166 【stay home企画】アルマ・マクレガー少尉の憂鬱 (中)
馴染みのトランドルの森での採取依頼だったというのに、思った以上に疲労がのしかかる。マルとシューになけなしの魔力を奪われたから?でもあれだけ私にひっついて癒してくれたのだから、全く問題ない。
とはいえ、隊舎に帰るには遅すぎる。私は王都の父のタウンハウスに戻ることにした。
父は私が騎士学校を卒業したときに、そこの二階の一部屋を私のために空けてくれた(セシルも泣いてすがって私の隣の部屋をもぎとった)。
私は騎士学校時代に集めた可愛らしいもの、セレフィーや先輩たちとの思い出の品などをそっくり移し、今ではその部屋が私の心のよりどころだ。
裏手に回って厩で一通り馬を世話してねぎらっていると、裏口が開き、明かりが差した。
「誰だ!……アルマ?」
「お父様!」
私は馬におやすみと背を撫でて、父にパタパタと駆け寄り、ともに室内に入る。
「アルマ……こんな夜更けに年頃の女性が一人歩きなど危ないじゃないか!」
父が眉間にシワを寄せて叱ってきた。
「お父様こそ、なぜ?宰相公邸にいらっしゃるとばかり」
てっきり無人の家への帰宅と思い込んでいた。
「……たまには仕事から離れたいときもある。その格好はトランドル帰りか?ひとまず汗を流しておいで。全くかわいい女の子が遅くまで何をやってるんだ……」
ぶつぶつと独り言をいいながら、護身用の剣を片付ける機嫌の悪そうな父の様子に、私は大急ぎで身体を清めた。セレフィーにもらって以来愛用しているマーカスのグリーンのパジャマを着て、カチャカチャと音のするダイニングキッチンに小走りで向かう。
父は私がいつかの誕生日に贈った、やはりマーカスのグレーのパジャマにエプロン姿で、フライパンを握っていた。侯爵家出身とは思えない光景だ。まあ私たちはとうにそこに背を向けたけれど。
素朴な白木のダイニングセットに静かに座ると、丸いパンに焼いたベーコンと卵を挟んだホットサンドを私の目の前にドンとおかれた。トクトクトクとミルクも注がれる。
「食べなさい!全くこんな疲れさせて、陛下め……アルマもアルマだよ?週末はしっかり休まなきゃダメだろう!何、ギルドでまで働いているの!」
「だ、だって、早くランクを上げなきゃ、活躍するみんなに置いていかれ……」
話の途中で、香ばしい匂いにお腹がぐーと鳴る。頰が熱くなる。恥ずかしい。
「い、いただきます」
一口カプっと噛みつく。熱熱だ。
「どう?」
「とっても……マスタードが効いてる……美味しいです」
「ゆっくり食べなさい」
そう言いながら父は向かいに座った。手には私がいつか作ったグラス。何か透明のアルコールが入っているようで、氷を鳴らしながら飲んでいる。
父はこの数年、通いの家政婦さんはいるものの、ここで一人で研究三昧の生活をしてきた。宰相公邸でたくさんの使用人に囲まれて過ごすことが息苦しいのかもしれない。マクレガーの本邸を思い出して……それは私も同じ。久しぶりの父は白髪が少し増えて、顔がくすんでみえる。
そんな父を眺めながら、モグモグ食べる。今日はあのマルの果実以外何も口にしていなかった。お腹が空いてるわけだ。
そう言えば、マルの果実を帰りぎわ、あと二個もいでギルドに持ち帰ると、オリエンの実という名の、稀少な果実であることがわかった。
『ほれ、神殿に、疲れ果てた旅人に女神が水分代わりに施している絵が飾ってあるじゃろ?あの実じゃ。食べ頃にならんと赤く目立つ色にならんから気がつかない。その食べ頃はせいぜい二日。なかなか手に入らん。さすが精霊の導きよのう。これはアルマが持ち帰れ。お前のためにこの子らは見つけたのじゃ。流通させてよいものじゃない。傷む前にさっさと食べるんじゃぞ?』
と、ジークギルド長が膝に抱いたマルとシューを撫でながら教えてくれた。私はマジックルームから一つ取り出す。
「お父様、これ今日の森のお土産です」
父が眼鏡をかけ直す。
「……なんだろう?見たことないね」
「ジークギルド長によるとオリエンの実だそうです」
「……まさか、〈旅人の実〉か⁉︎」
すごい、なんでもご存知だ!さすがお父様!
「もいだ瞬間から傷みだすそうなので、急いで食べてください。あ、私は食べましたので遠慮なく」
「なんと……」
父は研究者らしくあらゆる角度から眺めまわして、静かに頭上に戴いて祈りを捧げてから、そっと口にした。そして目を丸くする。
「なんとも瑞々しく、押し付けがましくない味……身体に直接染み渡っていくようだ。……はあ。私も慣れない宮使えに疲れていたようだ。イライラして逃げるように今日はここに帰ってきたのだが……かわいいアルマも戻ってきてくれて、〈旅人の実〉を与えられ……女神はちゃんと見守ってくださっているのかもしれないね」
父がいつもどおり穏やかに笑った。少し顔色も明るくなった?それにしても、
「私なんかに会えて、疲れが和らぐのですか?」
つい鼻で笑ってしまった。
「私なんかってなんだい?アルマは私の最愛で自慢の娘だ。嬉しいに決まっているだろう?」
「ですが……私は一人、くすぶっております。セレフィーもエリスさんもササラさんもニックもエベレストも……セシルすらそれぞれの持ち場で輝きながら前進しているのに……」
父はそっと私の手を両手で包んだ。
「アルマの……控えめな性分は、私に似たのかもしれないね。かつて私の周りも華やかだった。輝かしいトーマス殿下、美しく溌剌としたリルフィオーネ、そして我々を先導するギルバート殿下……私には眩しくて仕方がなかった」
父は懐かしそうに目を細める。
「やがて我々はいろんな思惑のせいでバラバラになり、悲劇に見舞われた。私はそんな事実に目を背け、一人引き篭もった」
グラスを傾け一口飲む。氷がカラン、と音を立てる。
「皆、気弱な私に優しく、親愛の情を注いでくれた。私の前で口論することなどなかった。そんな非力な私ならばこそ、ドンドンと立場を変えていく皆をつなぐことができたのではないか、支えることができたのでは?皆が肩の力を抜いて集える場所を用意できたんじゃないか、と今でも後悔に苛まれる」
自重気味に笑った父は、私と目を合わせた。
「……今の私の幸せはアルマが笑っていることだ。アルマが今後幸せに過ごしていけるように、陛下の元で働いている。陛下とは見つめる先が一緒だからね。ようやくこの歳にしてたどり着いた、私の生きる道だ」
「お父様……」
「アルマ、お前が外で活躍したいというならば、私はいくらでもサポートしよう。軍籍が邪魔ならば辞めてもいい。お前の教育にかかった費用は私が返還する。でもね、アルマはまだ若い。アルマが今もエルザ様を目標にしているのなら、もう少し軍で実務を経験したほうがいいと思うよ?」
そうだ。私の目標はエルザ様のような、信念を持って国を守り抜く本部参謀。見失っていた……。思わず俯いてしまう。
「それにね、皆が輝くために、敢えてその場に踏みとどまり、持ち場をつつがなく守ることも大事なことだ。地味だけれど誰かが灯台守をしなくては、外に出る役回りの人間は安心して羽ばたけない」
そういえば、父は前宰相と180度違って、必要最小限しか表に出ない。表舞台は全て陛下のものだ。
「足場を固めて……いつでも持ち場を万全に保つことも、大好きな人の助けになると?」
「そうだ。でもそれも簡単なことではない。高波に呑まれることも、仲間の留守を狙って襲われることもある。甘言に誘惑されることもある。常に情勢に敏感でいて、己を鍛え続けなければ。忍耐力も必要だしバカでは務まらない。愛するもののためでもなければやってられないね」
「私に……そうなれと?それがつとまると?」
「もちろんつとまるよ。努力と……辛抱が伴うけれどね。アルマならばそれができると信じて、陛下もお側に置いている。信用できるものが少ないというのも残念な事実だけれど、無能な人間を使う余裕など、陛下にもないんだよ」
父は右手で、私の前髪を横に流し耳にかけて、そのまま不器用に私の頭をゆっくりと撫でる。幼いころの私がして欲しかったこと。
「エルザ様を目指すということと、皆のホームを守ることは相反するものではないよ。ときに華やかな世界を闊歩する友を羨む気持ちで心が荒んでしまうこともあるだろうけれど、そのときは……私とアルマ、地味親子同士で派手なセシルに八つ当たりでもしようか?」
「……それ、セシルなら案外喜びますよ?」
「そうか?まあじっくり考えなさい。慌てる必要はない。アルマには時間はまだ十分あるのだから。頑張るのもいいけれど、休息もとること。人のこと言えないけどね」
「……そうですね」
私はようやく……ちょっぴり微笑むことができた。
そんな私を見て、父は頭を撫でていた手を移動させて私の左頰を包み、愛おしげに笑った。
「どんな選択をしようとも、私はいつでもアルマの味方だ」
胸がバクバクと鳴る。不意打ちなんて卑怯だ。
私は父の温かな手の上に、自分の手を重ねた。




