55 月下で雪と舞いました
私がいつまでも呆然としていると、陛下は眉間に皺を寄せ、勝手に立ち上がり、私の頭を覆うフードを剥いだ。
立ち上がったギレン陛下は見上げるほどで、最後にあったときよりも数段逞しく……王者だった。
陛下は目を細めると、右手を私の喉元にやり、マントを止めるホックを外し、それを剥ぎ取り後ろに放った。
「あ!」
「婚約者の前で他の男のものを身に纏うのは感心しないな」
急に外気にさらされ私はブルっと震えた。すかさず陛下は自分のマントを広げ、私を懐の中に入れる。
すると……あまりの身長差に頭の上まですっぽりくるまれて視界真っ暗。私は上に向かってもがく。ようやくマントから顔を出すと、覗き込むブルーの瞳と目があった。
「陛下、デカすぎ!」
「そうか?」
24歳の陛下は……前世、私を正直に兵器として欲し、使い潰したときと同じ姿になっていた。あれ?でも、サラサラロングで冷たい雰囲気を醸し出すのに一役買っていた銀髪が……短く刈り込まれてる。そして、額から左のコメカミをとおり耳の下までザックリと傷痕。こんなものなかった。私はそっと手を伸ばす。
「どうしたの?」
「……弟に寝込みを襲われた」
身内に……裏切られる……
胸がギュッと締めつけられる。
「……わざとキズを残したの?」
「いや。誰も処置しなかっただけだ」
「なにそれ?こんなに赤い!まだ痛いはずですよ!」
私がつま先立ちしてキズを手で包み込もうとすると、陛下はすっと屈みこみ私を左腕に抱き上げた。
私はキズを右手ですっぽり隠し、(痛いの痛いのー陛下に斬りかかった奴に飛んでけー)と念じる。
思春期になり、声をだしてのおまじないがちょっと恥ずかしくなりまして……。
ポウっと右手が光り、ゆっくり手を離すと、傷はかなり薄くなっていた。そっと傷をなぞる。
「セレ……」
「時間が経ってるから傷跡残りました。もう!この傷1cmズレたら失明でしたよ!なんで治癒魔法師に見せなかったんですか?」
「……魔力が有り余る俺をこうして心配し、惜しげも無く魔力を注ぎ癒してくれるのはセレだけだ。城のものはせいぜい傷が祟ってくたばれとぐらいにしか思っていない」
そんな……
「そんな顔するな。私が簡単にやられると思っているのか?」
陛下が私の顔を抱いていない右手で包み込む。
「今度から……ケガしたら、私のところにすぐ来てください」
陛下がゆるく微笑む。
「セレの望みなら」
下界の音楽がアップテンポの曲からスローなバラードに変わった。
「そうだ。踊らなければ、な」
「ん?陛下、そういえばなんでこんなとこに来たの?そうだ!皇帝襲名?おめでとう?」
「ふん、心の全くこもってない祝い、ありがとう。ここに来たのはセレと踊るためだ」
「はあ?」
「俺がセレのファーストダンスを他の男に譲るわけないだろう?」
私はそっと下に降ろされると手を取られ、腰に手を回された。ゆっくりな音楽に合わせて陛下は穏やかにステップを踏む。陛下の歩むスペースは瞬時に雪が溶ける。私の黒白の太いボーダーのスカートがフワリと広がる。
月光の下、白銀の世界で二人きり。雪の花びらとともにふわふわと舞う。
身体は自然と陛下のリード通り動くものの私は何がなんだかわからずに、視線でルーに助けを求めたが、ルーはいつのまにか来ていたアスと話し込んでいてこっちに全く注意を払わない。
「セレ、婚約者とダンス中に他所を見る奴があるか」
は?
「ヘーカ、その婚約者ってなんのことですか?」
ギレン陛下は自分の首元に手を差し入れ、何かを取り出した。
私の……ラピスラズリのネックレス。
「身につけて……くださってるんですね。顔に怪我を負ったのはネックレスを付ける前?後?」
「前だよ。皇帝になる前だ。このネックレスを身につけてからは……大きな危険はない」
「よかった……」
私はホッと息をつく。
「異性に、自分の身につけているものに魔力を込めて贈る意味は知ってるか?」
意味?悪い予感しかしない。
「プロポーズだ」
「えええっ!!!」
「よもやセレからプロポーズを受けるとは!もちろん私の返事はイエスだ」
「違う、違います!私が無知なだけなのー!!!」
私が真っ赤になってアワアワしていると、ギレン陛下は上を向いて声を上げて笑った。イタズラが成功した子供のように。
よかった。まだ陛下の心は前世ほど凍りついていない。10センチヒールを履いた私の頭はちょうど陛下の胸の位置で、そっと胸に耳を当てると、トクトクと当たり前に鼓動が聴こえて……ホッとする。
そうしていると、陛下はいつのまにか脚を止め、私を包むように抱き、私の頭に頰をのせた。
「セレ、約束の時までまだ猶予があるが……今すぐに攫おうか?」
「え……」
「お前を苦しめる全てから解放してやる。俺に堕ちてこい」
…………陛下はアスを通じて、私の現状を正確に把握している。
またも、この人ってば、私に居場所を作ろうとしてくれる。
こんなにも優しい人を、どうしてみんな助けてくれないの?
「陛下……ありがとう……まだ……まだ大丈夫だから。それに、ジュドールにある何もかも捨てる勇気なんて……今はないの……」
前世と違って。私は弱くなったのだろうか。目の前のギレンの服をギューっと掴む。
ふう……
陛下が私の頭の上でため息をついた。
陛下は私の腕を引き、再び踊り出す。ゆっくりゆっくり。
「セレ、俺もお前に何か贈ろうと思ったのだが、既に一級のものを伯爵とトランドルから与えられているだろう?」
私はこくんと頷いた。
ギレン陛下は首元からもう一度何かを引っ張り出した。これは……プレート。プラチナだ。
陛下は一枚を慎重に外し、目の前に捧げもった。強烈な水色の光が炸裂し、プレートに吸い込まれる。
「これを持っていろ」
ありえない!プレートは命の次に大事なもの!そして二枚セット!バラされるのは死んだ時だけ。
「ダメ!やめて!プレートはギレン陛下だけのものじゃない!ご家族のものでもあるでしょ!」
「俺には家族なんていない」
ああ……迂闊なことを言ってしまった。皇族同士で殺して、殺されかけて、生き残った人。血まみれでしか生き抜けなかった境遇のギレン。前世も今世も孤独な人。私も知る孤独。
私ばっかり、今世では一抜けしてしまった。
「だが、俺にはセレがいるだろう?立派な婚約者が」
……私に骨を拾えというの?その権利を持つ家族は私だけだと?
陛下は私の襟元からさっさと私のゴールドのプレートを取り出した。そしてそのチェーンを外し、自分の一枚を私の二枚で挟み込んだ。
私の首にズッシリと重みがかかる。
3枚まとめて握りしめると、陛下の風魔法がベールのように私の全身を包む。
命を……預けられた。
ここまでされて、ギレン陛下にとって私が『特別』であると気づかないほどバカじゃない。
ああ……私は……私だけは、例え力になれずとも、未来永劫、誠実であるとともに、あなたの味方であることを、誓う……
私の方が長生きする未来ならば、必ずあなたの躯を見つけよう。
うつむく私の両肩を陛下が掴んだ。
「セレフィオーネ……、猶予通りしばらく待つとしよう。しかしあと二年経たずともセレがこれ以上魂に傷を負った時は、力ずくでガレに連れ帰る」
「…………」
「俺は治癒は使えない。セレが俺にするように、癒すことはできない。俺の唯一のセレが傷つくたびに、無力感に苛まれる」
中腰になり、視線を合わせる。
「傷を負う前に呼べ。いいな」
ギレンの気持ちに胸がつまる。涙が浮かぶ。
堪えろ私!
唇をギリっと噛んだ。
ギレンは大きく目を見開き、両手を回しきつく私を抱きしめた。頭の後ろに大きな手を差し込んで私を上向かせる。おばあさまの髪留めがカシャリと落ちて、私の黒髪が風で踊る。
「……俺のために泣くのは、」
ギレンは私の涙を優しく吸い取った。
「……お前だけだ」
そのまま、覆いかぶさるように、口づけた。
ファーストダンスにファーストキス。
私の身体にまた、ほろ苦い魔力が流れ込む。