道は一つ。
行って確かめを繰り返す、という地道な作業を求められた。
——こんなことをしている場合では……。
トウマは焦りを抱きながらも、着実に前へ進んでいった。
ーーー
そしてその時が来た。
ついに最奥へと到達したのだ。
「……!(ウユ!)」
「トウマ!」
「来たか」
そこにいたのはウユと、いつか見たローブ姿の男だった。相変わらず顔は見えない。
「……(なんなんだよアンタは……)」
——ふざけやがって……!ウユをどこまで不安がらせれば気が済むんだよ……!
トウマは怒りに震えていた。
体は小刻みに揺れ、今にも飛びかかりそうな勢いだった。
「……!!(ウユを返せ!!)」
「良いだろう」
だが、男の言葉に拍子抜けしたトウマは、その勢いを失った。
「……?(なんだと?)」
「ほら、受け取れ」
男はウユの頭に手をかざした。
すると、ウユは声を上げる間もなく倒れた。
「……!!(ウユ!!)」
「安心しろ。気絶しているだけだ」
確認したまえ、と男が手招きする。
——言われなくても!!
急いでウユのそばに駆け寄る。
たしかに気絶しているだけのようだ。
「……!(クソッ!アンタどういう……)」
問いただそうと振り返るが、そこに男はいなかった。
あたりを見回しても、いない。
すでにここを立ち去ったようだ。
「……(ウユ……)」
今一度、倒れたウユに向き直る。
なぜ、彼女がこんな目に合わなければならないのだろうか。
そして、いつまで続くのだろうか。こんなことが……。
——考えていてもしかたがない……。
「……(帰ろう。ウユ)」
ウユを連れ戻そうと、倒れた彼女を抱き起こした時だった。
「貴様か」
後ろから声が聞こえ、とっさに振り返る。
後方7メートルほどの場所に、ソイツはいた。
周りの闇に溶け込みそうな黒い鎧。
スラッと伸びた背格好、怒りを帯びながらも落ち着いた立ち振る舞い。
パッと見の雰囲気は、騎士を思わせた。
——なんだ?コイツは……。まさか、新手か?
「貴様が……ウユをォォォォ!!!!」
「……!!(ち、違う!俺じゃないんだ!!)」
——そうか、そうだった……!俺の声はあの男にしか届かないんだった……。
トウマに理解できたのは、どうやら自分が狙われていること。
そして、狙われている理由は単なる勘違いであることだった。
黒い騎士がものすごい速さで迫る。
ウユを寝かせてから思いきり左に飛ぶ。
——こいつもウユを助けに来たのなら……俺たちは戦う必要なんてないはずだ!!
戦う必要なんてない。
しかし、それを向こうに伝える手段はない。
なぜなら、今のトウマには言葉を伝えるための“口”がない。
溢れんばかりの殺意を放出する目の前の黒騎士をどうにか無力化しないことには、生きて帰ることすらままならないだろう。
「……!(クッ!やるしかないのなら!)」
「死ねェェ!!」
「……!(くっ!)」
黒騎士のパンチがビュンという音を立てて、トウマの鼻先をかすめていく。
流れていく拳を見送りつつも、反撃とばかりにパンチを繰り出す。
が……
「……!(硬い!)」
「効くかよそんなもん!!!」
黒騎士が右手でなぎ払う。
相手の硬さに驚いていたトウマは、避ける間もなく直撃をくらう。
そのまま後方へ吹き飛ばされながら態勢を立て直す。
——まずい……コイツ、強い。
トウマも油断していたわけではない。
しかし、ここまでの手だれとは思っていなかったのもまた事実だ。
トウマの中に危機感が芽生える。
——向こうの硬さを見るに、コチラの攻撃じゃびくともしないだろう……。
このまま続けても消耗戦になるだけだ。
早急にウユを連れて逃げ出すのが望ましい。
問題はそんなことをさせてくれる程の隙が生まれるとは到底思えないこと。
「貴様さえいなければウユはァ!!!」
「……」
——俺さえいなければ……俺さえいなければ、なんだ?
——ウユはこんな目に合わなかった……って?……そう言いたいのか……お前は……。
「……。……!……!!(ふざけるな……ふざけるなふざけんなァ!!)」
その時、奇妙な現象が起きた。
手元に風を感じ、それを掴んで束ねるように両手を添えるとそこに剣が現れた。
「なんなんだ一体!?」
黒騎士は驚き戸惑っている。
なんとも不可思議ではあるが、そんなことはトウマにとってどうでもよかった。
自分はウユを守ろうとしていた。
カラ回ることも多かったが、それでもウユのために最大限のことをやってきた。
——それを見ず知らずの他人が好き勝手言いやがって……!
剣を構え、黒騎士に向かって突進する。
それを見た黒騎士は我に返ったのか迎撃する姿勢をとる。
——コイツ……ブッ飛ばしてやるッ!!
怒りに支配されたトウマは、無我夢中で黒騎士の攻撃を掻い潜り、懐に向かって剣を突き立てた。
剣の切っ先がヤツに触れる。
強固な鎧に弾き返されそうになる。
「無駄だァ!!貴様の攻撃など効かな」
「死ね」
「……!?(俺の声!?だけど違う……俺は何も喋ってないぞ!)」
驚くのも束の間。
次の瞬間にはさらなる驚きが待っていた。
「バカな!?」
「……!」
あれだけ強固だった黒騎士の鎧は、バターにフォークを突き立てたみたいに、ポッカリと穴が開いた。
そしてそのまま、今度は鍵穴に鍵が入るように……。
「がはッ」
「……!(え……!)」
倒せても嬉しくはなかった。
これはウユを救うための戦いだったが、相手もまたウユを救おうとしていたようだった。
「う……グ……ぁ」
突き刺さっていた剣を引き抜く。
すると、手に持っていた剣の姿はだんだんと歪んでいき最終的には虚空へと消えた。
——あの剣は一体なんだったんだ……?
こちらの打撃が効かない程の硬度を持つ鎧にいとも簡単に穴を開けていた。
それに、それだけではない。
——あの声……剣がヤツに触れた瞬間に聞こえた。
今にして思えば、あの声の発生源は剣だ。
つまり、剣がトウマの声で喋ったのだ。
どういう仕組みなのか。ひと通り考えてみるが、トウマの持つ情報では判断できない。
もうそれなりに長く裂け目で戦っているが、知識があるわけではない。
「……ゥ……ュ……」
ふと、つぶやき声が聞こえて思考が途切れた。
どうやら支えを失った黒騎士が、地面に倒れていたらしい。
苦しげに口元を歪めながら、絞り出すようにつぶやく。
——ん?口元が見えてる?
どうやら鎧が先ほどの剣と同じ要領で消えかかっているようだ。
これなら、顔を確認できる。
——……一応、見せてもらうとするか。
片膝をついて身を寄せ、覗き込むトウマ。
その顔を確認してトウマは背筋が凍った。
「……!!」
——嘘……だろ……?
その顔はトウマの数少ない親友、ユウそのひとであった。
「……!?(ユウ!?……ユウ!)」
「チク……ショ……おれ……は、ウユ……」
最後まで言い切れず、ユウは事切れた。
「……(そんな……バカな……)」
2、3歩、後退り地面にへたり込んだ。
——嘘だ……ユウ?なんで……?
いや、考えてみれば合点がいく部分がいくつかあった。
黒騎士はウユに対して執着が強かった。
それは、恋人ゆえの想いだったのなら……。
しかし、トウマの精神状態は、とてもそんなことを受け入れられる状態ではなかった。
——そんな……だって……それじゃ……俺がお前を……?
自分の両手を見つめる。
トウマは自分でも気づかなかったが、その手は小刻みに震えていた。
友を自分の手で殺してしまった悲しみ、戸惑い、恐怖、あらゆる感情がない混ぜになり、心を侵食する。
そんななかに一つだけ明るさを伴う感情が芽生えつつあった。
「ウユは俺のモノだ」
「……!!(誰だ!!)」
あたりを見回すが、誰もいない。
倒れているウユ以外は。
「ウユは俺のモノだ」
誰もいない。にも関わらず、声は止まない。
「ウユを奪おうとする者は、殺す」
——違う……!そんなこと……!!
トウマは膝を抱え、怯えるように震えながら固まっていた。
それはウユが目を覚ますその時まで続いた。
ーーー
あれから二週間が経った。
ユウは、一週間ほど前に捜索願が出されたそうだ。
だが、騒いでいるのはご両親や先生方の大人連中で、学友であるクラスメイトたちは普段と何も変わらぬ騒がしさだった。
教室のドアから教室をのぞいても、表情はみな明るい。
放課後だからか、今日はどこ行くとか、明日はどうするとか、そんな話ばかりだ。
——ユウの話題が上がっていたのは最初の3日だけだったな。……あれだけ人望があったのに。
ユウの話題が取り上げられなくなるのは悲しかったが、同時に、それは罪の意識を思い出させなかった。
悲しさと、申し訳なさと、虚しさがない混ぜになった複雑な心境を、トウマは経験していた。
「トウマ」
「あぁ、ウユ……」
ウユが歩み寄ってくる。
トウマがウユを待っていたように、ウユもまた、トウマを待っていたのだろう。
「行こうか、ウユ」
「うん」
ウユを連れ立って廊下を歩く。
そして言葉を交わしながら、ウユを家まで送り届ける。
それは本来トウマの役目ではない。
それはユウの役目。
——俺がウユを守る。お前がいなくなった分も……。それでいつか、俺が死んだら……その時は、それを償いにさせてくれ……。
前後編で色々書こうと思っていましたが、思っていた以上に長くなってしまうことが分かったので適当なところで切って投稿しようと思います。
いつか技術を磨いて再挑戦したいと思いません。