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再会と、花言葉になに思う。



   ***



 深い森の中、ひとり分の足音だけが木霊する。踏みしめる度に軟らかくも乾燥した葉の砕ける音、くしゃりくしゃりと心地よく。不思議と思考はクリアに、よく回る。


 ――ようは基準がどこで、なにを中心に回っていたのかというのが重要なのだ。と、ノワールはそこで述懐する。


 なにせ事態は面倒なほどに細分化し、枝分かれし、しかもそれが縦横無尽に絡み合ってがんじがらめの状態だ。例えるなら、見えない場所で放置されていた三本のコードがぐしゃぐしゃにもつれあってしまった、かのような。


 更にタチの悪いことにそれら一本一本が独立した線であるにも関わらず、始まりと終わりが同じものだからどうしたって同線上で重なり、交じり合う必要が出てしまう。スタートが同じなら、ゴールも同じ。それがとんでもなく厄介で、面倒な絡まりを生んでしまっている、というわけで。


 と、なんだか小難しい話を更に小難しく言ってはみたものの。


 その実はと、いえばだ。


「……どれだけ絡み合おうとも、出所は同じなのだよ。そしてその根元にはいつだって、たったひとりの少女の姿しかなかったのさ」


 大切なのは、根元の部分だけでよかったのだ。それだけのことなのだから。


 そもそも複雑怪奇に思えるその絡まりも、それぞれの線を追うからわからなくなるのだ。迷うのだ。解く事が、出来なくなるのだ、と。ノワールは静かに首を振り、そして。


「……だというのに所詮、思い出は笑えるか笑えないかの価値しかない、か。ふふん、痛いところを突く台詞だとは思わんかね?」


 半壊した館の前でわずかに顔を下げて眼鏡を押し上げる、足を止める。くしゃり、小さな足音に目を上げる。そよいだ風に、眼前で漆黒の長い髪が揺れ――ミルクと蜂蜜を混ぜたような、甘い香りが鼻腔をくすぐって。


「……申し訳ありません、わたしにはそれがなんのことなのか、さっぱりです」


 ……大佐さん、と。


 気の抜けそうなほどに、ゆるやかな口調。眠たいのかと思うほどにおっとりした、それでいてどこまでも響き渡るように涼やかな声音。ふたつの耳の穴から否応なしに鼓膜を震わせ、電気信号に変わり、その他の一切合切の雑音を押しのけて最優先的に脳に届くその声は……紛れも無く。


 間違う、はずなどなく。


「……なんだか、君に会うのは久しぶりな気がするよ」


 リリィベル――知らずに零れた笑顔は、心からのもの。それを引き出せる世界でたったひとりの君の名を、声にならずにノワールは心の中でそっと呼んだ。呼んで、浮かべた笑みのままそれを隠すように首が落ちて。


「ふ、はは……本当に、久しぶり、だよ」


 本当に、本当に本当に、やっとだよ――硬く、爪が食い込むほどに拳を握って。身体が、内から震えて。やもすれば、このまま倒れてしまいそうになって。


 ……嬉しくて、嬉しい以外が見つからなくて。すぐに、直視出来なくなった。不覚にも、視界が滲んでしまったから。そして、そして、そしてそしてそして――


(リリィベル、リリィベル、リリィベル……リリィベル! そうだ、そうなのだ、彼女がいるのだ。どこに? 目の前にだ。もう二度と触れえぬかもと思っていた君が、目の前にいるのだ。こんなに嬉しいことがあるものか? ないだろうさ! 彼女が、リリィベルが目の前にいる……それよりも素晴らしいことなど、世界のどこにもあってたまるものか!)


 ――とてもじゃないが、見せられない顔になって。笑いたいやら泣きたいやら叫びたいやらでぐしゃぐしゃに、崩れてしまってもう元には戻せそうに無くて。きっと自分は今、取り繕いようも無いほどに世界で一番醜い顔を浮かべていると思って。


「……どうして、俯くのでしょうか?」


「……気に、するな」


 声が、震えてしまいそうだ。いや、震えている。


 だけどそんな顔を、見せられなくって。でもリリィベルの顔は見たくて、けれど見れなくて。焦がれる想いが爆発しそうで、このまま左胸の隠した爆弾が破裂してジレンマが吹き出しそうで。ドクドクと脈打つ全身の熱が伝播して、火照ったみたいに熱くて、苦しくて。なによりも、


「……大佐さん?」


「……ふ、ふはは」


 顔を見なくたって、声を聞けるだけでもう、もうもうもう――ずっとずっと堪えて、ずうっとずうっと我慢していた感情に、押し潰されてしまいそうになって。もんどり打って、転げまわりたくなるようなこの甘酸っぱい感情だけであって。


 なんで姿を見せたとか、どうしてここにいるんだとか。そういった合理的で建設的で理詰めな思考のすべては、会ったら伝えようと思っていた、準備して練習した台詞がぜんぶぜんぶ、吹き飛んで。木っ端微塵で、欠片も浮かんじゃこなくって。


 たった、たったのひとつだった。


 それしかないのに、それだけがすべてを満たして。


 ここまでの葛藤も苦悩も、あらゆる問題さえも。ただの一度でチャラにするくらいのインパクトで。


 ああ、結局根元はこうなのだ。どれだけ言葉を、物語を積み上げてみせたところで。


 結局、確かな答えってやつは――


「……ふは、はははははっ!」


「あの……大佐さ、」


「……ああ、そうだな。そうなんだよ、結局どうあっても私ってやつはな――」


「……?」


 ――好きなのだ、リリィベルのことが。笑ってしまうしかないくらいにそれだけで、それしかないのだ。好きで、好きで、好きなんだ。君のことが、大好きなんだ、と。


 たった二文字が真実で、結末で、終わりでしかないのだろう、と。ノワールの中で、なにか晴れ渡るような、言葉にならないすかっとした気分が広がって。この世のあらゆるものが、鮮やかに色づいていって。


 ……よし、と。頷いて。俯けていた顔を、跳ね上げて。ノワールはしっかりと、リリィベルを見て。


「……大佐さん?」


 その浮かべられた不思議そうな顔、なんだか懐かしさすら覚える困惑した声、姿に仕種に惑う視線にやり取りに。それらぜんぶに、たまらない愛おしさを感じて。究極の自己完結ってやつを成して。


「そうだ、簡単なことだったのだ。簡単すぎて、難しく考えすぎてしまっていたのだろうな」


「ですから、大佐さん。わたしの話を……」


 たじろぐリリィベルへと向かいノワールは一歩、前に出る。


 もう、顔は下げやしない。悠然と、確かな足取り。なにかを言いたげなリリィベルとの距離を詰めていく、止まらない、止まれない。もうどうしてとか、なんでとかは必要ないのだから。無用だ、捨ててしまったさ、そんなものは、と。


 だけどそれは、つまり。


「……いいんだ、もうなにも。だからリリィベル、私の言葉を聞いてくれないか? すべてはその後で、構わないんだ」


「え、え、え……えっと……あう」


 ――浮かれて、いたのだ。


 恋は盲目という言葉を知っていながら、まんまとその盲目ってやつにはまってしまっていたのだ。


 油断、していたのだ。


 だから、だから、だから、


「リリィベル……聞いてくれ。私は、君のことが――」


「た、大佐さ……っつ!? うあ……!?」


 ビクリ、バウンドしたボールのように内から弾んだ細い身体を。


「リリィベル!?」


「あああああああああっ!?」


 そのままもたれかかる様に前のめりに崩れ、突然苦しみだしたリリィベルがどうしてそうなったのかを、そうなる前になにを言おうとしていたのかを、ノワールは知らなくて。知ることが、出来なくて。


「――リリィ、ベル?」


「……」


 いつかと同じように口からおびただしい量の血を吐きながら動かなくなった彼女を、抱きとめて、呆ける様に固まることしか……できや、しなくって。ぬるりとした真っ赤な液体の感触を、激しく揺れる瞳で見つめるだけ。なにも、なんにも、出来るはずが、なくって。


 そして、


「……ねえ、ノワール知ってる?」


 屋敷の方から聞こえた声は、ダリアの声だとすぐには気付けなくて。茫然自失としたまま、ぴくりとも、動けないままに。


「……ダリアの花言葉、知ってる? わたしはね、あなたにそれを贈りたいだけなのよ」


 ……答えは、見つかった。なのに返す言葉は、まだ見つからない。



 ――ダリアの花言葉は華麗、優雅、気品、威厳。そして、『移り気』と、あとひとつはいったいなんだっただろうか?

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