171 【コミックス二巻発売記念!】ある日のギレン
本編終了から数年後のお話。
ガレの首都ガレアから内陸に馬で三日、という荒涼とした大地を一望する丘に、ギレンはマントをはためかせて佇む。
両隣にはリグイドとアーサー、頭上にはアス。
「俺は殺せと言ったはずだが?」
戦場となっている眼下を見下ろしながら、リグイドに向けて言い放つ。
「申し訳ありません。私の監督不行き届きです」
一週間前、ギレンの長兄、元第一皇子が残党を集めて挙兵した。
ギレンは皇位継承した際に、前王と元第一皇子の処刑を命じ、その他の皇子皇女はリグイドに処遇を一任していた。
「看守が、イ、イグナル様の魔力は殺すには惜しく……魔力を頂戴し、ギレン陛下の御世に役立てようと考えたとのことです。イグナル様の魔力は完全に吸いとって無力化していたらしいのですが、どうやら、イグナル様をまだ担ごうとする者たちが、魔力を与えたようで……」
アーサーが絞り出すように答える。簡単に言えば、リグイドに命じられたアーサーは斬首ではなく服毒にて自決させる決断をしたが、執行役の看守が生き返るような……そもそも仮死状態になるような毒……薬にすり替えて欺いたらしい。
貴族牢は看守も貴族。その看守一人の安直な考えだったのか? 今日の日を考えて仕込んだのか……。今となってはどうでもいい。
「……最低だな。一思いに殺したほうが、よほど人道的だと思うが?」
「浅はかでありました」
囚人の魔力を吸いとって活用する……という方法はこの世界で珍しい話ではない。
しかし、やられた方は生きながらえた分だけ、憎悪も募ったはず。皇帝に一番近いと思われた男だったのだ。
ギレンはアスから聞いた、セレの前世を思い出す。ガレで兵器のように戦ったのち、ジュドールに捕まり連れ戻されて、魔力を吸い尽くされて枯れるように死んだ、とか。
「安易な情けをかけるから、大事になり、死ぬ必要のなかった兵が死ぬ」
元第一皇子イグナルはギレンと最後まで皇位争いをした男。その力はガレで最強だったのだ……ギレンが成長するまでは。
眼下には、本隊到着まで必死で戦った最前線の兵の亡骸が転がっている。いないはずの男による奇襲。防衛は難しかっただろう。そしてイグナルも手下もガレの土地を知り尽くしている。
「……それにしても、このタイミングか」
「ふふふ、とうとうギレン陛下の御世が盤石なものになったと聞き、イグナルの軍勢も焦ったのでしょうね」
ギレンがなんとはなしに呟くと、さもわかりきったことのようにリグイドが答える。
「先のことなどわからんだろう」
「何をおっしゃる。これほどに尊きお方々から愛された未来などありません。あの女獅子には絶対に渡しませんぞ!」
キラッと山向こうが光ったかと思うと、鋭い氷の刃が降り注いだ。
さっと護衛がギレンの周りを囲うが、ギレン周囲を覆う半円形のバリア魔法が完璧に弾いた。
「……あそこか」
ギレンが利き手である左手を真上に向ける。
「陛下! 私が! 挽回させてください」
アーサーがギレンの前に出る。
「アーサー、お前はイグナルの副官だった。斬首するにしのびなく、せめて名誉ある毒杯を、と思ったのだろう。……下がれ」
アーサーの心情を理解できるが、ギレンは皇帝だ。
「だからこそ、私を出してください! 陛下への忠心をここでお見せいたします!」
「……いらん。暑苦しい。アス!」
フワリとアスがギレンの肩に舞い降りた。
「最短で終わらせる」
『まあ、これ以上禍根を残さぬほうがよい。では我は周囲の被害を抑えるために……』
ギレンが振り上げた手を目標地に向け下す寸前、轟音とともに視線の先の山が爆発し、真っ赤な火柱をあげた。
ギレンがゆっくりと後ろを振り向くと、リグイドが、使い込んだ短い杖を懐に戻していた。
「陛下、早い者勝ちです」
アスが煙立つ、山のあった場所を目を眇めて凝視する。
『……おやおや、麓まで生存者はおらんな。終わりだ。最短だった』
ギレンが目を細める。
「リグイド、俺は命じていない」
リグイドは周囲に状況確認と撤収を命じたあと、ギレンの足元に跪いた。
「陛下、陛下自ら血生臭いことをする時代はとうに終わったのです。血の匂いをその身につけて、我らの皇妃様の下へお戻りになるおつもりか?」
「……セレは俺がどんなに汚れようとも丸ごと受け入れる女だが? それに今更だ。セレはこれまでの俺の所業を全て知っている」
「だとしても、敢えて辛い思いをさせることはないのです。致し方ないときもあるでしょう。しかし此度は私で間に合いました」
「人任せにした結果、これだろう?」
「二度と、陛下の信頼を損なう行為を繰り返しませぬ!」
ギレンがふと視線を動かすと、周囲の臣下は全て跪き、頭を垂れていた。
「……そうか。ならば後は任せる。アス、帰るぞ」
『まあ、一理ある。ギレン、お前はもう一人ではない。我らの愛し子のことを考えよ』
アスが七色の翼を広げると、一瞬でギレンは風の渦に包まれ、消えた。
「アーサー……」
リグイドは立ち上がり、地面に手をつくアーサーに向かってため息をつく。
「……若気の至りで……如何様な処罰も……」
「十年以上前の甘ったれ時代の判断とはいえ……お前がこの体たらくでは、いつまでたっても私が隠居できんだろうが! サカキをマルシュから呼び戻すぞ! 全く……」
リグイドはアーサーの腹をを容赦なく蹴り上げた。
◇◇◇
皇宮に戻ったギレンはそのまま執務に戻り、日が落ちて後、私室に戻った。
皇帝の私室には身内しか入れないため従者もいない。
「ギレン、おかえり」
「ただいま、セレ」
パイル地のゆったりとしたナイトドレス姿のセレフィオーネがニッコリ笑って声をかけた。
相変わらず白く毛足の長い絨毯にペタンと座って、ローテーブルに広げた書類……本日はトランドルの収支報告と、ニルバ修道院の子どもらの報告書……と格闘していたようだ。
「ねえねえ、今日はね、初めて……って、ん? 何かあった?」
「毎日いろいろあっているよ」
「ふーん?」
上着を脱いでそれを椅子の背に掛けるていると、セレフィオーネがゆっくりした動作で立ち上がり、いつもよりもゆるやかな歩調でギレンの下にやってきて、じっくりと頭のてっぺんから爪先まで観察し、少し眉間に皺を寄せると正面からギュッと抱きついた。
それと同時にセレフィオーネの魔力がギレン体を薄い膜にように覆っていく。
「セレ?」
「いつにもまして、お疲れみたい……はっ! ひょっとして、内戦もう終わらせたの?」
セレフィオーネが目を見開く!
「ああ。杖を使ったとはいえ、リグイドの一撃で事が済んだとなると、やはりイグナルも全盛期ほどの力はなかったのだろう」
「そっか……」
セレフィオーネはますますギレンに回す腕に、力を込める。
「ギレン……今度はちゃんと、私も連れていってよ。ギレンの心が身内の刃を受けるのが一番イヤ。私だってリグイドよりもギレンを守れる。とりあえず明日は私も行く。戦闘が終わったのなら兵士たちのご遺体を運び出せるのでしょう? ならば……」
ギレンはそっと抱き返し、ちょうど口元にあるセレの頭にキスをする。
「セレは当分遠出も戦闘も禁止だと、エルザに言われているだろう?」
セレフィオーネがムッとした声で言い返す。
「ギレンが心を痛めているときに隣にいないなんて、結婚した意味がないでしょっ!」
セレフィオーネだけはギレンのために笑い、泣き、憤る。そう思うと何度も無くしたと思っていたギレンの心が温まる。
「わかったわかった。でも、俺も行くことはない。なんでもかんでも俺たちが出てはいけないと、仕事を部下に任せろとリグイドに怒られた」
「……難しいよね……人にお願いするって。これまで一人で歯を食いしばって戦ってきたのだもの……」
セレフィオーネはギレンの肩に手を置いて背伸びをする。察したギレンが屈んで待つと、ギレンの目元の傷にキスをした。『おまじない』がギレンの心身に染み渡る。
「じゃあご飯にしよう? 今日はね、サカキさんからマルシュの醤油もどきが送られてきたから、すき焼きなんだ〜」
セレフィオーネは時間があるときは今でも自ら料理をする。ギレンが毒を気にすることなく食べられるように。
「ルーが喜んでるだろう。もう食べたのか?」
「ギレン、いくらなんでもすき焼きは早いわ。今はミユと遊んでる……お腹もふくれて二人で寝てるかも? ミユはルーに相変わらず夢中なの」
皇帝の私室にそぐわない、小さなキッチンにゆっくり向かうセレフィオーネの後ろ姿を眺めたあと、ギレンは己が幾重にも厳重に結界をかけた奥の寝室の扉を開けた。
薄暗い部屋を進み、柵のついたベッドを覗き込む。青白く発光しているミユが鎌首をもたげ、脇によける。
「……ただいま、ルミア。俺の天使」
神話に出てくる最も尊きものの鬣に似た、透き通るような柔らかい金髪に、ギレンはそっとキスを落とした。
お祭り、楽しんでいただけましたか?
今後ともセレとルーと「転生令嬢は冒険者を志す」を
コミカライズ共々どうぞよろしくお願いします_φ( ´ ▽ ` )