気になっていたもの
「ん?」
繭は目覚めると板の上に寝ていた。
「うううっ」
体を起こすと、固い床にそのまま寝ていたせいで体がバキバキに痛い。
繭は寝起きの回らない頭で周囲を見回す。窓からは明るい日差しと共に、雀の鳴くチュンチュンという明るい鳴き声が聞こえてくる。どうやら自分の部屋ではあるようだった。
「・・・」
下の方に目を向けると、宮間、野田、仲田、志穂が折り重なるように繭の周りに寝ている。
「やっぱり、昨日飲んじゃったんだ」
繭に昨日の記憶はなかった。
「あっ」
その時、繭が何かに気付き叫んだ。
「どうした」
そこに、野田が目を覚まし繭を見上げた。
「畳・・」
「あっ」
野田も飛び起きた。昨日、繭が何かしきりに気になっていたのはこれだった。
「ううっ、畳が、私の畳が・・」
慌てて外に出てみると、やはり、繭が懸念した通り、畳は昨日の雨でずぶ濡れになっていた。
「これはもうダメだな」
野田が言った。
「使い古した雑巾の匂いがする」
後から起きてきた仲田が、畳に顔を近づけ匂いを嗅いで、顔をしかめる。
「こりゃ、完全にダメだな・・」
野田が腕を組み顔をしかめた。畳は完全に腐った粗大ごみと化していた。
「ううっ、私の畳・・」
繭はその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
「繭ちゃん・・」
何事かと起きて来たかおりが、繭に肩を寄せる。
「何も泣かなくてもいいだろ」
野田が言うが、繭はもう完全に心折れていた。
「私の畳・・」
繭の様子に野田と仲田、志穂もかける言葉もない。
「繭ちゃん・・、今日は私の部屋に泊まったらいいよ」
「ううっ、ありがと・・、うっ、かおりちゃん、うっ」
かおりがやさしく声をかけるが、繭は泣きながら嗚咽まで漏らす。寮に入って一か月も経たず、ついに繭は部屋の畳全部を失った。
だがその時、最大の犯人である宮間はその繭の部屋で豪快に爆睡していた。
「まあ、でも今日は練習休みだしな」
食堂に戻ると、慰めるように野田が言った。
「そうそう、みんな休みだし、どっか飯でも行こうぜ」
野田と仲田が慰めるように繭に言う。
「うううっ」
しかし、繭は畳を失った悲しみに完全に打ちひしがれていた。
「な、今日はパーッとどっかで遊ぼうぜ」
野田がそれでも元気づけようと明るく言う。
「そうそう、休みなんだし」
仲田も続く。
「何ゆうちょる。今日も夕方から練習じゃ」
そこに、いつの間にか寮に戻っていた熊田が、突然現れた。
「何!」
食堂にいた全員が熊田を見る。すでにめぐみやのり子も起きて来ていた。
「試合の次の日は休みのはずだろ」
野田が言う。
「それは強いチームの話じゃ。うちは弱い。だから休みはない」
熊田は一人頷きながら断言する。
「ふざけんな。休み無しでなんてやってられるか。部活じゃねぇんだぞ」
野田が叫ぶ。
「引退したら好きなだけ休めるじゃろが」
「どんな理屈だ」
「先週はあっただろ」
仲田が言う。
「先週はサービスじゃ。わしはやさしいきのぉ」
熊田は一人自己陶酔するように言う。
「・・・」
選手一同は愕然とした。
「これから、休みはないのか・・、一切・・」
野田がおずおずと訊いた。
「ない」
熊田は、口元にやさしい笑みを浮かべながら、きっぱりと断言した。
「・・・」
その場にいた全員が死刑を宣告されたみたいに、押し黙った。
「おまん、何やっちゅうんじゃ」
その時、熊田が繭を見た。
「えっ?」
そこで初めて、顔に落書きされていたことを繭は知った。誰もが畳のこともあり、気の毒で繭に言えずにいた。繭は慌てて洗面所へ走る。
「わああっ」
そして、そのすぐ後、洗面所から繭の切り裂くような叫び声が聞こえた。
「宮間さんやり過ぎだよ・・」
「そうだよな」
野田が呟くと、隣りの仲田も頷いた。
その時、当の宮間は、やはり高いびきで寝ていた。
「うううっ、畳がない・・、休みがない・・、プライバシーがない・・」
繭は一人ぶつぶつと呟きながら、最寄りの駅から大学までの道のりを歩いていた。
「繭・・、どうしたの」
そこに早紀が後ろから現れ、一人不穏なマイナスオーラを発する繭に声を掛けた。
「絶対今の生活から脱出するんや」
しかし、早紀の方を見もせずに、呪詛を吐くように繭は一人呟く。繭は昨日の試合の帰り道、このチームに入ってよかったなと、少しでも思った自分を完全に後悔していた。
「また、なんかあったんだね・・、あのサッカーチームで・・」
鬼気迫る繭の様子に早紀が察する。
「脱出するんや」
「しかも、また関西弁だし・・」
繭は興奮するとなぜか関西弁になる。
「ところで、どうしたの?その顔」
早紀が繭の顔を覗き込む。繭の顔は真っ赤になっていた。油性マジックで書かれた落書きは、石鹸で洗っても洗っても中々落ちなかった。そこで、野田と仲田と金さんの発案で、たまたまあったへちまだわしで思いっきりこすったのだ。落書きは落ちたが、顔はリンゴのように真っ赤になってしまった。
「うううっ、絶対脱出するんや」
繭は呻くように呟く。
「このまま行ったらずるずると引き込まれてしまう。絶対脱出する」
「何に引き込まれるの」
早紀が訊いた。
「蟻地獄」
繭は血走った目で早紀を見た。
「なんか、相当追い込まれてる感じだね・・」
その時、早紀は繭の現在置かれている身の上をなんとなく理解した。




