優しくなくとも、あなたは誰よりも優しいのです。
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――背負った瞬間に感じたその身体の重さはあまりにも力なく、ズシリと肩に食い込んできた。だらりと肩先から胸元に垂れた真っ白で細い腕はピクリとも動かず、しっかりと華奢な両足を腕で抱えてやらなければ、とてもじゃないが支えていることはできなかった。
首筋には、もたれ掛かるように頬が触れる。まだ少しだけ温もりはあれども、それでもはっきりと「冷たい」と感じることは出来た。いや、きっと今はもうどこもかしこも「冷たくなっている」最中なのだろうとも思う。
でもだとしたらこれから自分は、そうして冷たくなってゆく彼女を背負いながら進まなければならないのだろう。そのわずかでも、微かでも残っているその熱が絶える前に進まなければならないのだろう。
こんな、まるで、まるで――
「……ふふ、そうしてると本当にお人形みたいね」
「……ッ!」
――そう、なのだとしても。瞬間、ノワールはきつく崩れた屋敷のベランダから見下すように嘲笑うダリアを殺意を込めて睨み付ける。だが、あはっ、怒ってるのノワール? とくすくすとダリアは笑い、余裕の表れか優雅に指先で金に光る美しい髪を掻きあげてみせて。
「そんなに怒らなくたっていいじゃない、ソレはまだ死んじゃいないんだから」
ソレ、呼ばわり。ノワールが背負った彼女を、リリィベルを物扱いしてダリアは壊れかけのベランダの手すりに肘を乗せて頬杖をついてみせる。冷たく開かれた半眼から漏れる青い光は、真っ直ぐに重なったふたりを見つめていて。
「……ねえ、ノワール。ゲームをしましょう? せっかく思い出の場所に帰ってきたんだもの。昔みたいにまた、わたしとあなたで遊びましょう?」
「……なんだと」
いきなり、こんなことを言い出して。その子供のように無邪気で楽しげな顔に思わず、ふざけるなよ、なんのつもりだ貴様! と腸が煮えくり返って噴火寸前のノワールは牙を向こうと口を開きかける、が。
「そうね、こういうのはどうかしら? あなたはこれからこの屋敷に入って、わたしが隠したお宝を探し出すゲームをしない? 制限時間は、ソレが死ぬまで。探すものは――ソレが助かるための薬、なんてどうかしら?」
「……!」
ぐっと、息が止まる。なぜなら突き出された条件は、払いのけるにはあまりにも、あまりにも――
「ああ、でももちろんヒントはなしよ。あとこの屋敷の中にはわたしのクローンたちが待っているから、妨害もあると思ってちょうだい。どうせ遊ぶなら、みんなで一緒がいいもんね? ふふふ、それでもよければ、だけれど……どうする、ノワール?」
「――……いいだろう、遊んでやるさ」
「あら、素直なのね」
――あまりにも、だったからで。しかも、ノワールが断れないのを見越して悪条件を出したうえで、ダリアは更に。
「じゃあ、今からゲームスタートにしましょう……ああ、それとねノワール」
「……なんだ、まだなにかあるのか」
踏み出しかけたノワールの頭上、ベランダから屋敷の中に戻ろうと背を向けたままでダリアは、ひらひらと手を振りながら。
「うふふ、別に大したことじゃないけれども――この屋敷の中にいる子たちには、『全員にその人形と同じ記憶を』与えてあげてるから。そしてその上で、否応なしにあなたの顔を見たら殺すように催眠もしてあるから、そのつもりでね」
「……なっ!?」
悪条件に、更なる悪条件の上乗せ。もはや最悪としか言いようがない、悪魔のようなルールと舞台を用意してくれたということで。これには思わずノワールも、絶句するしかなくなって。
……だって、だってそれはつまり。
「うふふふ、わたしってばなんて優しいのかな? 救うのも殺すのも、ぜーんぶあなたの好きな物でまとめてあげたんだもの? ねえ、あなたも見てみたいでしょ? ソレの死に顔が、どんなものかを……あなたに殺されるときに、どんな顔で泣き叫ぶのかを、ね」
そういう、シナリオなのだということであって――どうやらダリアは、どこまでもどこまでもどこまでも。ノワールと、リリィベルを。いや、
「貴様のくだらん悲劇に、私たちを……リリィベルを巻き込むな!!」
リリィベルだけを、悲劇の底に叩き落さねば気がすまないらしいのだ。それも完膚なきまでに、徹底的に、一切の容赦も情けもなく、だ。しかもノワールにリリィベルを殺させることによって、誰一人として悲劇の渦中から逃がさぬようにして。
そうまでして、そうまでしなけりゃこいつは、こいつは――喉の奥から叩き付けたい言葉がせり上がってくる。けれどノワールは、ぐうっと歯を食いしばる。口を真一文字に閉じてそいつを飲み干し、飲み下してやって。凍えたのかと思うほどに震える拳から、力を抜いて。
横目で、リリィベルを見る。冷たくて、動かない彼女を見て……深く、深く地面に穴が穿たれ様かというほどに深いため息を落としてやって。
「……もういい、わかった。やってやろう、やってやるさ! なによりリリィベルにはもう時間がないんだ、ここで悩んで躊躇っている暇も時間も、ないのだからな!」
しっかりとリリィベルを抱えなおして、そうして半壊した屋敷の扉を蹴り飛ばす。ガコンガコンッ! と吹っ飛んだ扉は何度か床を跳ねて、薄暗く静まり返った屋敷内に反響だけを残して飛んでいって。その後を、ノワールはリリィベルを背負ったままで踏み込んで。
「……まさかと思うけれど、そのまま行くつもり? 馬鹿じゃない? 死ぬわよ?」
少し遠くなった背後から、ダリアのそんな声が聞こえる。自分でこんなデスゲームを仕掛けておきながら、その声はどこか心配そうな声色で……はっ! と思わずノワールは鼻息ひとつ放って。
「なめるなよ! 私を誰だと思っている? 栄光ある帝国軍大佐、帝国最高の軍人、救国の英雄にして冷徹怜悧なる悪魔と呼ばれた男だぞ! ならば好きな女ひとり背負えずに、守れずに! 殺し合いの果てにその命を救う程度出来ないはずがないだろうがっ!!」
「……くっ」
――そう、忘れてもらっては困るのだ、私が誰なのかを。ダリア、貴様の知らない私がどんな人間なのかを。どれほどに、貴様に負けず劣らずに冷たく非情な人間、なのかを、だ。そしてそこでノワールの口元が、ぐにゃりと歪んで。
「心配するな、リリィベル……君は私が救ってみせるさ。たとえ――」
――君を何十人、殺してもな。