103 ジュドールに帰りました
父、兄、エンリケ、エリスさん、一斉に伝達魔法が飛んできて、トランドルの事件を知らせる。
こうなった以上グランゼウスも狙われる可能性がある。パパンとアニキは邸と領地を護ってくれたほうがいい。私が向かうと伝える。
ギレンに水色の蝶を放つ。数分でアスと共に宵宮に駆けつけてくれた。もうすぐ日付が変わる。
「ギレン、行ってきます」
「準備は?」
「いつも……出来てる」
私のマジックルーム〈一人暮らし〉は悲しいくらい、いつも準備万端だ。
「アスを連れていけ」
「でも……」
「セレ!」
「うん……ありがとう」
「俺もすぐに行く」
「状況がわかってからでいい。今回は……ミユもいるもの。ルー、ミユを呼びたい。どうすればいい?ミユとの新作魔法が必要。修行中だから無理?」
『契約者の一大事より優先させる修行などありはしない。そしてミユにとってトランドルの由緑の沼こそが聖地。帰巣本能で直ぐに戻れる。今、連絡する』
『待て!身を隠してくるように伝えよ!ミユの存在はギリギリまで敵に知られぬにこしたことはない』
『…………よし。ミユは飛んだ。ミユは間者候補だったからな。忍んでやってこよう』
ルーが眩く光り、成獣サイズに戻る。
乗る前にギレンを振り向くと、ギレンの腕の中だった。
「……今度は必ず呼べ。必ずだ。俺もガレもセレのためにためらいなく動ける立場だ」
「うん。ちゃんと都度都度連絡する」
ギレンの最強の魔力が直に身体中をグルグルと覆う。そして当たり前のように口づけられる。キスなんてまだたった数回なのに受け止めることが自然に思える。私もギレンの首にそっと腕を回し、そっと魔力を吹き込む。この世界、次に必ず会える保証なんてない。恥ずかしがる暇などない。心を込める。ギレンに……私がいなくとも安寧を……感じ取られたのか、私を抱きしめる腕に力が込められる。
ギレンが名残惜しそうに私の頰をなぞる。額を合わせる。
「忘れるな。オレはお前なしでは体をなさぬことを」
「……わかってる。ちゃんと自分を大事にする。ギレンも、私の作り置きしたケーキ、ちゃんと食べてね」
ギレンがサッと漆黒のマントを脱ぎ、闇に紛れる生成りのシャツと黒パンツにブーツという色気のない格好の私をぐるりと包む。床に付きそうだ。外れないように、喉元でキチッと留められる。私の鎖骨を指がすべり、私のプレートを持ち上げキスを灯す。いつかと同じく青く光る。
「いっそオレの懐に……隠してしまえれば……」
小さなギレンの呟きに、答えられなかった。
アスがバサリと夜の闇に飛び立った。
トランドルが攻撃を許す。ありえない。つまりおばあさまに何かあったということ。
『行くぞ』
ルーに飛び乗る。結いあげる暇もなかった髪をなびかせ、北を目指した。
◇◇◇
まだ、夜の闇が深い時間に音もなくたどり着く。アスも待ち受けていた。
幼い頃より慣れ親しんだトランドルの屋敷が半分焼け落ちていた。ブワッと涙が集まるのを気合いで止める。
「姫!」
おばあさまの草がサッと現れ私の目の前に跪く。
「おばあさまの元へ」
「はっ!」
屋敷の裏手の物置の地下に隠し部屋があった。母屋とも繋がっていたと見られる。
室内には顔馴染みのおばあさまの家令オークスと側近二人、私の顔を見て、悔しそうに顔を歪め、頭を下げる。
『エルザ…………』
ルーの言葉が闇に吸い込まれる。
…………どうして?言葉が出ない。
ソファーに横たわるおばあさまは目は落ち窪み痩せこけて……栗色の美しい御髪が、白髪に変わっていた。
生きている!でも、眉間にシワを寄せ、苦しんでいる。
「姫様!」
「ジーク!!!どういうこと!何故、何故連絡しなかった!!!」
おばあさまの手を握り傍らに跪くジークを大声でなじる!
「トランドルの領主が……弱みを見せることなど……あってはならぬのです……」
ジークじいが泣き笑いの顔でそう言い、愛おしそうにおばあさまの頭を撫でた。
「……簡潔に説明して」
「エルザは……姫様が出奔して、もちろん悲しみはしたが、姫の無事を信じてなお一層トランドルを強固に守っていた。聖女がやってきて姫の確実な情報を教えてくれたときにはわしと一緒に踊って喜んだ。それからしばらくして……何かが起こった。急に表に出なくなり、命令は使者を立てるようになり、わしが訪ねても会えずじまい。何が何でも姫の手紙を手渡しせねばと、私兵を蹴散らしエルザの部屋に入れば……この状態だった。医者を呼ぼうとしたら、ナイフを突きつけられた。お前はトランドルを危険に晒すのかと」
「…………」
「どこで情報が漏れたのか。狙われて、今日、このありさまだ」
「……でも、本丸落とされてどうするの!」
「ここに火の手が上がる半日前、領地の北部に一斉に雹が降った。小石サイズとかなりの大きさで家畜や作物に甚大な被害が出た。戦力の半数をそちらに振り当てたのだ。ここの守りが若干薄くなったところを……ここまで広範囲の雹など……天候まで仕組まれたようだ」
……タール様だ。
『……セレ、呪いだ』
ルーが目を眇める。
……鑑定!
青く輝く。
エルザ・トランドル (トランドル領主、軍師、S級冒険者、ルーダリルフェナ、セレフィオーネの従者)
状態 : 呪い、心身衰弱
スキル: 感知、短剣、毒無効、剛腕、智慧者、守護神
呪い……病気や怪我じゃない。身体は健康だったから私のおまじないじゃ守れなかったの?
『セレ、小屋に守りを張れ!』
アスに促され、茫然としつつも防音、防視、防御、認識阻害、あらゆる隠蔽魔法を張る。ここは敵に狙われたばかり。カッチリかかったのを確認するや、ルーとアスが幻術を解いた。と同時にミユが小龍様と同時にどこの隙間からか現れる。ミユは蒼みが強くなり、ますます美しくなった姿を、私の馴染みのポケットサイズにして甘えるように小龍パパの頭にちょこんと乗っていた。
聖獣三柱の出現により、一気に淀んだ焦げ臭い地下の空間が浄化され、痛いほどの聖気で包まれる。
「なんと…………」
ジークじいと、オークスはじめおばあさまの側近が息を飲む。さすがトランドルの重鎮。見えたようだ。
「姫様……エルザ……エルザの命を賭して守りたきもの……そういうことじゃったか……」
私がおばあさまを癒そうと駆け寄ると、
『待て!呪者を探し当ててからだ!』
「アス、でも!こんなに苦しんでる!」
『時間はとらん…………』
アスが目を閉じる。ミユと小龍様がおばあさまを覗き込む。
「火を放った犯人は?」
おばあさまの側近の一人が小さな声で答える。
「6人の魔法師を捕まえております」
「吐いた?」
「いえ。自害されても困るので眠らせてあります」
『セレ、オレが行く。オレにウソは通じん』
「案内して」
「はっ!」
『う、うわあああ!』
ミユが急に動揺する。小屋が揺れる。私とルーも足を止める。
「ミユ?」
『この呪い……私の……』
『ミユ?』
『どういうことだ?』
ミユが茫然とおばあさまを見つめながらポツポツと話す。
『セレちゃまと、旅しているとき、何度も何度も刺客が襲ってきて、でも撃退したあと、セレちゃまは殺すことを許されない。私は悔しくて、一生苦しむ呪いをかけた』
「ミユたん?」
『その呪いが、何故か領主様に、かかってる。森に、とっても優しい、りょうしゅ、さまに、わたしの、のろい、なんで……』
『……戻った刺客の呪いが解析され……修得されたというところか?』
「アス、そんなことできるの?」
『そんなこと、出来っこない。出来るとしたらよっぽど異端な存在だ』
ルーが唸る。
チート……
『ミユ、小龍、呪いはお前たちのほうが詳しい。出所を探せ!そして……反射で返せ!!!』
『はっ!』
『はい!』
ルーが険しい声で命令する。
ミユはピカッと光ると小龍様より一回り小さい大きさになり、真剣な顔で解析する。
私はジークと場所を代わり、おばあさまの頰に額に何度も何度もキスをする。おばあさまの頭をかきいだく。
「おばあさま……ごめんね……ごめんね……」
おばあさまの口が動く。何か言ってる。耳を寄せる。
「あぁ……リルフィー……どうして……」
お母様の名前?
「ミユ、一生苦しむ呪いってどんな呪い?」
『一生……悪夢を見るの。これまで一番辛かった体験を何度も、何度も……ううっ……』
ミユが顔を歪ませる。
おばあさまは……お母様が死んだときを、何度も何度も繰り返しているんだ……
眠れるわけがない……
ああ……
『あやつか!!!』
小龍様が低い声で唸る。
『見つけたか?』
『我を殺しかけた……ルー様とセレフィオーネ様に助けていただいたときのきっかけとなった小娘です』
マリベル……
『ミユ、小龍、倍にして返せ!そしてミユ、お前は今は東を司る聖獣。我々の術を盗むなど二度とふざけたまねができぬよう術を効かせよ。我らに刃向かった罪、思い知らせてやれ』
『はい』
ミユが涙ぐみながらも目をギラつかせて、おばあさまの側による。後ろから小龍様も続く。二人は呼吸を合わせ、目を見開き、おばあさまに向かって魔力を浴びせた。
おばあさまの身体からたくさんの黒いブツブツが吹き出し、お腹の上で真黒な一つのボール状に纏まった。ミユがそのボールに向かって怒りの形相で何か呟き息を吐いた。ボールは向こうが見通せないほどドス黒くなった。
『我を利用したこと、後悔するがいい。行け!』
プッと玉は消えた。
アスがおばあさまの胸に乗り、そっと涙をおばあさまの唇に乗せる。乾いた唇にジンワリ染み渡る。
「アス、いいの?ありがとう……」
『元を正せば我らのミユの脇の甘さ。そしてエルザはセレの代わりのきかぬ……女親であろう?』
私はこくんこくんと頷いた。
『この愚か者め!何故セレフィオーネ様の言うことに逆らった!良かれと思ったなどと言うでない!呪いは諸刃と何度となく教えたはず!ミユの軽はずみな行動で恩人であり契約者であるセレフィオーネ様と、トランドルの生き物全てを守護する責任を全うされている領主様を苦しめたのだ!』
小龍様はなんと四天となった娘を尻尾で吹っ飛ばした。
『お父様……申し訳、ありません……』
「しょ、小龍様!もう怒らないで!ミユがいなければ、私、マルシュで生きていけなかったの!」
ミユは何も悪くない。殺せと言えない私が悪い。違う、やっぱりマリベルが100パーセント悪い。
『小龍、その辺で抑えてくれ。ミユは我の不在の間、精一杯セレを護った。そしてこれからますます成長する。なあ、ミユ?』
『は、はい!』
『セレフィオーネ様もルー様もミユに甘すぎます……』
小龍様のお説教はまだまだ続いていたが、私はおばあさまの方に向き直った。アスのおかげで顔に少し赤みがさした。
「リル……リルフィー………」
「……お母様、ここにいるわ。ゆっくり休んで」
「リルフィー……でも、私が……守らねば……お前の……私の……宝……セレフィー……」
おばあさま……
唇を噛み締め堪える。
泣いてる場合ではない。
覚悟が、決まる。
「お母様、私が責任持って、お母様が守ってきた全てを、守ります」
……これからは私がおばあさまを守る。
おばあさまは眉間のシワがようやくとれて……険しい口元を緩めて……眠られた。
閉じたまぶたにおまじないを込めて、キスをする。おばあさまが少し微笑んだ。
おばあさまの身体に私のとっておきのフワフワ毛布をかけ、おばあさまが腕に抱える真っ黒な鞘の剣を……取り上げた。
ジークじいが私を神妙な面持ちで見つめる。
私は立ち上がり、遠い先祖が自ら鍛えたと言われる、決して折れぬ剣、黒剣を抜く。
「……今この時より、セレフィオーネ・グランゼウスはトランドルの領主であることを宣言する。トランドルの名を持たぬ者なれど、先先代ガインツ・トランドル先代エルザ・トランドル直孫。このトランドルという荒ぶる土地を愛し、この黒き眼をもって先祖同様先頭に立って剣を抜き守り抜くことを誓う。そして、我が最愛の先代を害し、領地を攻撃した行為、宣戦布告とみなす。これよりトランドルは戦闘態勢に入る。…………我々はトランドルへの侵入者を許さない」
ルー、ミユが私の両脇をスッと固める。アスは一度大きく翼を広げ、左肩に飛び乗る。
ジークギルド長、オークス、おばあさまの側近達が跪く。小龍様までもが頭を垂れる。
「「「「「我々の命、新領主セレフィオーネ様と共に」」」」」
夜が明ける。
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