140 『時戻し』を知りました
もう一度『時戻し』?
何もかも、この世界にマリベルが転生するところ……私が生まれる前の状態まで戻すの?
そ、それはどうだろう?今回せっかく、無傷とは言わないまでも、マリベルの影響を受けない、明るい未来の兆しが見えてきたんだよ?次回、今回よりも上手く行くって保証はないでしょう?サンプルがあるとはいえ……。
それに……今回の私の人生、なかったことになっちゃうの?全くの白紙?ルーと必死に修行して、しんどい思いして、歯をくいしばって生きてきたのに?そうだ!ルー!
私は慌てて立ち上がった。
「め、女神様!ルーもアスもミユもみんな私のためにタール様と戦ってくれたのです!お願い、天罰を下さないで!全部、全部私がその責めを負います!」
『いかような理由があろうとも禁忌は禁忌……何故罪を被ろうとする?』
マガン様が背中から灰色の瞳で覗き込む。
「だって、だってルーと私は一心同体だもの!」
『死んだのに……か?』
死んだら、もう、ルーのことに口を出しちゃいけないの?一心同体じゃないの?嫌だ!
「死んでも…死んでもルーは私の半身。ルーの罪は私が共に背負うべきもの。私がどんな罰でも受け入れます!お願い!どうか、ルーとアスとミユに……これからは穏やかな……時間を過ごさせて……」
私のために、本来四天の一角としてドーンと構えて生きていられたはずなのに……たくさん苦労させたから……。
『セレ……おまえがいないのに、穏やかな余生を過ごせると思ってるのか?契約者に死なれた聖獣など哀れなものだ……』
キラマ様が遠い空を見つめる。昔、悲しい別れがあったのだろうか。
天命でない契約者の死は聖獣の魂を喪失させるとアスが言ってた。喪失ってどういう状態を指すのかわからない。でもルーやミユが失意のうちに消えてしまうの?
そんなことさせられない。やはり、『時戻し』して、私と契約などしなかったころに戻してあげるべき?
白銀の雪の上をピョンピョン駆けるルーを思い出す。
かぐわしい小さい野花の生い茂る中、小龍様の背で幸せそうに丸くなるミユを思い出す。
あの、私と関わりのない、可愛い頃に戻してあげるのが、正しいの?
ああ、ダメだ。忘れたくない忘れられたくない。一緒に過ごしてきた日々は、私の宝物。無かったことになどできるかっ!ああ、お願い……私のエゴだけど、私のルーでいて……
「月の女神様……『時戻し』しないで……私、私、十分に幸せだったから!父と兄と祖母に愛され、ルーと出会えて、かわいいミユに慕われて、アスに可愛がられて、ギレンと婚約できた」
涙がこぼれる。
「今回で成功です!だから、お願い!このままで!私を少しでも哀れに思ってくれるなら、残された皆を幸せにしてあげて!私と一緒に打倒マリベルに、この世の平和に貢献したでしょう?新しい契約者を、新しい家族を迎えさせてあげて!私が天罰でも何でも全て背負うから!だから……」
愛するみんなを、幸せに……
キラマ様がフウとため息をつき、首を振った。
『人の世話ばかり焼くのだな、自らのことは後回し。それ故にこのような優しき澄んだ魔力で、我々の側でも平気でいられるのだが……寂しきことよ』
『セレフィオーネ、新しい契約者を得て、ルーダが幸せになれると思っているのか?あのギレンがお前抜きで壊れずにいると思うのか?お前が自分を庇って死んだというのに新しい伴侶を迎えるとでも?そう想定しているのならばお前は愚かだ。身の内の魔力に向き合ってみよ!!!』
マガン様が牙を剥き唸った。とても怒ってる。
私の身の内の魔力?探ればいいの?目を閉じて、心臓に意識を集中する……。
あった。ルーの清々しいやつ……ああ……怒りや悲しみが渦巻いてる……それを覆うように黒く存在するのは……無力感?
ミユのお花の魔力 ……元気いっぱいのミユのお花が枯れてしまいそう……どんどんと芳しい香りが薄れていく……己への失望?
そして、ほろ苦いコーヒー味のギレン……ああ、荒れ狂ってる。心の痛みが私の胸にも突き刺さる。この世界への憎しみと虚脱感で、私の大好きな、ホントは静かに甘いギレンが……塗りつぶされる。
『ルーダとお前は一心同体。その字のごとく心が繋がっている。お前の成長を見守りこれまでの想いを全て知り尽くしたルーダがお前を断ち切り、新たな契約を結ぶわけなどない。あれは一途、あれのお前への愛を舐めるな。今お前が感じ取ったものは、ルーダの絶望だ』
あの場では、ああするしか、ギレンの前に飛び出すしか息ができなかった。
みんなをこんな苦しめるつもりなどなかった。
どうしたらみんなの心を軽くできる?
やっぱり『時戻し』しかないの?みんなに笑って生きてもらうには、私は最初からいなくなるべきなの?
……きっと、そうなんだ。そもそも、もう死んでるんでしょ?
ならば、最初からいないことになっても、結果一緒か……
ああ……やはり、断罪の17歳を無事終えることなどできなかった。
前世で死んだ18歳よりも短命だなんて。
それらを乗り越えての19歳での婚礼……見果てぬ夢だった。
でも、夢でもいい、ギレンのお嫁さんになるって夢が見られただけで十分。
夢の中で、私は何度となくおばあさまが用意してくれた真っ白なドレスを着ることができて、その横には……
ああギレン……あなたを、傷だらけのあなたの心を、この私が傷つけるなんて……
できない。できっこない。
顔を上げ、女神に願う。
「『時戻し』、了解しました。3回目こそ、成功しますように」
『……それで?』
「でも、もう転生しなくていいです」
『……彼の地……地球に戻るということか?』
「時間の流れはよくわかりませんが、今更地球に戻っても、きっと愛する人はもういないでしょう。そうじゃなくて、ギレンを守護する霊魂にしてほしいのです」
『霊魂?』
女神が首を傾ける。
「あ、でも幽霊みたいなのがギレンにつきまとっていたら、アスに追い払われちゃうかな?じゃあ……風!温い風になって、ずっとギレンのそばにいよう!」
名案だ。
地球の前世で、死後、風になっていつまでも家族や愛する人を守るって歌がいくつもあった。私も風になって、空気になって、ギレンをそっとずっとあっためて、ギレンの瞳を冷やすことなく次世は最後まで一緒にいよう。約束したもの。誓ったもの。二度とギレンをひとりぼっちにしないって。
『待て!ルーダはどうする!』
「ルーとギレン、比べて選ぶわけじゃないの。でも私しか、ギレンの孤独はわからない。戦場でただ一人血まみれになる……後ろにも味方などいない、底なしの孤独……」
身内に背を向けられる衝撃、殺さねば殺される無情、国のために恨みもない只人を殺し濁っていく心、陰で人殺しと怯えられすり減る魂。
私とギレンの孤独という悲しい共通項。
今世、私は家族に愛されて幸せだった。……その事実は消え去るけれど、そのたっぷり受け取った愛をギレンに渡すの。私だけしか信じられない、捻くれ者で、実は愛したがりの、愛する、ギレン。
前世あなたは裏切らなかった。今世そればかりか無償の愛をくれた。
二度とギレンを孤独の海に戻さない。
「ルーには、マガン様も女神様もいるもん。ルーを……よろしくね」
私はなんとか笑った。
『セレフィオーネ……』
「女神様、お願いします!あ、できれば、私の記憶は残して欲しいなあ……どうせ無機質なら誰とも話せないからいいでしょ?ふふ……」
急にマガン様が後ろから私を片足で抱き上げた。そして私の顔をベロリと大きな舌で拭った。私はまた涙を流してた。
『女神よ……御慈悲を……』
マガン様が私の額にマガン様のそれを押し当てた。ルーに似た、けれど少し厳めしい魔力が流れてくる。
『この女神の庭で、こうも涙を流すのか……ここは魂が揺さぶられぬよう調和された特別な空間というのに……お前の心はどれほどまで深くえぐられているのか……女神よ……』
キラマ様のお声が震える。
『風になりたい……か……もう人であることに疲れたか?』
女神に凛とした、でもどこか労るようなお声で尋ねられる。
そうなのかな?そうなのかもしれない。
『逃げるか?セレフィオーネ!』
マガン様が咎めるように唸る。
逃げることになるの?人であることから?私はズルいの?……今更だよ。私は昔からチキンで弱い小市民だ。
『我の子らがこぞって虜になる所以がわかった……正直で聡い。弱さすら清い』
女神が優雅に首を振る。鬣から金が散る。そしてゆっくりと自らマガン様に抱え込まれた私のもとに歩みよられた。
『マリベルは彼の神の愛し子。だがそれを言うならばセレフィオーネ、そなたも決して引けを取らぬ。ルーダリルフェナに、ミユ、アスカリエラだけでなく、表では鬼籍であるキラマゲルドとマガンバル、我が分身である五柱がそなたを愛しいと、そなたの心の平安を今この時、一心に願っている……我々はみだりに感情を揺らす存在ではないというのに……到底無視できぬ』
女神の金の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
『セレフィオーネ、そなたの願いを叶えよう。とびきり優しく軽やかな、ギレンを温める風に生まれ変わらせる。約束だ』
女神の瞳から金色の涙が一粒落ちて、私の全身にミストのように降り注いだ。光のベールに包まれる。
約束が叶えられたと肌で理解した。
『女神!待たれよ!』
『女神!違う!何か他の手立てが……』
マガン様とキラマ様が慌てたように言い募る。
『他などない。セレフィオーネの希望を叶えることが、これまでの辛苦に報いること。セレフィオーネ、自由に我の地を駆け抜けるがいい……安らかに……』
女神がカツと前脚を鳴らした。全身から圧倒的な光が放たれる。壮大な魔力の放出とともに訳のわからない魔法陣がズンズンズンと複数空間に重なって浮かぶ。
『時戻し』がかかった!!!
私の身体も眩く光り、一瞬で元の大きさに戻り……髪がフワリと舞い上がり、マガン様の温かい胸元から離れ、宙に浮いた。




