繭
繭は閑散としたスタンドの中ほどで一人座り、前屈みで自分の腿に肘を付いて不安げにピッチの乱闘騒ぎを眺めていた。
広いスタンドに試合中でも数えられるほどの人数しかいなかった観客も、しかも多分ほとんどが関係者だろう、そんな惨状に呆れて帰ってしまっていた。
「私、このチームに入るのかぁ」
繭はため息交じりに呟いた。言い知れぬ不安が繭を襲う。
ピッチでは一度終息したかに見えた内輪もめが再燃していた。閑散としたスタンドにその怒号だけが虚しく響き渡る。
「・・・」
繭は、そんな悲惨な光景を、何とも言えない複雑な気持ちで見つめていた。
「ん?」
その時、繭はふと、スタンドの左横の、数メートル離れたスタンドの最前列に男が一人立っているのを見つけた。頭は雀の巣のようなもじゃもじゃで、無精ひげを生やし、履き潰した汚いジーンズに、なぜかこの時代に下駄を履いた、時代錯誤の見るからに怪しげな男だった。
その男は、腕を組み、なぜかピッチの乱闘騒ぎを、そんな容姿とは裏腹に真剣な表情で見つめていた。
「誰だろう。関係者かなぁ」
サッカー場には似つかわしくない、いや、多分どこに行っても似つかわしくないこの男の風貌に繭は訝しんだ。
「相変わらずじゃのう、たかし」
男は誰に言うともなく呟いた。
「しかし、わしが来たからにはもう安心じゃ」
男の言っていることは辛うじて聞きとれたが、何を意味するのか繭には全く分からなかった。
繭は、そんな男の横顔を食い入るように見つめた。男は繭の視線に気づくことなく、ピッチの乱闘騒ぎを、真剣な表情で黙って見つめ続けていた。それはあたかも自分の何か重要な使命と向き合う、そんな運命を背負っているかのようであった。