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狂おしいという、純愛をあなたへ。



   ***



 激昂したままに終えられればどれだけ幸せだっただろうと今は思う。けれど最後の瞬間、閉幕のその瞬間ですら、それは叶うことのないものだった――。



「ねえ知ってるノワール? 好かれる事と、嫌われることは同義なの。もし好意に相反するものがあるとすれば、それは無関心というものよ。だからこそわたしは、あなたがくれないその好きの代わりを求めるの」


 ――嫌われたいの、誰よりも。世界で一番愛されないのなら、世界で一番嫌われてしまいたいだけなの。と、彼女は言った。


「好きと嫌いは、同等で、同価値で、平等なものだから。どちらかを奪い合う必要なんてなかったのよ」


 それは楽天主義者のふりをした悲観主義者、とでも呼ぶべきなのだろうか。あらゆる物事を都合よく解釈しながらも根では悪い方向から見始め、見据え、見終える者。希望よりも絶望に浸る思考、思想、趣向……彼女が堕ちた、この物語の終着点。


「……あなたがその子を心から愛するというのなら、わたしはあなたに心の底から憎まれたい。あなたの生涯にその子が愛を刻むなら、わたしはあなたの障害となって憎しみを刻みたい……そうして同じ器の中で、交じり合うこともなく共に占有していたい……それってとても、素敵で、美しくて、」


 幸せなことじゃないかしら……? 吐息すら感じるほどの距離で浮かんだ微笑みは、歪みに満ちている。それは息を呑むほどに美しく、けれど(いびつ)に折れ曲がるようで。


「……誰よりも愛されるのは、その子だけ。けれど誰よりも憎まれるのはわたしだけ。あなたの中の好きと、嫌い。元がひとつのわたしたちが分け合える、それがたったひとつの答えだもの」


 それならば誰も不幸にならず、誰もが幸せであれる。だからわたしは、あなたにとっての憎悪の対象になりたかった。誰よりも、誰よりも……大切なあなたの中に、特別な存在でありたくて、と。


 言葉だけならばどこまでも誠実であり、一途であり、清純である想いのはずなのに。どうしてか、どうしても、


「ここまでの悲劇は、すべてあなたのためなのよノワール。わたしはいつだって、あなたのために、あなただけに、あなたがすべてだった。ずっとずっとずっと、たとえ他の誰かに奪われたとしても。殺されたい程に愛してる、殺したいと思える程に憎まれたい……うふ、ふふふ――愛してる、ノワール」


 どうあっても――どう、あがいても。


「だから、ね? ……あなたの手で、殺して?」


「……狂ってるよ、貴様は」


 それだけが、すべてで。そして、


「……狂えない愛に、なんの意味があるのかしら? 無我夢中で何もかもを投げ捨てて、盲目になれない愛が、愛だと呼べる? たったひとりだけを狂おしい程に愛おしいと思えない気持ちを、愛なんて呼べないでしょう?」


 言葉と共に差し出されたのは、一本のナイフ。刃はこちらへ向けられず、逆手の状態で向けられていて……手を伸ばした瞬間にゆっくりとそれは上がって、ぴたり、ダリアの左胸の高さに止まって。


「……ここよ、ここが、あなたの場所」


「……っ」


 微笑みは、凍るほどに冷たくて。気づけば返す言葉も昇った怒りも消え失せて、ただ静かにノワールは、そのナイフをしっかりと握り締めた――瞬間。


「……ねえ、ノワール?」


「……!」


 不意に、ダリアの身体がふわり、金色の髪をなびかせて動き。広げた両手はまるで、愛しい彼の元へ飛び込むように、


「――本当に、愛してるよ」


「なっ!?」


 ――トン、と。自ら向けられた刃へと、身を放ってみせて……嫌な感触、手首を震わせ。身じろぎひとつできないノワールの身体を、離さぬようにときつく、きつく抱きしめたのは細い腕で。


「……な、にを」


「うふふふ……」


 ブルリ、予想だにしなかった展開に声と身体が小さく跳ねる。背後のリリィベルが、声にならない声を上げて立ち上がる。そして胸元に埋まる様にした、ダリアの姿を――笑うその姿を、ノワールは見つめて。


「……これで、あなたはわたしを殺せなかった。だってわたしは、わたし自身の意思で死んじゃうんだから」


「……!」


 持ち上げた顔、見上げるように。細めた瞼から漏れる青い瞳は、どうしようもなく満足そうに弧を描き。緩んだ口元から、一筋赤い線が落ちて。そっと、白く綺麗な指先が、優しく擦るように頬を撫でてきて。


「……これで、あなたにとってわたしは忘れられない存在になれたでしょう? 殺したいほど憎んでいるのに、殺すことさえ出来なかった。あなたの中の憎しみは、もう、二度と……」


 ……消えたり、しない。呟かれた声は、少しづつ小さくなって。


「……これで、あなたは、もうわたしを忘れない……あなたがあの子を愛すれば愛するほどに、わたしは、あなたの……中に、いる……だって、」


「……」


「……あの子の命は、わたしの血液がなければ、すぐに壊れてしまうものだから……」


「……!?」


 あなたは、これであの子の命も失うの……と、そこでずるり、頬に触れていた指先が剥がれ落ちて。


「……待て、ダリアッ!」


「……うふふ」


 咄嗟に、その落ち行く手を掴む、握り締める。同時に崩れたダリアの身体を支えて、かくりと倒れた首を抱え起こしてやって――待て、待ってくれ! ダリア! ノワールは何度も叫んで。しかし、


「……嘘よ、ばーか」


「なっ……」


 こつり、軽く握られた拳が弱々しく頬を叩いて……そして、そして。


「……あの子が、死んじゃったら……あなたは、悲しいでしょう……? あの子がいなきゃ……あなたの中の、わたしも、死んじゃうでしょう……? だから……最後に、あなたたちに、いいものをあげたの」


「……ダリア、君はいったい」


 ふふ、と。ダリアは頬を膨らませて笑ってみせて。リリィベルもまた、そんなダリアの傍らに駆け寄って。


「……あなたがこの子に、飲ませたのは、わたしの血液。どうしてかはわからない……でも、わたしの血を摂取すれば……クローンは……偽者はもう、壊れなくなるの……細胞の安定、とか、昔学者は言ってた気が、するわね……」


「……そう、なのか」


「……どう、安心した? 嬉しい、でしょう? これで、その子と……リリィベルとあなたは、幸せ、でしょう?」


 ああ、ああ、とノワールは頷く。だが、なぜかダリアはぺロリ、真っ赤に染まった小さな舌を出してみせて。


「……ね、ノワール」


「……なんだ」


「……ちゃんとわたしが、世界で一番、憎い?」


 そう、言って……握った手から、徐々に力が抜けていくのがノワールにはわかって。だから、だから。


「……ああ、もう殺せないのが悔しいよ。たぶん、この先もずっと、私が憎むのは君だけだろうな」


 滑り落ちそうになる細く華奢なその手を、強く、強く握り締めてやる。笑うダリアの顔を見つめて、いつものように斜に構えた皮肉っぽい笑顔で、笑ってやって。


 ――でもたぶん、きっと。


 このやり取りの意味を、世界の誰も、それこそすぐ横にいるリリィベルにさえ正しくは分からないだろうし、いくら言葉を重ねたころで誰にも伝わりはしないのだろう。けれど、それでも。


 そんなノワールの顔に、ふふふ、とダリアはまた満足そうに笑みを溢して。そっと、静かに瞼を伏せて。


「……じゃあ、これで、みんながハッピー……エンド……かな?」



 ――とても幸せそうに笑って、最後にそう言った。その意味は、ふたりだけが知っていればいいのだから。

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