最も親しいから、親友なんです。
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テントを出ると、少し離れたところにちょうど戻ったらしいヴェルメイユの姿があった。そしてこちらを見つけるなり、ピンッ! と尾を立てて喜ぶ犬のようにこちらに気付いて。「ああ、ヴェルメ……」言い終える暇もくれずに一目散、爽やかスマイル爆発させて手を振りながら駆け寄ってきて。
「お、行くのかノワール。なら、そこまで送るよ」
「ふん、勝手にしろ」
さも当然のように隣に並んできて、そのまま帝国陣営をなぜか男ふたりで連れ立って歩くことになって――さながら仕官学校時代の帰り道のように。仏頂面と笑顔の、ボーイミーツボーイ状態になって。
そしてそんなふたりが、目的地に向かうまでになにを話すかといえば、だ。
「そうだノワール。前線からの報告によれば、ダリアは不利と見るやすぐにこの戦場から逃亡したらしい。恐らく行き先は、」
「破壊された私の父の屋敷、だろう? 先ほどブランシュから聞いたさ。というよりも、前面に帝国軍の陣がある以上は、背後のそこしか逃げ場がないというのが正しいのかもしれんがな」
「なんだ、お見通しだったのか」
「ああ……くく、しかしなんの因果か、あるいはそうなる運命なのか。わからんものだな。結局は思い出も今も、あそこに戻ってしまうのだから」
「なんのことだ?」
「……さてな?」
仕事の話は、そこそこに。
「それにしても……なあノワール、なんだかこうして一緒に歩いていると昔を思い出さないか? ははっ、懐かしいな」
「……そうか?」
思い出ばなし、のようなものであって。
しかし不覚にもこいつと同じことを考えてしまっていたことへの照れ、でもないが。ノワールはなんだか釈然と出来なくて、前髪を引きつつ少しそっけなく返す。だが、能天気なこの犬にそんな心の機微を察しろというのも酷らしく。
「ああ、ふたりでいつも帰ったものじゃないか。ん……そういえば卒業前には同期の女子たちがいつも一緒の俺たちを見て騒いでいたよな。なんだったかな? えーっと、確か……受けと攻め、とか、猫とか太刀とかだった気が……?」
「おいやめろ、なにを思い出しているんだ貴様!」
とんでもない爆弾メモリーをさらっと口にしだして。
「そうだ、ノワールが攻めで俺が受けだった! はははっ、まったくおかしいよな? 実戦では、そう特に暗がりでの夜戦なんかはいつだって攻めるのは俺の役目だったのに」
「やめろ、本気でやめろ! その言い方には御幣があるぞ!?」
ふたりの会話に陣営に戻ってきていた負傷兵たちがざわつきながらこちらを見ている。その内のひとりの女性兵士に至っては見るからに重傷であるにも関わらず、その目は爛々と輝き「私は、ノワール大佐が受け派でした……カハッ!」「きゅ、救護兵ーっ!」タンカで緊急搬送されていって――おい、誰かあいつをモルグに捨てて来い、今すぐに。と、それはともかくとして。
「……ああ、くそっ! なんなのだ貴様? わざわざついて来てまでそんな思い出話をして私をイラつかせたいのか? いいだろう、何よりもまず貴様の息の根を絶ってやろう!」
「わはははは」
「笑うなっ!」
「なんだ、ノワール笑えないのか? こんなに笑える思い出、そうはないじゃないか」
「ふざけろ、どうも貴様とは価値観が根底から違うらしいな」
まったく意図の読めない(いや、元々この能天気にそんなものは存在しない可能性が高いが)、ヴェルメイユの言動ことごとくに苛立ちを覚えてノワールは銃をその顎先に突き立てる。が、
「……思い出の、価値か。なあ、ノワール。思い出の価値なんて、笑えるか笑えないかしかないんだぞ」
「なんだと?」
慌てることも、焦ることも、ましてや怖じるなんてことは微塵も無く。ヴェルメイユは、わずかに低い位置から睨み上げるノワールににっかりと白い歯を見せていつものように笑顔を浮かべて。
「だってそうだろう? 思い出なんてのは、どれだけ言い繕ったって過去なんだ。どれだけ美化しようが鮮明だろうが、戻れやしないんだ。あとはもう、思い出して笑うか笑えないか、それだけの話なんだ。今、君が俺との思い出をどれだけ毛嫌いしてもどうにもならないのと同じにさ」
「……なにが言いたい?」
ゴリッ、と更に深く銃身を押し上げる。抵抗は、ない。変わらずに浮かんだ笑みは、いつにも増して柔らかく。
「思い出は、どこまでいっても思い出でしかないんだ。横並びじゃない以上、今はそこを歩くことは出来ないんだ。だから肩の力、抜けよノワール。君は険しい表情が似合うけれど、そんなに切羽詰った顔は似合わないぞ? なにより……そんな顔で、リリィちゃんに会いに行くつもりか?」
「む……」
反面、自分じゃ見れないが今の己のツラってやつはよっぽどそういう顔をしてしまっている、らしくて。空いた手で、少しだけ頬をなぞってみて――なるほど、確かに強張っているな。張り詰めた頬の肉の硬さに、少しだけ驚いて。
「それにいま、君を一番笑わせてくれるのは思い出なんかじゃないだろう?」
リラーックス、と顔に立てた両手の一指し指を当てたヴェルメイユのアホ面相手に、そんな顔を前にしてこんな固まったような表情を浮かべているという事実に、なんといおうか。
「ふん……ならばその理論でいうと、私の思い出ってやつはほとんどが笑えないものばかりになるな。そして今、またそんな笑えない思い出は増えてしまったわけだ」
「あ、ひどいぞノワール。俺なりの激励だったのに」
「黙れ、だとしたらありがた迷惑だ」
なんだかもう、色々と馬鹿らしくなってしまって。
はあ、と。呆れたように銃身と一緒にため息が落ちる。そんなノワールの姿に、わはははっ、とあっけらかんな笑い声が響いて――
「つくづく貴様もブランシュも、励まし方というのが下手だよ、本当に」
――とりあえず、笑っておく。
嬉しくも、楽しくもないけれど。一応、感謝だけはしているから。口になんて、してはやらないけれど……本当に、こいつはいい男だとは思うから。もしも女だったら、惚れていたさ。なんて、それでもそう思っているのだからそれくらいはしてやるのだ。伝わったかどうかは、知ったことではないが。
そしてそのまま銃のグリップで頭を軽く掻きながら、なにを考えているのだろうな、とノワールは少しだけ瞼を伏せて。くくく、と喉を鳴らして。ひとしきりそうしたところで、はたと気が付いて。
そういえば、なんでこいつ――と、
「なあ、ヴェルメイユ」
「なんだ?」
「貴様、なぜ私がリリィベルに会いに行くと知っている? なぜダリアではなく、リリィベルを選んだと――」
言いかけたところで、
「……敵襲! 敵残存部隊の奇襲です! 本陣横を突かれたようです!」
「っつ……すまないノワール、どうやらその話はまた今度にしたほうがよさそうだ」
突然、陣内が慌ただしくなる。同時に会話を切るようにヴェルメイユが手のひらをこちらに突き出す。見れば陣の横腹を突くような形で、確かに数台の車両が砂埃を巻き上げながら近づいてきているのがノワールにも見えて。
トン、と肩が押されて。
「さあ、そろそろ行けよノワール。戦争をしたことで、ここでの君の責任は終わってるんだろう? リリィちゃんの居場所はもうわかっているんだろう? だったら、早く迎えに行ってやらないと」
「……ふん」
――いったいこいつ、どこまで気付いているのだろうか? それは、また今度ゆっくり聞くとして。
「ノワール、早くしろ!」
ここは俺に任せて早く行け、なんてベタな台詞。こいつ以外が言おうものならば、ふざけるなと一蹴してやるような、そんな言葉に後押しされて。
「潔く死ね、骨くらいは蹴ってやる」
「ひどいな、拾ってくれよそこは」
緊張感皆無なままで、背を向ける。戦場のど真ん中で、学校帰りに別れる友人同士のように背で手を振りながら。そして、
「……例え思い出に悩もうとも君は、最初から最後まで中心にいたのはリリィちゃんだったじゃないか。わかるさ、俺もいつだって、いや他の誰かを好きだと知っていても変えられやしなかったからな」
わかるさ、と。
背後で鳴り響いた爆音に掻き消されたその言葉は……この耳には届かないことにした。
――なぜなら長かった思い出話はここで終わり、そろそろ今に目を向ける時間なのだから。