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正義の味方に、なれない自分へ。



   ***



 強がったところでまったくもって、ままならず。まったくもって、どうにもならず。痛み分けをすることさえ許されずに、足掻くことも縋ることも許されやしない。誰のせいにも出来ないそんな重みを背負ったままで。


 軋む床板をしならせて、剥がれた壁面に肩を擦りつつ。頭上の割れた裂け目からかろうじて降る明かりだけを頼りに、続く木々の陰だけを映す割れた窓の列を横目にただ歩く。


 そして静寂は深く、先はどこも暗い。埃の臭いは途切れなく、わずかに乱れる呼吸の度に鼻と肺を痛めて抜ける――そんな最悪な雰囲気の中であっても。


「……そうか、初めて見た君はそんなだったな」


「……」


 一筋、汗が滲んで転がり落ちる。動揺が、内側で波紋を描く。


 強がって取り繕った仮面が、するりと外れ。


 そうして剥き出しになったこのふたつの瞳は、あっけなく、簡単に奪われる。


 ぼろ布を纏ったその姿であっても透けるように美しい白い肌は、薄暗さの中でさえも浮き上がり映えるその金糸のように煌く髪は、磨き上げたコバルトのように輝く瞳は……そうだ、この崩れかけた屋敷の片隅であろうとも。ほの暗い牢の中であろうとも、どこであろうとも。


「……どこにいたって綺麗なのだな、君は」


「……大佐さん」


 いつだって、ノワールの心に熱を与える。そうして固まった頬を、心ごと溶かし綻ばせる。例え本物に限りなく近い、偽者であろうとも。そうだと知っていようとも、それだけは変わることなどなく。ましてや、


「……まったくもって、愛しすぎて泣けてしまうよ」


 仮にその華奢な手首に嵌った鉄の輪の下で、すらりと細く伸びた五本の指がしっかりと握っているものが長尺の刃物だとしても。その切っ先が疑いようもなくこの小さく高鳴り続ける心臓を狙っていても。


 ……困ったことに、本当に困ったことなのだが。


「……躊躇うじゃあないか、躊躇ってしまうじゃないか。こんなにも君を殺したいと思っているのに」


 決意とは裏腹に、身体はそれを拒んでしまうのだから。


 背負った君が、目の前にいるという有り得ないこの事実を前にすれば。やめろ、と。シンプルな電気の信号が、全身の動作を鈍らせにかかってくるのだから。本当に困って、困り果てるしかないのであって。


 しかし、だ。


「……大佐さん、わたしは、わたしは」


 何度も君が、首を振る。涙をいっぱいに溜めた目で、首を振る。


 前へ前へと突き出される、意思とは違う右手を止めようと。左の細い五指が握りつぶさんばかりに震えて叫ぶ。踏み出す足から逃れようと、背は後ろへ引き続ける。なにもかもがちぐはぐで、なにもかもが痛々しい。


 そんな、君の姿を――


「や、やだ……やだやだやだやだ……」


「……リリィベル」


「やだ、だめです……違うんです、違うんです……わたしは、わたしは……わたしはっ!」


「……っ、すまん!」


「……!」


 ――これ以上、見ていることなど出来はしなくて。だから、


「……大佐、さん」


 勢いよく突き出された切っ先を、その握った手首をとっさに伸ばした手で掴んで、返した。力の向きを利用して、綺麗に右肘の関節から折れた細い腕ごと刃は逆を向く。そのまま流れるように刃が左の胸元に突き刺さり、ぼろ布にじわりと赤い染みが広がって。


 まるで、自らで自らの胸を貫いたような形になって。あ……と、小さな声が聞こえて。


 カクン、と真っ白な膝が折れ曲がる。そして、眠りに落ちるような表情。頬を透明な滴が伝いながら、力なく横倒しに倒れていって。


「……ごめん、なさい――」


 桜色の唇が、震え混じりに動き。


「――あり、がとう……ござい、ます」


 少しだけ弧を描いて。そのまま、後はもうそれきり動かなくなって――


「……感謝など、しないでくれ」


 ――こんな最後であっても、最後にそう言えること。恨み言なんかじゃなく謝罪と、感謝。それが、そこに横たわるのが紛れもなく、間違いもなくリリィベルなのだとノワールには分かって。どれだけ頭で割り切ったところで、分かって、しまって。


「――――ッッ!!」


 瞬間、壁に思い切り額を打ち付けた。声になれない声が、嗚咽の様に喉の奥で鳴る。気持ち悪さと不快感が腹の底で渦巻いて、何度も何度も額を打ち付ける。飛沫のように、血が吹き散る。それでも止めず、打ち。まだやめず、更に打ち。打って、打って、打って、打って……そうして、


「……ちくしょお」


 振り絞れたのは、それだけで。けれど、涙は零れやしなくて。


 そして、ふらりふらりとノワールはまた歩き出す。


 背負った彼女の重さを感じながら、床に横たわる彼女の横を通り過ぎる。


 ごめんなさい。


 ありがとうございます。


 そんな声が、鼓膜の奥にこびりついたみたいに反響しながら。


 軋む自分の足音だけを残して、前へと進む。


 決して、立ち止まることのないように。


 笑えない、いつかはただの無価値な思い出のひとつになるようにと願いながら。


「……大佐さん」


「……く、くくく、くははっ」


 ……愛しい君を生かすために。愛しい君を、殺し続ける。



 ――あと何度、謝罪と感謝を聞けばいいのだろうか? 何度この痛みに耐えればいいのだろうか? そうして君が救われた後に、自分はどんな顔で……君を抱きしめればいい?

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