アメリカ人留学生ベッキー
「あ~あ、また試合だな」
いつもの練習後、野田が心底嫌そうに呟く。前の週の日曜日は間が空いて試合はなかった。しかし、今度の日曜日は、再び試合だった。
「次の相手はどんなチームなんですか?」
繭が野田を見る。
「三鷹工業。三部では滅茶苦茶強豪。一時期一部にもいたことがある社会人チーム。今は二部と三部を行ったり来たりしているけどな」
「去年は勝ったんですか」
「勝つわけねぇだろ」
「負けたんですか」
「ああ、二〇対〇」
「ええっ、二〇対〇!」
繭は驚く。
「そう、ぼろ負け」
「サッカーの点数じゃないですよ・・汗」
「試合の最後の方なんか、ほんと悲惨だったよ。試合の途中でもう家に帰りたくなったもん」
「もうわけ分かんないよね。そこまで失点すると」
仲田が続く。
「なんか、負けたっていうより、心の何かを打ち砕かれた感あったよな」
野田が志穂を見る。志穂は悲しい表情でそれにうなずく。
「そこまで・・汗」
繭が戸惑う。
「壮絶な負けだったんですね・・汗」
かおりが言う。
「ああ、あれはトラウマなるな」
野田。
「ああ、なるな」
仲田。その隣りで志穂が無言でうなずく。
「それにしてもすごい点差ですね」
繭。
「なんか、アメリカからの留学生とかいうすげぇのがいてさ。その名もベッキー」
「ベッキーですか・・」
「前半で五対0。それで、宮間さんが途中でもうぶちギレちゃってさ。ラフプレーで前半半ばでレッドカード一発退場。それでもう後半はさらに一方的にボコボコ。成す術まったく無し」
野田が言う。
「ああ・・汗」
なんとなくその場の光景を繭は想像できた。
「あいつがアメリカに帰ったことを祈るよ」
野田が呟くように言った。
「・・・」
しかし、次の日曜日、その留学生ベッキーはしっかりといた。相手選手たちの中でもひと際背が高く、長い金髪で遠くからでも一目で分かった。
「まだ帰ってねぇのかよ」
野田がベッキーを見ながら毒突く。
「おっきいですね」
繭が、呆然とその外国人選手を見つめる。かおりと同じくらいかそれ以上ありそうだった。
「デカいだけじゃないぜ」
そこに野田が言った。
「えっ」
「足も速いんだ」
「そう、もう手がつけらんないよ。あんなの」
仲田が言った。
「そうそう、あんなのこの日本の三部リーグに出るなんて反則だよな」
「そうそう、三部じゃほとんど核兵器レベルだよな」
「そんなにすごいんですか・・」
繭。
「ああ、ヘディングの出来るかおりを想像してみろ」
野田が言う。
「・・・」
確かにそれは恐ろしかった。
「それがめっちゃ足速いんだぞ」
野田。
「確かに・・」
「バケモンだよあれは」
仲田。
「ああ」
野田が同意する。
「・・・」
繭は頭の中でベッキーのその姿を想像し、言葉を失った。
「ハ~イ」
しかし、そんなベッキーを見つめる繭たちに、ベッキーは笑顔で右手を上げ、指をひらひらさせる。選手としての恐ろしさとは裏腹に、陽気で人懐っこい性格らしい。
「今日はぜってぇ勝つからな。前回の雪辱を晴らす」
そこに気合いの入った宮間が、やって来た。
「あんな外人野郎にいいようにさせてたまるか。日本人の恐ろしさ見せてやる」
そして、ベッキーを指さし、根拠のよく分からない自信で決意表明する。ベッキーはしかし、何かを勘違いしているのか、そんな宮間にも手の指をひらひらさせている。
「宮間さん、今日は気をつけてくださいよ」
野田が、そんな一人燃える宮間に釘を刺すように言う。
「何をだよ」
宮間が野田を見る。
「何をって、前回退場しているじゃないですか」
「ん?ああ、あれか」
宮間はもうすでに自分の汚点はコロッと忘れていた。
「ああ、あれかじゃないですよ」
野田が嘆くように言う。都合よく忘れられたのでは、あの時、ピッチに残され、完膚なきまでに叩きのめされた他の選手たちは堪らない。
「大丈夫だよ」
しかし、宮間は深刻さの欠片もなくさらりと言う。
「宮間さんが退場すると、ただでさえメンバーいないんですから」
仲田もその反対サイドから念を押すように言う。
「だから、分かってるって」
「ほんと頼みますよ」
野田がさらに念を押すように言う。
「うるせぇよ。大丈夫だって言ってんだろ」
だが、宮間は半ギレで、そのままベンチへと行ってしまった。
「絶対、分かってないよなぁ・・」
仲田がその後ろ姿に呟く。
「絶対、分かってないな」
野田も確信したように言う。
「滅茶苦茶心配だなぁ・・」
野田たちは心配でしょうがなかった。