106 マーカス商会に行きましたーpart2
「セレフィオーネ様ーー!」
マーカス夫人がふくよかな体で私を抱きしめ、泣きだした。もうこの人との付き合いも長い。かわいいおばちゃんだ。ルーが慌てて私の肩から頭に移動する。胸もとのミユが押しつぶされて、ぐえっと一言。
私より大きい背中をトントンとすると、涙でぐしゃぐしゃの顔を挙げる。
「セレフィオーネ様が、トランドルの領主ということは、我々のエルザ様は?エルザ様は?ううう……」
「マーカス夫人、おばあさまは……やがてまたこちらに伺うから、安心して?」
「ということは……ああ……エルザさま……」
マーカス夫人がヘナヘナと足元に崩れ落ちる。
私に付き添ってついてきてくれたササラさんが、優しく夫人を抱き起こし、そっとソファーに座らせた。
ガードナーの避難勧告に従い、あらゆる学校は休校、王都を離れることができるものは郊外へ逃げた。流通は不確かになり人通りもまばらな王都のど真ん中にあって、マーカス商会は燃え落ちることもなく、この内戦の中、しっかり店を開けていた。
「よかった。エルザ様、ご無事で。手前どもがこうして商売できるのも、エルザ様がご贔屓にしてくださるおかげ。それに最近ではこの子がこの勇ましい姿で度々顔を出してくれますもの」
そう言ってササラさんに微笑む。
現役の、エリスさんが退役した今たった一人の若手女性幹部兵士。人気大爆発なんだろなーササラさん。そんなササラさんの大事な店とわかってて嫌がらせするやつなんていないのね。私はササラさんの軍服のMマークに視線を流し、
「マーカス夫人、ありがとう、約束を守ってくれて」
「セレフィオーネ様、私、何もしていませんわ」
見た目は大事だ。ササラさんが美しい軍服を美しく着こなすこと、隙のないその様子はササラさんのその身を守っている。
何かお礼……と思ったけど不要だね。聖女に見せた慈悲。私よりもっと壮大な何かから褒美があるだろう。
「セレフィオーネ様、して、本日の御用向きは?」
「おばあさま、何着かドレスを新調してここに置いていないかしら?」
「四着ほど、もうお届けにあがるだけのものがございます」
「私も手伝うから、そのうち2枚を私とササラさんに仕立て直したい。今日中に!」
「……領主としてのドレスが必要ということですわね。お相手は?」
「ふふふ、国王陛下に呼び出されてるの」
「まあ……ということは……あの王妃殿下も同席……完璧に美しく、鮮烈に強さを見せつけられねばなりませんわ。天下のトランドルの初の謁見ですもの」
「そーゆーこと」
「あ、あの、セレフィー、どして私の、まで?」
「ササラ少尉を帯同させるからに決まってるじゃないですか!」
マーカス夫人が呆れたように言う。
「でも、表向き私、軍部の一員」
「問題なしです。軍はそもそも国の全ての民を守る義務を負っているのだし、私がササラさんを慕っている後輩であることくらい、皆押さえてるでしょ?」
「そ、そっか」
マーカス夫人がスクッと立ち上がった。
「セレフィオーネ様、エルザ様のものを仕立て直す必要などありませんわ。どうぞ、こちらへ」
奥のフィッティングルームに通される。壁一面のクローゼットの引き戸を夫人のお弟子さんたちが開け放つ。
色とりどりの、贅を尽くしたたくさんのドレスに圧倒される。
『かーわいーい!』
うちのメンバーで1番女子力の高いミユたんが胸元から顔を出し、興奮のあまり尻尾をバシバシ振る。肌に当たって地味に痛いんだけど?
「……綺麗ね、これは?」
「エルザ様が全て、セレフィオーネ様にお仕立てになられました。そうですね。この六着はもう幼いデザインで着ていただけないわね……それ以外は少しスソを補正すれば、すぐお召しになられますわ」
「……どうして?」
「セレフィオーネ様がご不在の間も、エルザ様はシーズンに5着はセレフィオーネ様のものをとお仕立てになられました。いつ必要になるかわからない。ドレスは女の戦闘服よ、と」
おばあさま……
ふと目に留まった一番端のドレスは、純白だった。
「こちらは一番最近の御注文。お手紙にてお受けしました。セレフィオーネ様の御婚礼用のドレスです。セレフィオーネ様、この度は御婚約おめでとうございます!エルザ様からの指示は白地にアクセントで水色、世界で一番、最高のものを!それだけでした」
おばあさまの……バカ!体調悪いクセに、こんな……こんな……
シンプルで、光沢があり、ここぞというところは輝く水色のステッチで縫ってある。
『ルー様がいる……』
『…………』
まるでルーが真っ白な雪の平原をピョンピョンと跳ねているような……遊び心。ルーと共に生きている私を知る人間だけがクスリと嬉しくなるドレス。
こういうものは、こういうものは、いざという時のためにとこっそり作るものではない!私と一緒に、ワイワイあーでもないこーでもないと大騒ぎして……決めるものだ。
戦闘服では……ないでしょう?
私は……完璧なおばあさまの後を継ぐものとして、絶対に失敗は許されない。
深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
「マーカス夫人、あなたのお勧めは?」
「そうですわね……こちらなどどうでしょう?織りにトランドルの紋章を入れております」
上身頃は白いシルクになんの模様もなくシンプル。でもトランドルの剣と蛇……きっと小龍様……の紋章がパターンのように織り込まれている。そしてスカート部分は黒のサテン。上品。
『セレちゃま、お父様だ!きっと似合うよ!』
乙女ミユが胸の中からグイグイ推してくる。わかったわかった。
「……王妃様をビックリさせられるのは?」
「ふふ、それでしたらこちらはいかが?」
「わお!」
ササラ姉さんが声を上げる。
薄い光沢のあるグレーの生地をマルシュの伝統着……和服のように、襟元高く右前に打ち合わせ、ウエストまでは体にフィットするように、スカート部分は生地が差し込まれてAラインに広がる。しかし裾は前身頃の膝辺りから徐々に後ろ下がりにカットしてあり、一番長い、真後ろの部分でも足首の見える短さ。足捌き優先。そしてその打ち合わせ部分から共布の騎士ラインのパンツが見える。ウエストは真珠がふんだんに縫い付けられた帯のようなベルトでマーク。動作を制限するものはそれだけ。
パンツスーツだ!女性では騎士学校の制服や軍服を除けばこの世界初!ドレスというよりロングコート丈の上衣のゆったりめの下部にナイフや手裏剣を仕込む細工ギッシリ。
これは……忍び装束グレー〈改〉だわ。
そして……
『セレフィーちゃん、足首を出すのはいただけないわ。見苦しいわよ』
『おばあさま、短くないと戦えないよお?見苦しいならズボンはいて、ブーツはいちゃえばいいよ!』
『まあ……斬新ね。ふふふ、私のセレフィーちゃんならきっと似合うわね』
おばあさま、私が足首出すの、あれだけ嫌がってたくせに……これを着ろって?ウケる。
「真珠はエルザ様が持ち込まれたものを加工しました。レーガン島産の素晴らしいものですわ」
ああ、小龍様、ミユからのプレゼント(私が獲ったけどね)、おばあさまに上納したんだ。全くみんな、誰一人、自分のために使わない。
『一粒一粒に小龍の加護が貼りついている。不穏な時世を肌身に感じ、エルザを護りたかったのだろう』
『……流石お父様』
私は……不言実行の大人達に、愛され、護られる。
「これに決めた。これに刺繍を少し加えたい。お願いできる?あと、ササラさんのも出来れば揃えてほしい。御礼は弾むわよ!」
「もちろん!マーカス商会にお任せくださいませ!」
次の更新は週末予定です。




