33 ルーと向き合いました
身体強化に幻術をかけて、私は倒れる寸前まで跳躍を繰り返し、驚異的なスピードで王都のグランゼウス邸に戻った。血まみれのルーを抱いて玄関をくぐる。
「お帰りなさいませ、お嬢様?……ルー様!!!」
エンリケが大声を出すなんて滅多にないことだけど、気にしてる場合じゃない。
「すぐ治療しなければならないの……集中したいから、誰も部屋に入れないで」
私は小さな声でそれだけ言うと、二階の自分の部屋にダッシュした。
「はあ……はあ……ルー、うちに着いたよ。約束守った。治癒するよ」
私は部屋に入るや否や、ペタリと床に座り込み、左手で意識なくグッタリと力の抜けたルーを支え、右手から一気に魔力を放出させ、おまじないをかけた。
「痛いの痛いの飛んでいけ!痛いの痛いの飛んでいけ!痛いの痛いの飛んでいけ!うううっ!痛いの痛いの………」
血が止まるとそっと抱きしめて、よくなれよくなれと念じながらルーの背中をさすった。かなりの血が流れ出た。造血剤をイメージして赤血球が増えるように、鉄分や葉酸に似たものに魔力を変質させて送りこんだ。
「ルー、ルー、元気になって!お願い!ううっ……」
10分ほど経っただろうか。濡れた柔らかな感触が頰に当たるのに気づいた。ルーが真っ青な瞳で私を射抜き、ペロリと頰を舐め、私の涙を拭う。
「ルー……」
『セレ……とりあえずお風呂に入って血を落とそう。話はそれから』
◇◇◇
私とルーは部屋に付いているお風呂に入り、血や泥を洗い落とした。そしていつも通りのブルーの柔らかい部屋着を着て、いつも通り、ルーをブラシでとかしながらドライヤー魔法で乾かした。
トントン、と控えめなノックがする。マーサだ。
「お嬢様、お食事は?」
胸がいろいろな思いで詰まり、何も食べられそうもない。
「今夜はいらない。ごめんなさい。下げていいわ」
「……少しでも、食べたくなったら声をかけてね?」
マーサが階下に降りたあと、ルーのことを考えてなかったことに気がついた。
「ごめん、ルーはお腹すいてた?」
『まさか!?2ヶ月分くらいのセレの魔力注がれて、お腹パンパンだ』
私たちは窓辺の毛足の長いフカフカの絨毯に腰を下ろした。横座りした膝にルーが寝そべる。私は習慣でルーの背をゆっくりとさする。
『話す気になった?』
「…………」
『セレは幼いときより、ジッと押し黙り……年齢不相応な難しい顔をし……心塞がれ、荒ぶる魔力が小さい身体中を暴れつくすことがままあったなあ。そういう場合は翌日からますます厳しい鍛錬を自分に課していた』
「…………」
『それでも、セレが何も言わないなら……それもいいと思っていたけど……』
「…………」
『セレの心を重くする澱がとうとう表に噴き出した。これまでも散々心で泣いていたが、今日は涙が溢れでた』
「ルー……」
『俺の唯一の契約者のセレがハラハラと泣く。そして……契約を解除しろと言う。もう、介入していい頃合いだと思うけれど?』
「……そうね」
ルーに私のことを話して何か変わるわけでもないけれど、隠してルーに不信感を持たせることは絶対に嫌だ。
それに……もう疲れた。一人でシナリオに逆らい続けるのは。
「ルー……私、すぐにこうやって靴を脱いで床にペタンと座るでしょう?これね、前に住んでた世界の習慣が抜けないからなの」
『……セレは〈前世持ち〉か……』
「そういう言葉があるの?」
『うん、極々稀に現れると聞く。オレは初めて会うけどね。なるほど、セレの柔軟な発想は前世の影響か』
「ふふっ、気持ち悪い?」
『なぜ?』
「異端だから」
ルーの左脚が軽く私の頰を叩いた。初めてのことで……ショックを受けた。
『セレ、目を覚ませ!オレがセレを選んだのは魔力が気持ちいいから、それだけだ。今日ヘビが言っていただろ?セレの魔力は優しいと。魔力は人となり、人格、全てが現れる。オレは四天の一獣ルーダリルフェナ。聖獣は常に清廉潔白。セレの魔力はオレにふさわしい。オレが選んだ。わかった?』
涙が……溢れる。
『セレはオレの唯一、セレの代わりなどいないんだ!』
「う、う、うわーーーーーーあ!!!あ、あ、あぁ…………」
私は泣き崩れた。
涙は全て舐め取られ、私の顔はルーの唾液でビチョビチョになった。
私はポツリポツリと前世について、ルーに語ってみた。
前世はここと全く次元の違う世界であったこと。
私は30歳くらいで死んだこと。
前世で読んだ書物が現世とそっくりであったこと。
ルーと出会った雪の日に全て覚醒したこと。
その書物では、私は膨大な魔力持ちの魔法師で、魔法学院に行くこと。
何故かそこから悪役の役回りになり、それまで親しかった人全てから、絶縁されること。
対して善玉こそが……今日出会ったピンクの髪の乙女マリベルであり。皆マリベルの周りに集うこと。
私は責め立てられて……捕らえられ、幽閉され、魔力を吸い上げられ、ひとりぼっちで干からびて死ぬこと。
覚醒後はその運命から逃れるために、できうる限り、真逆に真逆に選択し、足掻いてきたこと。
思いつくまま、とりとめなく、話した。
『時折難しい顔して泣きそうな顔をしていたのは、前世を儚んでか?』
「……ううん。前世は精一杯生きた、多分。……おかしいんだけどね、書物の記述ももう自分が体験した一部になっちゃって、感情が乗っ取られるの。人とか場所とか引っかかるものがあったら、あの時はああだったこうだったって記憶が噴出して……動揺しまくって……苦しくて……前世が二つある感じ。ああ、何言ってるかわかんないよね……」
『その……〈親しかったもの全て〉にはセレのおやじ殿やラルーザも含まれているのか?』
私はコクリと頷いた。
『オレも、なんだな?』
私は……言葉を選ぶ気も失せて、コクリと頷いた。
『なるほどな、今日善玉の女が登場して、セレは裏切られる時が来た、と震えたのか……』
思い出すだけで胸がジクジク痛む。
「ルーは裏切らない!そんなことわかってる!……でも、でも、明らかにルーおかしかった!マリベルをうっとり見つめては苦しんでて……ルーを解放しなきゃって、うっうっ…………」
『セレ、もう泣くな。よくわかった。いやよくわからんけど、セレの思いはよくわかった。あの現象は……オレも考えてみる』
「うっうっ……」
『セレ、オレとセレは何だ?』
「一心……同体」
『その通り』
ルーが唐突に輝き成獣サイズになった。戸惑う私を白銀の毛皮で包みこみ、私の首に頭を乗せた。
『セレ、今夜はもう寝な!』
ルーがガブリと首筋を噛んだ。清らかな魔力が流れ込む。
「……ルー?」
『ん?』
「……ルーが一緒に旅に出ようって言ってくれたとき……嬉しくて……足掻いてみようって思ったんだ……」
『そっか……おやすみ、セレ』
「おや……すみ……だい……す……き……」
私は急激な睡魔に襲われて、眼を開けていられなかった。心も身体もルーの美しく柔らかな毛皮に沈んでいく。
最後に瞳に映ったルーは……真っ青な瞳を金にギラつかせ、牙を剥き出しにし、見たこともないほど……激怒していた。
あれは……夢?




