八百長事件
「そういえば、監督と熊田コーチは久しぶりに会った感じでしたよね」
繭が人差し指を口に当て、少し首をかしげながら言う。
「そうだ、ずっと一緒だった割に感動の再会だったよな」
野田が言う。熊田が銀月荘に現れた時、たかしは再会の、あまりの感動に、その裸の胸に飛び込んでいた。
「そうなんだ。僕と先輩は長いこと会っていなかったんだ」
たかしが言う。
「どうしてなんですか?」
繭が訊く。
「・・・」
すると、たかしは表情を曇らせしばし口をつぐんだ。
「僕と先輩が所属していた社会人チームで八百長疑惑が起こってね」
そして、たかしは再び重そうに口を開くと、そこからは意外な言葉が出てきた。
「八百長疑惑!」
予想外の話の展開に、その場にいた選手全員が驚く。
「うん、ヤクザが絡んだものだったらしくて、警察も入ってかなり大掛かりな捜査になったんだ。当時は新聞やテレビニュースにもなったよ。僕も警察にいろいろ事情を聴かれた」
「へぇ~、すごい事件だったんですね」
繭が感心したように言う。
「感心してる場合か」
野田がそんな繭にツッコむ。
「選手からチームの関係者まで、みんなが疑われてね。僕のチームメイトたちが次々警察に呼ばれて、僕もだけど、厳しい取り調べを受けたんだ」
「へぇ~、監督も取り調べを受けたんですか」
取り調べなど、ドラマか映画の中の話だった。繭はその話にすごく関心を抱く。
「そんな中で・・」
そこで急にたかしの顔が曇る。
「どうしたんですか?監督」
繭がその顔を覗き込む。
「そんな中で、裕司っていうチームメイトが、首を吊って死んでしまったんだ」
「えっ」
選手全員が驚く。死人が出るとはただ事ではない。
「裕司は、僕のルームメイトだったんだ。天才肌で、ものすごいボールテクニックを持っていた選手なんだ。本当にうまくて、どうやってボールを動かしているのが分からないほどだったよ。ブラジル人選手でもできないようなボールタッチだったなぁ」
たかしは当時を思い出し、懐かしい表情をする。
「当時のレベルの中では群を抜いていたよ。滅茶苦茶うまかったんだ。でも、ケガがちで、一年のほとんどをベンチかそれ以外で過ごしていた。ガラスの左足なんて呼ばれてね」
そして、どこか悲しそうな表情でたかしは裕司のことを語る。
「でも、たまにしか試合に出ないそのことが、彼を神秘化して、すごい人気だった。それに色白ですごくカッコよかったんだ。サッカー界のプリンスなんてあだ名もあったくらいなんだ」
「そんな選手がいたんだ」
繭が呟く。
「でも、何があったんですか?」
繭の隣りのかおりが訊く。
「それがまったく分からないんだ」
たかしが首を振る。
「ただ、裕司は警察の取り調べにすごく怯えていたよ」
「・・・」
選手たち全員が黙る。
「でも、裕司はそんなことできる奴じゃないんだ。とてもやさしくてどちらかというと気が小さい方で、まじめで酒も飲まないし、ギャンブルなんてまったくやらない人間だった。ましてヤクザとなんて、ありえない話なんだ。それに彼はサッカーをとても愛していた。そんなサッカーを冒涜するようなことは絶対にしない人間なんだ」
たかしはそう強く言って、大きく口を結ぶ。
「謎ですね・・」
繭が呟く。
「裕司が首を吊る前日だった」
再びたかしが口を開いた。
「何かあったんですか?」
みんな再びたかしに注目する。
「その日の夜、突然先輩から電話が掛かって来てね」
「権蔵から?」
野田が訊く。
「わしは今からはアフリカに行くって」
「アフリカ?」
みんな驚く。
「高跳びじゃねぇか」
野田が叫ぶように言う。
「それだけ?」
仲田が訊く。
「そう、それだけ言って、先輩は突然チームから消えてしまったんだ」
「・・・」
選手全員が黙る。
「そして、突然先輩がいなくなったと思ったら、その次の日、裕司が自殺したって、病院に運ばれたって連絡が入って」
「・・・」
「それで先輩はいなくなっちゃうし、裕司の自殺騒ぎでもう、何が何やら分からないって感じで・・、大混乱になってね」
「・・・」
「その後、不思議と事件は収束していったんだけど・・」
たかしが最後に声を少し落として言った。
「それであいつはどうしたんですか」
野田が訊く。
「先輩はそのまま行方知れず・・、どこで何をしていたのか・・」
「それで、突然現れたんですね」
かおりが訊いた。
「うん」
「時効を待ってたんじゃないのか」
仲田が言う。
「何か訊いたんですか?熊田コーチに」
繭がたかしを見る。みんなもたかしを見る。
「あっ、まだ何も訊いてないや」
たかしが自分の頭を叩く。この辺、たかしも呑気である。
「なんですかそれ」
全員がズッコケる。
「ただ・・」
「ただ?」
「裕司の死の前日に、先輩は裕司に会っていたっていう目撃情報があるんだ。これはかなり確かな情報なんだ」
「やっぱり、あいつが何か絡んでるんだよ」
野田が言った。
「あいつが犯人なんだよ」
仲田がそれに続く。
「絶対そうだ。権蔵がヤクザと組んで八百長をやって、それがばれると裕司って人に全部押しつけて、アフリカに高飛びしたんだ」
野田がうなずく。
「いや、先輩には何か深い考えがあってのことだと思う」
たかしは否定する。
「絶対、買い被り過ぎですよ」
野田と仲田が叫んだ。
「それでその裕司って人の容疑は晴れたんですか」
繭が訊く。
「うん、裕司の容疑は晴れたみたい。でも、事件の全容は謎のままなんだ」
「やっぱトンデモない野郎だったんだあいつは」
野田と仲田は、熊田犯人説を二人で確信していた。そして、普通に考えても今の話を聞くと、それが正しいように思える。他の選手も熊田犯人説をなんとなく想像していた。
「危うく尊敬するとこだったよ」
「まったくだ」
野田と仲田が二人で息巻く。
「でも、なんか謎ですよね。何があったんですかね、いったい・・」
繭が腕を組み、首をかしげる。
「あいつが犯人なんだろ」
野田は熊田犯人説から揺るがない。
「そんな単純ですかね」
繭が首をかしげる。
「そうだよ。あいつが全部悪い。それが真実だよ」
野田と仲田はどうしても、熊田を犯人にしたいらしい。
「裕司って人はその犠牲者だよ」
野田が言った。
「・・・」
繭は黙る。
「自殺とはいえ、これはれっきとした間接的な人殺しだぜ」
仲田が言った。
「ああ、ほんととんでもねぇ野郎だ」
野田がそれに呼応する。二人の中では、すでに熊田は完全な人殺しになっていた。
「やっぱり、結局、うちらの想像した通りの人間だったな」
最後に野田が言った。
「・・・」
全員がそれに何も言えず黙る。もしかして・・。選手たち全員の頭の中にも、やはり、野田たちと同じ考えが浮かんでいた。
「おうっ、おまんら遅かったな」
今日は珍しく、銀月荘の食堂にいた熊田が、帰って来た選手たちに声をかける。いつも熊田はどこかに飲みに行っているか、どこで何をしているか分からないかで、銀月荘の食堂に住んではいるが、ほとんどいたためしがない。
「・・・」
だが、選手たちは全員、あいさつも返さず熊田を不審げな目で見る。
「?」
熊田は何のことか分からず、キョトンとする。そして、選手たちは、熊田を避けるように、去って行った。
「なんじゃ、あいつら」
その背中に、まったく訳の分からない熊田が一人呟いた。