137 【書籍化記念!】前世のギレン、前世のセレ
「おい、客人、陛下がお呼びだ」
ドアの外から声をかけられ、ゆっくりと目を開ける。視界には薄汚れたベニヤの天井。セレフィオーネはゆっくりとベッドから足を降ろす。
ノロノロと洗面に行き顔を洗い、汚れがついていないかチェックし、髪を襟足で適当に結ぶ。シャツとベージュ色のパンツに浄化をかけて、とりあえずこんなもの。
案内された場所は、皇帝の執務室の隣の狭い談話室。
「遅いぞ、セレフィオーネ」
黙って頭を下げ、陛下の向かいの一つだけの椅子に腰掛ける。初回、立ちっぱなしでいたらかなり不機嫌になられたので、大人しく座るようになった。
「何を飲む?」
「お水をお願いします」
酒瓶の隣のチェイサーを指差す。ここはアウェーではないがホームでもない。酔い潰れたら殺される。
「ダメだ。付き合え」
まあ、死んでもいいけれど。
「グランゼウスウイス……いえ、陛下と同じものを」
ギレン陛下は右眉をピクリと上げたが、追求することもなく、私に赤ワインをついだ。
カチンとグラスを合わせ、一口飲む。マズイ。
「ふふ、セレフィオーネはお子さまだな」
「まだ17歳ですので」
「そうだった。まあオレは17で一通り飲めたがな。酒の味がわからねば毒がわからん。……では、此度の戦果を報告せよ」
「……私はジュドール東部のミラギ領より小隊を率いて潜入し…………」
「最後は村を焼き払ったか?」
「……ご命令通りに」
まあ既に、兵士以外の住人はいなかったけれど。ジュドールはガレの動きを読んでいたようだ。
ガードナー王子の采配なのだろうか。
出来るだけキレイな手で戦争を終わらせたいの?マリベルのために。
私が殺した数千の命の半分はあなたの罪でもあると思うのだけど……私はあなたの名代で戦地に行ったようなものなのだから。
「土地勘のあるセレフィオーネがいて助かるよ。久々に故郷に戻り、里心がつかなかったか?」
「……何もかも、遠い、霞の向こうのような心境です」
「現実味がないか?」
「そう……ですね」
「おまえは人殺しだ。セレフィオーネ。自分を誤魔化すな。命令であり責任はないとはいえガレの民をどれだけ殺めてくれたと思っている?そしてそんなお前を寝返らせて、ジュドールの民を殺すように命令を下したのは俺だ。俺のほうが罪深い。殺した人間の数で言えばお前の三倍。だがそれがなんだという?ただ黙って何もせずに殺されればよいというのか?俺は俺より劣る人間のせいで命を落とすことを良しとしない。オレを殺そうとしたやつ全てを返り討ちにし、ジュドールを跳ね除け、ガレを平定した後なら、喜んで地獄の業火に焼かれよう」
今、この時も既に地獄の中ではないのだろうか?私も、陛下も。
「セレフィオーネ、お前はジュドール攻略にまだ使える。勝手に死ぬなよ」
どんな理由にせよ、私が必要だという。生きろというのはもはやこの恐ろしく悲しい男ただ一人。
私は敬意を示すためにグラスを軽く上げた。
「では、セレフィオーネ、前回の続きだ」
陣取り合戦的なテーブルゲームを副官がそっと運んできた。
「……先週、私がチェックメイトしたと思ったのですが?」
「あれは無しだ!寝不足だったからな。2手前からスタートだ」
まあ、いいけれど。私はクスリと笑った。
「今夜は何を賭ける?」
もはや価値のあるものなんて何一つ持っていないのだけど。お金はそもそも陛下から頂いた給金だ。
「では……私の髪でよろしいですか」
長く艶やかな髪は裕福な貴族令嬢であることの象徴。そこから外れた今、どうでもいい。黒髪はこの大陸では珍しく、髪にボリュームがなくなってきた少数派の黒髪のご婦人の髷に重宝される。
「……よかろう。ではオレも髪をかけるとしよう」
陛下の髪は私の真っ黒なそれと違い、眩く輝く銀髪。この人は何を言ってるのだろう。というか、
「いりません」
陛下の髪をもらってどうしろというのだ?のど飴の方がよほど役に立つ。
「文句は勝ってから言うがいい。俺からだ」
陛下が駒を動かす。なるほど、この手できたか。それならば……
少し赤ワインを口に含み、私も駒を前回と違う場所に置いた。
……このゲームもお妃教育で叩き込まれた。一時期ガードナー殿下がはまって、毎日毎日相手をした。飽きることなく。
駒を台に置く、カツンカツンという音だけが響く。
陛下がクスリと笑った。珍しい。
「何かおかしいですか?」
「いや、あまりにお前の攻め手が真っ直ぐすぎるゆえおかしかった」
「その真っ直ぐすぎるおかしな手に追い詰められていらっしゃるのに何を」
「おい!」
私の物言いに副官が睨みつけてきたが、陛下は手をヒラヒラと動かし終わらせる。
「アーサー、興が冷めることをするな。これで、どうだ」
カツン。
「……なかなか捻くれた手ですね」
「これまでどれだけ裏切られてきたと思っている。真っ直ぐな戦い方など忘れたわ!そもそも今回の戦も元々ジュドールがうちの霊鳥を奪いに武装して霊山ベルーガを襲ったことが始まり。そのくせに何故か我らがジュドールを侵攻したような構図になっている。納得いかん。最近は納得いかないことばかりだ。どこかの誰かのいいように動かされている駒になったように思える」
陛下が手の内の黒い駒をクルクルと回し、身に覚えあるだろ?とばかりに片眉を上げる。
「……ガードナー王子の慈悲深い新しい婚約者様は、霊鳥様と仲良くなりたかったのでしょう。全ての聖獣は自分の元にいることが幸せだとお考えのようでした」
「強欲なことだ」
美しい空色の瞳の私の聖獣を思い出す。あの女の足元に侍るルーダリルフェナを見たときに燃えるような嫉妬を感じたものだ。でも、今は……幸せであればいい、とぼんやり思うだけ。
私はしばらく考えて、駒を置く。
「はあ……これほどまでに裏切られてきたというのに、こうも正攻法ばかりだと逆に心配だぞ?」
「不器用なのです」
己の生き方など、そうそう変えられない。
「……ふふっ、セレフィオーネ安心しろ。俺はお前を裏切らぬ。俺がお前を殺すことも、お前を殺せと命令することもない。約束しよう。もしお前が死ぬ時はお前の力不足と不運のためだ」
私は呆気にとられて……思わず笑えた。
「違いありません」
「陛下、そろそろ……」
副官が声をかける。
「セレフィオーネ、またな」
私は深く礼をして退出した。
ドアを出た瞬間、副官に腹を殴られる。
「う……」
「ふん、この程度も避けられぬとは」
「……魔法師ですので」
悟られず、治癒魔法をかける。
「陛下のお声がかかるからと言って……いい気になるな!売国奴!」
「……」
「お前には明日から、ジュドールのシリル地方に入ってもらう」
隠れるものなどない、王都近郊の乾燥地帯。
「陛下のご命令ですか?」
「陛下に副官および第4大隊の大隊長を拝命している、私の命令だ」
なるほど。
「了解致しました」
多くのかつての知り合いの前に引きずり出される。
せめて、かつて愛した人々の前で美しく死ぬことができればいいけれど。
『勝手に死ぬなよ』
先程の陛下の声を思い出す。私以上に、孤独を知る、決して裏切らない人、そして……
「残酷な人。私の逃げ道を塞いでしまった」
次の対局に出向けぬ以上私の負けだ。
私は太ももからナイフを取り出して、一本に紐で結んでいた髪を根元から、ばっさりと切った。
明日より本編に戻ります。




