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さよならの、その後に。



   ***



「――子供の頃から、私は彼女の悲観的な思考が大嫌いだった」


「……え?」


「……いや、もう時効だと思ったから言っただけさ」


 くしゃくしゃと髪を掻き、ノワールは眼鏡を押し上げる。そしてふと見た窓の外にはもう、夜の帳が落ちかけていた。


 あれから息を引き取ったダリアを、ノワールはリリィベルと共に傾いたベットへと運び、そして並んでその顔を眺めていた。憎らしい程に穏やかで、安らかなその顔を――最後の最後まで、悲劇のヒロインでありながらも幸福の内に死んでいった、その顔を見つめ続けていて。


「……初恋、ではなかったのですか?」


 リリィベルが、不思議そうに訊いてくる。ノワールは、そんなリリィベルの方へ視線を流して少しだけ、微笑んでみせて。


「……初恋だったさ。だから、思えばずっとずっと大嫌いだったのさ。誰よりも、誰よりもな」


「……?」


 意味が分からないのか、リリィベルは首を傾げてみせる。その様子にノワールは、くくっと口元に手を添えて笑う。そうしてどっかりと、床に腰を落として。


「好きと嫌いは裏表、同じもの。だとしたら好きも嫌いもその反対は無関心……なんの興味も抱かなければ、まず関係という糸を結ぶことさえ出来やしない。そうなれば誰かのつまらない思い出にすら、残れやしないんだ」


「……思い出、でしょうか」


 そうだよ、と頷く。だから、初恋だったんだ、とノワールはダリアを見て笑う。だってその言葉が、こうして眠りについたダリアへの最高の贈り物であり、それでいて最高に悔しがるであろう贈り物なのだと知っているから。


 そしてリリィベルが、そんなノワールを見ながらそっと隣に膝を落とす。そうしてまた、ふたりでベットの上で眠るダリアを見つめて……そこからほんの少しだけ言葉が消え失せて、しばらくはそうしてふたり交わす言葉もなく時は流れて。


 ややあって、


「……だとしたら、わたしは少しだけこのひとが羨ましく思えます」


「……ん?」


 ぽつり、リリィベルは穏やかな声で囁いて。割れた窓から吹き込んだ夜風が、淡い黒色に染まった長い髪を吹いて抜けて。その姿を横目に思わず見惚れていれば、こちらに気づくと同時に浮かべられたのはひどく優しい顔で。


「……わたしには、そんな思い出すらありませんから」


 それでいて、どこか物悲しいような、そんな表情で……きっと、先ほどのダリアの言葉が気になっているのだろう。そしてそんな自分と、例え憎悪や嫌悪の類だとしても誰かの思い出に残り続けられるダリアと自分を比較して、そうやって自己嫌悪や負い目に曝されているのだろう、と。


 そんな風に、ノワールには見えて……いや、違う。そうではない、そうではなくて。そこで、ノワールは気づく、気づいたのだ。恐らく、たぶんなのだが。なによりも今、彼女は、リリィベルはきっと――


「……それにわたしには、大佐さんとの思い出がぜんぜん、足りていないのに。このひとばっかり、ずるいです。わたしには、そんな優しい笑顔……大佐さんは見せてくれません」


「……くはっ」


「……? なぜ、笑うのですか?」


「い、いや、すまない……だって、な」


 ――嫉妬、してくれているのだろうから。


 それも無意識に、意図せずに。むっすりと不満げに尖らせた小さな唇も、その膨らんだ頬にも、きっと本人は気づいちゃいないのだろう。そしてなにより、そんなことで、そんなことだけでも。それに気づいてしまった瞬間にはもう、ノワールは。


「く、くははっ……本当に君は、そのあざと可愛さで何度私を死地に追いやるつもりなのやら。なるほど、どおりでナイフなどでは私を殺せないわけだよ」


「……?」


 未だ知らぬと書く、その未知なる感情を理解できないその無知で無垢な様に、姿に。悲劇の幕が下りたばかりだというのにも関わらず、こんな場所で、こんなタイミングだというのに。なのに、なのに。


「……狂っていなければ、愛じゃないのだろう?」


「……!」


 ノワールは、そっとリリィベルの肩を掴む。「え……?」と驚くのもお構いなしに、そのまま引き寄せて頭ごと抱えて、


(許せよ、ダリア……でもハッピーエンドなら、これくらいは君だって折込み済みだろう?)


 心の中で、ベットで眠るダリアに謝りながら。それでも止められない、込みあがる愛おしさをありったけ込めてぎゅうっときつく抱きしめて――


「……大好きだ、リリィベル。君のことが、世界で一番大好きなんだ」


「――っっ」


 ――飾らない素直な言葉を、ちゃんと届くようにと耳元で囁いた。そして、


「だから心配するな、これから君がパンクするまでつまらない思い出ってやつを注いでやるさ。それにいいじゃないか、空っぽでも。そのおかげで君の中は、私だけでいっぱいに満たしてやれるんだからな」


「~~ッ!!」


 弱点は、知っていたから。答えを待つこともなく、ここまでにリリィベルが受けた全否定を覆すように全肯定をその耳元に集中砲火してやって。ゾクリゾクリと音が聞こえるほど小刻みに震えながら逃れようとするリリィベルに、最後はトドメと言わんばかりに、ふう、と息を吹きかけて。


「……愛してるよ、リリィベル」


 はむっ――と、言い終えると同時に甘噛み一発。薄い耳を唇で挟んで、もにもにと動かしてやった瞬間。


「……! ……!! ……!? ~~~~っっ!!」


 グルグルと渦を巻くような青い瞳が見開かれ、真っ赤になった耳を押さえてリリィベルは声にならない声、悶絶するように飛び跳ねて……「くはっ……」と小さく声が漏れてカクリ、後ろ向きにその首が折れたところでノワールは、ぱっと離れてみせて。


 むふー、と。鼻息一閃、眼鏡を強く押し上げてからの、


「……ふむ、ごちそうさまでした!」


 人類史史上、最高の満足げな顔。ふふふふ、と笑いが漏れて。それは一度吹っ切れてしまったというのも、今まで散々我慢してお預け食らっていた、というのもあってか。ともかくいったん噴出したリリィベルへの愛情が抑えきれず、この大胆な行動に流れるように移ってしまった、ということであって。


 ――もう、なんていうか、死んでもよかった。それくらいに、悔いなく満足していて。いっそここまでの悲劇すら、この瞬間のためのものだったんじゃないかとさえ、思っていて。ともかくもう、天にも昇るほどに……おいしかった、色々と! と、それだけで。


 しかし、だ。


「……むう」


「ふはははは、おやおや、どうしたんだいそんなに怖い顔して?」


 そんなノワールに、リリィベルは今まで見せたことがないような程――下手したらダリア相手に睨みを利かせたときよりももっときつく、きつく吊り上げた目じりで睨んできて。頬から昇るように真っ赤に染まった耳を細い指先で隠すようにしながら、両の頬が破裂寸前まで膨らんで。


「……大佐さん、大嫌いです」


「ふははっ、フラれてしまった!」


 まさかの告白、失敗だった。これには笑いながらも胸に風穴が開くほどショックで……いや、忘れていた。そういえば実際に、この左胸には風穴が開きかけていたのであって。


 そして、はた、と。冷静にそんなことを思い出してしまえば。


「……ぐふっ!」


「……大佐さん!?」


 あっさりと、激痛からの吐血プラス鼻血。連続した悲劇という張り詰めた緊張感と、告白して耳を食む(はむ)ことで得ていた高揚感は、簡単に鎮痛効果を失って。麻痺していた様々な負荷が、火山のように噴きあがってきて――かくっ、と膝が折れたところで。


「ノワールッ! リリィッ! ちょっと生きてるの!?」


「おーい! 無事かふたりとも!」


 寝室の傾いて外れかけた扉を蹴破って入ってきたのは、聞きなれた二つの声。同時にはしっとリリィベルに抱きかかえられて、ぐったりとそこから身体が重くなって。


 そうしてようようの体で、しかし駆け寄ってきたブランシュとヴェルメイユに、ふふふ、と歪めた笑みを浮かべてノワールは。


「……ふっ、遅かったな。すでに決着は着いたぞ」


「いや、そんな鼻血流してカッコつけられてもさ……大丈夫なの、あんた?」


「なに心配するな、左胸にナイフを受けてしまっただけだ」


「致命傷だっつの!」


 きゅ、救護兵――っ! と叫ぶブランシュの声が、屋敷内に木霊して。ヴェルメイユがわはははっ、と笑って。そして、


「……大佐さん」


「ふ……心配するな、このくらいなんとも――」


「帰ったら、お説教させてください。わたしのせいですが、いますごく、わたし怒ってますから」


「――ぴっ!?」



 ――こんな風な雰囲気の中に、再び戻って来れたことは喜ばしく思う。そして、それ以上に感じる恐怖はどんな悲劇よりも悲劇だと言ったら……君は、怒るのだろうか?

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