21 希望と絶望
自分自身、頭のどこかで『馬鹿なことしてるなぁ』と考えていた。
骨や岩を砕く程の力で振り下ろされる腕。その力はいったい何トンの力を持っているか分からない。岩を潰すのだからそこに人が飛び込めばどうなるかは火を見るより明らかだ。
『馬鹿なことしてるなぁ』
再度、指一本が自分の身体程はありそうな大きな腕を見上げると憤りや怒りの影で、確かにそう思う。
意識が加速しているのか、それとも走馬灯なのか、ゆっくりと動くように感じられる腕が、スケルトンの前に回り込んだ俺に振り下ろされはじめていた。
ゆっくり動くように感じられるのは、自分の身体の動きもそうだった。
降りそそがんと動く腕はもう目前に迫り、俺が歯を食いしばる圧力や、ダガーを渾身の力で握りしめる腕の力、踏ん張ろうとする足の力の全てがゆっくりと籠められていくのを感じる。
俺には微かな勝算があった。
だが、万が一外れれば、このまま死ぬのだろう。
迫る死を前に、身体に強張りが走るのを感じながら結果が出るのを待つと、腕は俺の鼻に触れるか触れないかというところでピタリと止まるのだった。
ぶわぁと拳圧が風を作りだし、髪がまるでオールバックにしたかのように後ろへと流れる。
その風の勢いのまま尻餅をつきたくなるほどに身体が固くなっていた。
「……う、うわぁあああっ!!」
強張りを引きはがすように、恐怖を忘れる為に大声を張り上げ巨人の腕に向けてダガーを振るう。
右手の逆手に持ったダガーが指に当たり弾かれる。まるで岩でも切りつけたかのように感じられる衝撃に指が痺れ、そして手首に痛みが走った。
「あぁあああっ!!」
右手の痛みが悪化しないよう左手でダガーを順手に持ち直し、固さで手首を痛めないように巨人の指を突き刺すと、ほんのわずかに刺さり、腕が届かない距離に上がるまで叫びながら無我夢中で突き刺した。
届かなくなって荒く息をしながら巨人の指を見上げると、俺が作る事ができた傷は浅い傷しかなかった。巨人を人間に置き換えてみれば、まるで猫が引っ掻いているくらいにしか思えない程度の傷だ。
腕が穴へと戻り、そしてまた巨人の顔が覗く。
巨人の目は、じっと俺を見ていた。
「邪魔をするな プレーヤー。」
間近で聞けば、まるで野外イベントで使用する大音量スピーカーから低音が響いているように、声だけでも腹に重圧を残すように響いてくる。その重圧に腹から怖気が引きだされそうになるのを踏ん張ってこらえ、右手にダガーを持ちなおして切っ先を巨人へと向ける。
「やっぱりお前らは俺に攻撃はできねぇんだな! なんたってプレーヤー様だもんな!
俺が居なきゃおめぇの言う運命すら進める事ができねぇんだ!」
これまでの戦闘で何回も経験した『敵は戦闘で俺を襲わない』という行動。
なぜそうなるのかを、これまでの長い時間の中で疑問に感じないワケがない。そして疑問の意味を考えないはずがない。
俺が辿り付く結論はいつも『俺がゲームのプレーヤーだから』という結論だった。
このスマホゲームにおいてプレーヤーはいつも指示を出すだけの存在。戦うのは仲間だけだ。この世界が本当にスマホゲームの世界であるならば戦闘で俺に攻撃できるはずがないんだ。
逆にゴブ吉がよく俺を攻撃していたが、あれはイベントパートと考えれば当然。
イベントや村で過ごす際には俺というプレーヤーがそこに触れる事ができる存在としてなければ話の進めようがないのだから。
だからこそ、今巨人を前にしてキキーモラさん達が臨戦態勢をとっていることで、間違いなく『戦闘中』であり、俺には害を成す事は巨人の言う『運命』や、この世界のルールに反する事になるからこそ、攻撃できないと考えて動いたのだ。
「ははっ! 俺を攻撃出来ない事が分かれば、もうお前なんか怖いことねぇ! 小さい傷しか負わせられなくても続けりゃあ必ずデカイ傷になる! 覚悟しやがれ! それとも逃げるか!?」
巨人は黙し、ただじっと俺を見る。
ただ睨み合いを続けていると、ゆっくりと巨人の顔が離れ、また腕が穴から伸びてきた。
さっきと同じように振りあげられる。
「無駄だっつーの! 先回りして振り下ろせねぇようにしてやる! もう誰も殺させねぇ!」
拳の形に握られている巨人の腕が鉄槌打ちのように振り下ろされる。
攻撃してこないだろうという希望が持てるけれど、やはりダンプカーが落ちてくるかのような印象の腕が怖くないワケはなく身は硬くなる。
「え?」
瞬間。
巨人の拳が開かれ、腕を横に引くように動いた。
そして勢いよく横に動きだし岩人を平手打ちのように叩いた。
岩人は衝撃で砕かれ、その破片がスケルトンに当たる。
そして俺にも勢いよく飛んで来た。
咄嗟に身体を折り左手で頭を抱え頭を守るが、破片が俺の脚に当たる。
衝撃が落ち着き、自分の左足を見ると、そこには岩人の破片が突き刺さっていた。
「……え?」
破片が突き刺さった足を目視し、そして触れ、間違いなく突き刺さっており、じんわりと血が滲みだしいる。頭の中で状態が理解できると、それと同時に痛みが襲い掛かってきた。
「いってぇええっ!!」
思わずしゃがむと刺さっている筋肉が動いたせいで、さらに痛みが増す。
「――っ!」
声も出なかった。
痛みが、流れる血が、正気を奪っていく。
「お前は 正しい。
攻撃はおろか お前に触れる事も 出来ない。
だが 間接的に攻撃する方法は ある。」
腹に響く声に目をやると、腕はいつの間にか引っ込み、巨人の目が俺を見ていた。
痛みと焦りと混乱から激しく鼻で息をする俺を、じっと見る目。
その目が心底恐ろしく思えた。
巨人は俺を見据えたまま言葉を続ける。
「死ななければ 問題ない。
邪魔をするなら 何度でも。」
淡々と響く声に、怖気が何倍にも膨れ上がる。
痛みがそれを押し上げているのは嫌がおうにも分かった。
また巨人の顔が引き、穴から巨人の腕が伸びるのを見て、恐怖から自分の歯が何度も鳴る。
敵の全体攻撃を食らった事があるのだから少し考えればわかる事だった。
戦闘中の敵は俺に攻撃をしないが、攻撃の巻き添えにすることはできる事を。
壊された岩人の身体に触れる事が出来た事を。
「ひ、ひぃっ!」
俺にできる事は岩の刺さった腿を押さえながら最前線から逃げ出す事だった。
キキーモラさん達のところに跛行しつつ戻るとツムリンの声が聞こえた。
「大丈夫ですか!?」
臨戦態勢の為、目と口だけだったが、その視線は怪我を負った事に対する心配をしている事が分かる。
キキーモラさんやボナコンも同じような目をしていた。
ただ、俺には逃げ出した不甲斐なさから、その目がまるで同情されているようにも感じられ、つい目を逸らす。
「ゴブ吉さんのお父さん、お母さん。ベースに扉を繋げてください。未登録ユーザーさんの怪我の治療が必要です。」
「は、はい。」
キキーモラさんの声にゴブ吉のお母さんが答え、すぐに扉が開かれた。
「未登録ユーザーさん。私が怪我のお世話をすることができませんが……現状から判断するに貴方は――このままベースに逃げる事をお勧めします。」
「――は?」
思わず避けていた目を直視する。
キキーモラさんの目は俺をしっかりと見ていた。
「どう考えても勝てませんし逃れることもできません。
であれば、せめて貴方がこれ以上怪我をしない方がよいでしょう。」
淡々と言葉を続けるキキーモラさん。
いつも通り冷静な判断。
だが、その冷静さが癪に障る。
「俺以外は死んでもいいってのか!」
つい怒鳴る。
「否定はしません。
ただ……私はどうなってもいいですが……ツムリンやボナコン……ゴブ吉さんの両親は助けたいとは思って考えていますが、方法が思いつかな――」
「『どうなってもいい』とか悲しい事言うな!」
キキーモラさんの声を遮り叫んでいた。
気が付けばポトリ、ポトリと頬から涙が落ちる。
痛みのせいなのか悔しさのせいなのか、次から次へと溢れてくる。
「キキーモラさんはどうなってもいい存在じゃないんだよ!
ツムリンだって! ボナコンだって! ゴブ吉だって! ゴブ吉のお父さんもお母さんも! みんな、みんな大事なんだよ! 仲間なんだよ! 大切なんだよ!
そんな死んでもいいみたいなこと言うなよ!」
「未登録ユーザーさん……」
そうしている間にも、巨人の腕がスケルトンや岩人を、仲間を潰したであろう音が響く。
腕で涙を拭い、顔を上げる。
「まだ何か方法があるはずだ! 諦めてたまるかよっ!」
再度奮い立つ心。
そして俺は蜘蛛の糸にも近い希望を、ひとつだけ思い出した。




