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「――――ここが女神様の言っていた試練の地か」


 シェイラ・エスター・アルナイルは自分が今の今迄居た場所との違いを一目で感じていた。

 何せ周囲に立ち並ぶ家々からして、その規模を見るに平民の為の住居であるのにその品質は間違いなく首都の貴族街に立ち並ぶ屋敷と同等かそれ以上で、そこに住まう以上は間違いなく自国民の何百倍も裕福な暮らしを送っているという事だろう。

 その格差は最早嫉妬する事すら許されない程隔絶されている、比べる事すら烏滸がましい。

 流石に神聖さは感じられないが、事前に此処がどういう場所であるか教えられていなければ此処が神の住まう大地であると言われても信じてしまうだろう。


「しかし……早々に無様を晒してしまったな」


 シェイラは元々、転移する際に空中に投げ出される可能性があると事前に言われていたのに盛大に尻餅をついてしまっていた事を恥じる。

 準備に際し、戦場へ出るのと同様の重たい装備を身に纏ったのが仇になった、空中と言っても落下迄一秒もなければ流石に姿勢を正す暇も無い。

 ただこの程度の衝撃なら痛くも痒くもならないのがアルナイル家に伝わる全身鎧である、全身が純度100%のオリハルコンであるのは伊達じゃない。


「さて――」


 シェイラは立ち上がろうとして、行動を起こそうとして、出来なくなる。


「――おい」


 上から降って来た声には明確な怒気が籠っていた。

 顔を上げればそこには戦場でも見たことが無い程に筋骨隆々の大男。

 振りかぶられた拳は血が滲む程に握られ、沸点を振り切り感情を失った表情で、殺意の籠った瞳を向けるそいつは金属鎧を身に纏ったシェイラを一切躊躇せずに殴り飛ばした。


「お前、誰を足蹴にしている」


 それによって己の拳が傷ついても、痛がる素振りを微塵も見せない我颯、その姿は悪鬼そのものであった。




 ◆




 彼は孤児だった、屑な両親から保護される形で児童養護施設に預けられる。

 預けられた施設に問題が有り、劣悪な環境に置かれた我颯であったが幼少期から同年代の子供と比べて身長が高く、体格も良かった彼は入った当時から上級生が下級生に行っていた暴力等を全て跳ね除け、むしろ十倍にしてやり返した。

 強すぎる暴力で施設内での地位を獲得する一方で、我颯は無意味に暴力を振るったりもしなかった。

 目には目を歯には歯を。

 絶対的な強さを持っている故か、目下の人間を暴力で怯えさせる事を惰弱と断じ、それで自らの欲を満たそうとする振る舞いを醜悪と蔑んだ。

 別に正義を気取るつもりも無かったが、結果として正義の象徴のような扱いを受ける事となる。

 そして、弱者には過ごしやすく強者だった者達には抑圧されている様に感じる環境が出来上がって尚、誰一人として我颯に歯向かおうと思う人間はいなかった。


 それはつまり、それ程までに我颯という存在が恐怖を駆り立てる存在であった事に他ならず、彼の庇護下に置かれているような状態の弱者ですら近付こうとはしない故に、集団生活の中にあって孤独な生活を強いられた。

 ただ、それを問題とは感じていなかった。

 何せ我颯から見ても周囲の人間は別の生物にしか見えていなかったから。

 正しい意味で、羽虫とゾウ。

 周囲を羽音を立てて喧しく飛び回らなければ振り払う必要も無い、我颯からすればそういう感覚で幅を利かせていた連中を踏みつぶしたのである。


 転機となったのは二年後の秋、木々が赤く染まりだしたある日の事。

 体の成長は留まる事を知らず、彼の作り出した環境がその施設の正しい環境となってしばらくしてから、また一人施設入りする者が現れた。


「初めまして、貴方が我颯?」


 その少女は我颯の一つ年下で、事故により両親を失い引き取る親類縁者が居ない事から施設入りする事となった。

 どうやら一人一人に挨拶をして回っていたらしい少女は我颯の事を聞いて尚声を掛けて来たらしい。

 それは間違いなく勇気が必要である事柄だったが、我颯が目の前の少女に感じたのはそんなものではなかった。


 自暴自棄、少女は一切合切どうでも良いのだ。

 自分さえもどうなっても良いから、躊躇が無い。

 恐らくは両親の死が少女を完膚なきまでにぶち壊したのだと我颯は予想し、その上で言った。


「詰まらない面を見せるな。問いを投げるならば最低限興味を持って出直して来い」


 煩わしかった、目の前の少女が。

 暖簾を押すの変わらないだろう問答をする気にはならなかった。


 我颯にとって孤独は別に苦痛じゃない。

 生きる気が無いなら心臓が動いていようがただの糞袋だと断じ、そんなものに埋められるモノなど無いと少女を突き放す。


 すべてがどうでも良いと思っている奴だから、突き放せばそのまま離れていくだろうという確信を持った上で、我颯は『出直して来い』などと口にした。

 だから、本当に出直して来られた時には多少動揺した。


「やあ、出直して来たよ。それで、貴方はどんな人なのかな?」


 少女が再度、我颯の前に現れたのは二日後の事だ。

 その目には二日前の絶望は見受けられず、本当に我颯への興味を抱いて現れた。

 この二日間で何があったのか我颯には想像も付かなかった、故に少女と話す上で一番最初に聞いたのは何をしたのか、である。


「なぁに、興味を持て、と言われたのでこの二日間貴方がどういう人なのか他の人に話を聞いて回ってみて、興味が沸いたので貴方の前に立っているだけの事だよ」


 訳が分からなかった、あんな明日死んでもいいと言わんばかりの目をしていたにも関わらず、我颯の投げやりな言葉通りに興味を持って自分の前に立っている少女が理解できなかった。


 理解できないがしかし、我颯にとって目の前の少女がその他大勢で無くなったのは間違いなくこの瞬間だった。


 我颯は少女と一緒に居る事が多くなった。

 というより、雛鳥の様に少女が我颯に纏わりつくようになり、否応なかった。

 少女は距離感を弁えていて、我颯が拒絶しない程度に密接に接し、月日を重ねるにつれて着実に近づく距離を我颯も嫌とは思わなかった。

 兄妹、関係性を表現する言葉ではそれが一番適切であっただろう。

 血縁関係は無く、家族と呼ぶには短い付き合いであるにも関わらず、互いに足りないものを補完するように互いが互いを知らない事が無くなっていく。


 血液型や誕生日、親や友達だった人の名前、此処に来る前は何処に住んでいて、何故ここに居るのか。

 今日は何をして、明日何をしたいか。

 互いに互いの知らない事は無い、知る事は、繋がる事だった。

 これだけ話して相手のを事を何も知らない、なんて最近の若者に在りがちな希薄さは無く、


 血縁よりも強い繋がりを、二人は築いていた。



 それから更に月日が流れ、我颯は十五歳となった。

 勉強するには適さない環境であったが、我颯はそれを覆す勤勉さで高校への進学を確定させる。

 それは出来る範囲の最善を尽くして来た結果とも言えた。


 しかし、それは突然訪れた。

 少女が床に臥せったのだ。


 訳が分からなかった、分からない事なんてなかった筈の少女が、どうしようもないところへ行ったような気がした。

 ただの風でない事は明らかで、診せた医者から聞かされる言葉には在り来たりな絶望しかなった。

 放置すれば死に至るが治らない病気ではない。しかし膨大な金がかかる。


 施設育ちの孤児には逆立ちしても払えない金額だ。

 いや、未だ働くことの出来ない自分では入院費すら捻出する事は叶うまい。

 我颯は待合室の隅で頭を抱えた。

 どうにかしなくてはならないが、どうしようもない。

 最早、少女の存在は我颯の生きる理由そのもので、少女の居ないこれからは想像するだけで恐ろしい。

 医者を殴れば解決するならよかった、病を殴り殺せるならどれ程いいか。

 詮無い事を考える、考える、考える、考える。


「こんにちわー」


 能天気な声が、上から聞こえた。

 まだ声変わりしていない少年の様な声。


「…………」


「あれ、無視?」


「……何だ、俺は今虫の居所が――」


「お金、稼ぎたくて仕方ないんだろ?」


 勢い良く顔を上げると、居たのはやっぱり子供だった。

 そのまま立ち上がると少年の胸倉を掴み、そのまま体が持ち上がる。


「お前、何だ? 何を知ってる?」


「え? 分かんない? ボクは一目で分かったのに。――ボクは同類を見つけたから声を掛けただけだ」


 そう言った少年の目を間近で見て、我颯は怯んで手を放し、突然離された少年は着地に失敗して『ふぎゃっ』と呻き声を上げる。

 見ただけで怯むなんて、我颯は初めてだった。……もしかしたら、怯んだ事すら。

 瞳の奥に宿るのは狂気に等しい渇望で、何が何でもそれを成すという意思。

 余りに真っすぐで、欠片も濁らぬそれは逆に人間のそれからかけ離れていた。


「何が何でも金が欲しい、一秒でも早く金が欲しい、――じゃなきゃ死ぬしかない。分かるよ、ボクもだ。そして、そういう意味では先輩でもあるから、後輩に声を掛けてみたんだけど、余計だった?」


「――」


 自分は現代社会に似つかわしくない生存競争に身を窶している、そしてそれはお前もだろうと少年は言っている。

 そして、その言葉に対して間違っても否定的な言葉を口にしてはならないという予感があった。

 それをした時、自分の道は閉ざされると。


「いいや、手が有るなら教えて欲しい。……教えてください、お願いします」


 我颯は深く頭を下げた、立ち上がった少年よりも頭の位置が低くなる。

 初めて誰かに懇願した気がした。


「いいよ、ただ文字通り命懸けになるし、失敗されるとボクも社会的に死ぬから生半可な覚悟ならご遠慮して欲しいけど」


「何が何でも成し遂げると誓う。だから、頼む」


「……まー分かった上で声掛けたし嫌とは言わないけどね。じゃ、業務内容は道すがらに説明するとして、入院させる病院は変えようか。こっから二駅の所にでっかい病院有るからそっちの方がいいよ」


「何を……」


「ここが病院な時点で稼ぎたいのは医療費なのも、君が健康優良児である以上病人が別にいるのも、聞くまでも無く分かるからね? 初期費用はボクが立て替えてあげるので君はさっさと病人連れて保険証を持って来なさい。ボクはタクシーを捕まえてくる」


 全てを見通した様に告げる少年は当たり前に善意を振りかざす。

 言ってる事は怪しいし、本来なら信じられる要素なんて欠片も無い筈なのに、行動で示せば信頼は後からついてくると言わんばかりの立ち振る舞いには淀みがない。

 自分にはどうしようもできないと思っていたこの絶望に、そこから救い出すのではなくそれをどうにかする可能性を与えるからどうにかして見せろと見ず知らずの自分に奇妙な信頼を向けてきている。

 見た瞬間に分かったなんて、そんなよくわからない根拠でだ。


「あ、自己紹介を忘れてた。ボク、黒木 朔也。よろしくな」


 この後、少女を大きな病院に入院させたその足で、我颯は少女の治療費を稼ぐ為に非合法な拳闘士となる。因みに、サクヤが何故こんな所に出入り出来るのかはその当時は濁された。

 初戦をワンパンで敵を沈めるという勝利で飾り、以降も常勝無敗を誇る。

 契約に際して「同い年(タメ)!?」と驚かれたり、偶然同じ高校への進学を決めていたりと、妙に縁があった少年、サクヤに我颯はこの上無い恩を感じている。


 少女は今も入院しているが、状態は良好、病院の個室はなんなら施設に居た頃より良い環境で、ほぼ毎日お見舞いにも行っているし、携帯でもやり取りしている。

 サクヤは我颯が頑張った結果だと言うが、闘技場のルールを知れば『社会的に死ぬ』等という表現すら生易しい事はどんな馬鹿にも分かるし、そもそも負う必要のないリスクであるのは自分でも言っていただろうに。


 故に、あぁ故に。


 我颯は、サクヤへの害意を絶対に許さない。




 ◆



 シェイラの体は、その重たい全身鎧ごとぶっ飛び、川上さんちの塀に叩きつけられる。

 顔を殴った故か、叩きつけられて静止したシェイラの頭から兜が落ちる。


「――ほぉ?」


 それによって露わになるのは、唐突な攻撃に対する憤怒だ。

 全身鎧を身に纏っていたとは思えぬ汗一つかいていてない真っ白な肌に影を落とし、銀色の髪から覗かせる眼には憤怒が宿っていた。


「来て早々にやってくれる。貴様は一体何者だ?」


「そういうお前は誰なんだ?」


 売り言葉に買い言葉で、一発触発な空気が広がる。

 束の間の沈黙、それを破ったのは我颯でもシェイラでもない。


「くっ……胸ポケットに生徒手帳を入れてなかったら即死だった……」


 金属とコンクリートにサンドイッチされてほぼ無傷なサクヤである。

白米は出荷されてました。

今週も出荷されます。

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