156 【2巻発売記念!】前世のギレン、前世のセレーpart2
「セレフィオーネがジュドールに捕まった?確かか?」
執務室でギレンはアーサーに片眉を上げて返答を促す。
「はい。複数の私の部下が確認しております」
「なぜ王都近郊になどに向かった?」
「……おそらく、功を焦ったのではないでしょうか?」
ギレンが左手のペンを置き、ギッと音をたてて、黒い革張りの椅子に背中を預け、デスクの向こうで直立しているアーサーを見上げた。
「そうか……あれはまだ必要だ。アーサー、連れ帰ってこい」
「なっ……お待ち下さい。なぜ私が?」
「お前が上官だからだ。俺の副官で第四大隊の大隊長?責任を取れ」
「…………」
アーサーが下唇を噛み、己のつま先を見つめる。
「……やはりか。ふう……お前がここまで愚かとは。やれやれ……セレフィオーネがいない以上、この戦いの勝機は消えた」
「バカな!あのような裏切りものの小娘などおらずとも、ガレが総力を上げれば!」
ギレンは口の端を引き上げた。
「これまでの戦況を見てなぜわからない?兵の質、量、そして金もジュドールの五倍はあった。それなのに、最終盤面で必ず「奇跡」が起こってひっくり返るのだ。それに洗脳レベルの情報操作。もはや通常の戦いではない」
「で、ではなんだと?」
「人でないものの加護の加勢。わかりやすく言うならば聖獣やらなんやらだな」
「我が国の霊鳥様のような?」
「俺がジュドールに留学していた頃は腐った貴族はいたものの、まだまともだった。あれから10年、セレフィオーネはジュドールとその中枢の人間たちがおかしくなる様をつぶさに見てきた。そして〈使役〉していた西の聖獣を奪われた。あの底なしのセレフィオーネを上回るパワーで。常識では考えられん。セレフィオーネは我々サイドで薄気味悪い敵の正体を漠然とでも知っていた唯一の人間だったのだ。そして敵を動揺させることができたかもしれない、最も重要なカギだった。ただの第一級魔法師をスカウトしてきたとでも思ったか?」
「あ……」
「目に見えない強制力が働いている、と俺に結論付けさせたのもセレフィオーネ。お前は俺たちのボードゲーム中の会話をすぐ横で聞いていながら、何も思うところはなかったのか?夜な夜な、これまでの〈使役〉〈契約〉者特有の技能やそれぞれの国の神話をすり合わせ、存在しうる未知なる力について仮説を立てていただろう?」
「ただのおとぎ話だと……おとぎ話を語るのに、意味があるなどとは……で、ですが、一度国を裏切った女!また簡単に裏切りました!」
「俺を相手に裏切ることができるとでも?……ああ、確かに身内に何度も裏切られてきたか……」
「ひっ……」
アーサーは思わず一歩後ずさる。
「気にくわないからとこんな中途半端なところで殺す命令を出さずとも、もっとも効果的な場面で、あれは進んで囮となり死んでくれたぞ?……この極悪非道と言われる俺に真っ直ぐな瞳を向けて、命を捧げると誓ったからな」
「…………」
「で、アーサー、セレフィオーネは俺に何を残した?」
「な、何も、大したものなど……」
「価値を決めるのは俺だ。早く出せ」
アーサーは慌ててドアの外に控えていた兵を使いにやり、取って来させる。茶色い封筒をギレンに差し出す。
「……髪か。あの晩の賭けの……つくづく面白い女だ。完璧な、おそらく聖獣の好む魔力が潤沢に残っているな……セレフィオーネ、使わせてもらうぞ」
ギレンは立ち上がり、マントを身につけた。
「ど、どちらへ?」
「……霊山ベルーガ。我らの霊鳥の元へ。この髪を使い霊鳥を呼び、あれの悲劇……真実をつきつける。そしてあのジュドールの、突如現れた怪しい女を取るのか、ガレの守護神としての立場を取るのか問いただす。ガレを取らねばその場で殺す。俺につけば……摩訶不思議な正義を振りかざしガレへの侵攻を繰り返し、この理不尽な戦いを強いるジュドールを、霊鳥の蒼炎で焼きつくす」
ギレンは淡々と話しながらアーサーの横を通り過ぎる。
「お、お待ち下さい!」
「ついてくる必要はない。この機に私怨で動く人間など、苛だたしいだけだ」
「ギレン陛下ーー!!!」
ギレンは執務室を後にした。
一人、マントを翻しながらカツカツと歩き、つと通路の窓から曇天の空を見上げる。
「セレフィオーネ……俺と同じ眼をしていたな……孤独と絶望を知る女……。まあすぐに逢えよう。地獄で。ははは」
ギレンは、ぎゅっと左手にある黒髪を握りしめた。
「お前は俺に本物の忠誠を誓ったただ一人の人間。あれほどの裏切りを受けてなお、哀れなほどに真っ直ぐで、言葉には何一つ嘘がなかったな……。俺もお前だけは裏切らん。仇は討ってやる。先に逝って待っていろ。お前は俺の生涯唯一の道連れだ」
ギレンのアイスブルーの瞳は……完全に凍りついた。
◇◇◇
眼を覚ます。まだ夜は明けていない。寝所を包む強固な結界も破られていない。
(夢?)
天井の木目を睨みつけ、二度と忘れないよう記憶を縛る。
(今の映像、あまりにリアルだった……これがもしやセレの言う『前世』か?)
最初から反芻する。
(この場面ののちに、『時戻し』ということか……)
顎を引き、そっと左に顔を向ける。己の腕の中で、この世界で唯一無二の存在が夫の胸の上に手を乗せて、スヤスヤと、命を委ねて、眠っている。
お互い歳を重ねたがセレフィオーネの髪はまだまだ黒く艶やかで、ルーの瞳の色のシーツにさらりと広がっていた。
(あの若き日、マルシュにてこの髪が短くなり、頰に傷を負ったセレを見たとき、制御できないほど胸が軋んだのは、深層にあったセレを失うこの記憶のせいか……)
ギレンはセレフィオーネの髪を一房とり、そっと口付けた。
(何故、今?女神の意思か?)
新興国がガレとの国境近くで紛争を起こし、少しずつ膨れ上がっていることが頭をよぎる。各国の協定を無視する常識の通じない厄介な輩との情報が上がっていたが、ガレの領地に入っていないので静観していた。愚かにも踏み入れたか?
(……心配せずとも、小者相手に焼き討ちなどしない。ぼちぼちアーサーを現地に向かわせ鎮圧させるか。ジュドールのセシルあたりと連携して挟み討ちさせればさほど時間もかかるまい)
ギレンが起きると、眠っているギレンの鼓動を確認するほど心配症のセレフィオーネも眼を覚ます。セレは夜遅くにトランドルから戻ったばかり。全ては夜が明けてからで十分。
慎重に最愛の妃を抱き寄せる。するとセレフィオーネから、全ての聖獣を虜にする、穏やかで温かい魔力が溢れ、ギレンの身体を包み込む。無意識に、ギレンを守るように。
アスによると、セレフィオーネは生死の境に女神の庭で、ギレンを纏う風になりたいと願ったらしい。
「……まったく」
セレフィオーネの胸元のプレートを右手で取り出し握りしめ、ギンッと魔力を込める。そして額にかかる髪を上げ、女神の聖痕の下に唇を落とし、己の魔力を流す。他の入る余地がないほどに埋め尽くす。
(セレさえいれば……この世もさほど悪くない)
セレフィオーネの身体に腕を回し、もう一度目を閉じる。
(俺とセレを引き離しさえしなければ、大人しくしているさ。安心するがいい……)
厚いカーテンの向こうで輝いているであろう、細い月に向かって呟いた。
二巻、無事に発売されました!
重ね重ね、皆さまのご愛顧に感謝いたします。
今後とも、web、書籍、コミカライズのセレとルーをよろしくお願いいたします
_φ(*´꒳`*)




