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『セレ、そろそろ帰らないと夕ご飯に遅れてマツキに怒られてしまうぞ?』
ルーよ!帰りが遅いと心配するから怒るのだ!
そう思いながらもゆっくりしてはいられない時間になり、私とルーは小龍とミユたんと再会を約束して別れた。もちろんお金の匂いがプンプンするパパ小龍の抜け殻はしっかりマジックルームに入れて。
『セレ、行くぞ!』
「待って!沼の西側、ちょっと偵察したい」
私は成獣サイズでスタンばってくれてたルーに再びモフサイズになってもらい、念のため二人を覆うように幻術をかけた。沼池のそこはまだトランドル領というのに数人の足跡で踏み固められていた。足跡は新しく、一つは私と同じくらい小さい。子供?女性?
『4人、だな。匂いの感じだと昨日か』
「パパ龍の傷は一週間は経ってたし、頻繁に来るってこと?」
『どうやらそのようだ……噂をすれば……変な匂いがプンプンしてきたぞ?』
私は新たに認識阻害魔法を重ねがけし、息を殺して草むらに身を潜めた。
ガヤガヤと緊張感のない声が聞こえてきた。
「今日も見当たらないなあ。そろそろくたばってる頃だと思うんだけど。」
「雷あんだけ浴びせたからなあ。真っ黒の黒焦げ!」
不愉快な会話に顔を歪める。3人の黒ローブの男、あのローブ、国定魔法師。
「マリベルももうちょっと加減を覚えろ。いくら後天のお前の魔法がどの程度か見定めるために来てるからって!」
マリベル?
黒い大人の陰から……ピンクでフワフワの巻き毛の少女が……鮮やかに目に飛び込んできた。
身体中にブワッと鳥肌が立つ。
「だって、全力でやっつけていいって言ったじゃないですかあ!」
「バカ、庶民らしく金勘定覚えろよ!真っ黒コゲの死体よりキレイな状態の方が高く売れるんだよ!」
「えー!だって庶民で終わるつもりないもん。ねえ、多分沼の奥に転がってるから、ちょっと連れてきてよ」
「バカ、ここが限界だっつーの。この沼トランドルなんだぞ!許可なく足を踏み入れてみろ、殺されても文句言えねえから」
「バカはどっちよ。殺されるわけないじゃん。私はヒロインよ!ねえ早く行って!ひょっとしたらあのヘビも聖獣かもしれないじゃん。まあ私にはやがて最強の聖獣が手に入るんだけど、多い方がいいしね」
聖獣!
そうだ!ルー!
思わぬ遭遇で働かない脳を無理矢理動かして、私は足元のルーを覗き込んだ。
ルーは……プルプルと小刻みに震え、片脚を踏み出しては戻し、踏み出しては戻しを繰り返し、スカイブルーの瞳は真っ赤に充血していた。
「ルー?」
ルーの声はかすれていた。
『セレ……おかしい……おかしいんだ。何かの引力によって……見たこともないあの娘に惹きつけられる……あちらに行きたいと心も身体も叫んでいる……頭では今出る時ではないと……わかって……いるのに……』
ああ……
ヒロインの……登場だ……
ルーは本来私ではなくマリベルと相思相愛になるのだ。これはいわゆる……物語の強制補正ってやつなんだ。
ルーが苦しげにグルグルと唸る。そしてマリベルを愛おしそうに眺める。その思いを飲み込むように下を向き、ヨダレをダラダラと流す。
ルーとの出会いから今日までが一気に蘇る。出会いから8年。決して短くなかった。でもヒロインには敵わないんだ。ルーがあっけなくマリベルに堕ちていく。
ううん、ルーは抗ってくれている。私との8年を思い、なんだこりゃって!この運命はおかしいだろって?足を踏ん張って、私の隣に立っている。かつて思い知った。ルーは決して私を裏切らない。
でも……ルーがこんなに苦しむ必要はないんだ。ルーはマリベルのルートであっても、最強でカッコイイ四天の一獣で……幸せに暮らすのだから。ルーはマリベルの世界で……ハッピーエンド。
私と共にいてほしいと思うのは……私のワガママだ。
私はルーの正面で跪いた。
「ルー?いえ、ルーダリルフェナ。行っていいよ。あっちに。苦しまないで」
ルーの真っ赤に染まった瞳が大きく見開く。
「今までありがとう……運命に抗ってくれて……ありがとう……」
ダメな私は……涙をポロリと落としてしまう。
「契約……解除して?……ルー……大好き……さよ……なら……」
涙をボタボタ落としながらじゃ、全然効果ないと思ったけれど、私は笑った。ルーが気兼ねなくヒロインのところに行けるように。私を少しでも憎まないでくれるように。
涙で私の視界はかなり不明瞭だけど……ルーが唸るのが聞こえた。
『…………そういうことか』
ザリッ!
ただならぬ音と共に、血の匂いが鼻をつく。私は慌てて袖で涙を拭う。
目の前のルーは……真っ青な目をギラギラ光らせて……口を真っ赤に染め、右脚から大量の血を流していた。
「ルー!!!」
私は前足に飛びつき止血しようとした。
『触るな!セレ!』
私はビクッと小さく縮こまる。
『癒すな!これで正気でいられる。癒すのは……うちに帰ってからだ!』
ルーが自ら己の脚を噛みちぎったのだとわかった。わかったけれど、理解が追いつかない。
「ルー……どうして……?」
ルーが血まみれの脚を私の膝に乗せた。
『セレ、オレは醜いか?』
私はブンブンと首を振る。
「ルーはいつでも……いつでも世界で一番綺麗だよ」
『ならばセレ、オレの傷に口づけて』
私は何もわからない状態ではあったけど、迷いなく血の吹き出す患部にキスをした。鉄の味で舌が痺れる。
パーンと私とルーの頭上に強烈なまばゆい光の輪が現れた。この光、二度目。ルーと出会ったあの日以来。光輪は私たちの身体を包むように降りて、二つの身体が離れないようにきゅっと引き絞り、すうっと体内に消えた。
私が呆然と佇んでいると、
『セレの血は昔もらった。これで相互の血の契約がなされた。最も強固で対等な契約。セレ……泣くな。オレはセレのものだ』
ルーは穏やかに微笑んで……私に倒れこんだ。
「ルー!!!」
私がルーをギュっとかき抱くと同時に、マリベルの大声が聞こえた。
「何、今の光線!ひょっとして聖獣降臨じゃないの?魔法師様方!行くわよ!」
ザクザク……
不心得者4人がまたしてもトランドル領内に入った。私はルーから眼を離すことなく、頭上に照明弾のごとき合体魔法をぶち上げた。
ドオーーーン!!!
「キャー!なにこれえ!」
「マズイ!」
「逃げろ!」
「あああっ!」
ザッと音がしたと同時に4人は忍び装束の者数名に取り囲まれていた。
おばあさまの草。
私は幻術のみ解除する。認識阻害はそのまま。
トンっと一人の黒の忍び装束の男が目の前に跪く。
「姫様」
「侵入者よ。よりによってこの沼池周辺を守護する銀の小龍様に手をかけた。後は頼みます」
「御意」
私はルーを懐に抱き、全力で跳躍した。




