終幕の開演、です。
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――どこからどこまでが嘘で、どこからどこまでが真実なのかと問われれば。自分はいつだって嘘つきで、彼もまた嘘つきなのだと答えるだろう。
「……登場人物が是と言えば、例え否であっても舞台を見る観客たちにとってそれは是になる。なぜならば舞台を見る観客たちにはその舞台上で生きる人物たちが織り成す事柄こそが真実で、そこに自分たちは介入することもなく眺めるだけなのだから」
嘘であっても、そこでは真実になる。それらは演じる側の裁量ひとつ、見るものを偽り没入させることで成立し得るものなのだから。と、そこまで誰にでもなく話したところで、ダリアは少しだけ息を吐く。
「見ている者は、わたしが発した言葉を真実だと思い込む。わたしが演じた姿を、その配役を疑わない。それらが観客にとっての唯一であり、演じる者にとっても唯一なのだから」
劇中でたった一度映された真実があれば、それ以降見えるものが本物なのだと言い張れば、それはまごうことなき真実であり。舞台上の台詞と仕種だけが、唯一無二の「本物」だという「錯覚」なのであって。それは名前だけの登場人物――つまり。
「……最初からあの子は、リリィベルはこの戦争というつまらない舞台上には一度だって、そう一度として立っちゃいないのよ」
まだ一度としてリリィベルという名のヒロインを、直接その姿を両の眼に映してはいないということであって。
「あの屋敷以降、彼とあの子が別れたあの日からずっと。リリィベルという名の少女は、リリィベルという名を語った代役でしか舞台に上がっていないのよ――そう、」
吹き抜ける強い風、荒野の砂を巻き上げる。そこに一際高く隆起した、見上げるほどの岩塊にダリアは立ち。眼下に並んだ数万の反乱軍の隊列へと、そしてそれを迎え撃たんと広がる倍以上の帝国軍の大軍を見下ろしながら。
真頂点に燦々と輝く太陽の下で髪を指でなぞるように払う、横になびくようにはためいて流れて、金に輝く細い髪たちが乱れ舞い。知らず、口元が綻んで。
「それが、最初から決められたシナリオなんだもの。悲劇のヒロインになるには、あの子がわたしになるためには……わたしと同じくらいに苦しんで、悲しんでもらわなきゃいけないもの……だって」
彼が、どう思っていようとも。
どんな形であろうとも。
どんな結果になろうとも。
彼が、たとえ最後の瞬間まで自分を愛さなくても。
――たとえ世界中の誰もが、お前は狂っていると、そう言おうとも。
「……もう、迷わないから。わたしじゃなくあの子をあなたが選ぶなら、あの子がわたしになればいい。そしてそうすることでわたしは、最後には必ず、必ずあなたの一部になるんだもの……ふふっ、ねえ」
……それってとても幸せなことじゃないかな、ノワール? 囁く様に呼んだ名に、遥か遠くより答えるように、応えるように。
『……ダリア、もうこれでお終いだ』
石つぶての投げあいは、これが最初で、最後にしよう――!
拡散し広がった声が荒野へ響き渡る。低くて、どこか冷たさを孕んだ声音。日が昇る前の、あの思い出を口にした瞬間にはあれほど優しくて柔らかかったのに……今じゃもう、血の通わぬ鉄の刃物のように感じられて。
「いいよ、それで……もう、それでもいいのよノワール」
ダリアは、静かに瞼を伏せる。わずかに顎を上げ、幾ばくかの暗闇に思考を落とす。
彼が去った後、しばらくは立ち上がることさえ出来なかった。部下に肩を借りて、おぼつかない足取りで陣営に戻ってからはテントに塞ぎ込み独り、泣いた。どうしてなのかと考えて、出ない解答にまた泣いて、このまま枯れ果てるんじゃないかと思うほどに涙を零した。
なのに、それなのに。
あれほど冷たくされようとも、遠まわしにでも答えを告げられようとも、それでも切り捨てられない思い出に苦しんでも――熱を帯び続けるばかりの恋慕に身を焦がされて、燃え尽きることを知らないノワールへのこの気持ちは、
「わたしって、たぶん世界で一番重たくて、厄介で面倒くさい女なんだろうなあ……」
一途、なんて言葉ではもう誤魔化せないものだから。
だからそんな自分を知って、知っているからこそダリアは。ゆっくりと、伏せた瞼を持ち上げる。吹き抜ける風に揺れる睫毛の下、世界を再び映しこむ青い瞳。少しだけ眩しさに眇めそうになりながら、それでもちゃんと、彼を見て。
閉じた貝のように噤んでしまいそうになる唇へ、手に持った拡声器を近づけて……少しだけ、本当に少しだけ。微笑んで。
「……ええ、そうね! これで最後にしましょう!」
ハウリングもおかまいなし、ありったけの声を張って精一杯にぶつけてやる。それを後押ししてくれるみたいに、ノワールの元へときちんと届けんとするみたいに……強い風が真っ白な軍服をはためかしながら、嵐のような追い風が広大な荒野に広がった両陣営を超えて吹き抜けて。
そして、示し合わせたわけでもないのに。ダリアとノワールは同時に真っ直ぐ、天へと手を振り上げて。
『全軍――』
どうしてだろうか? 彼が、笑った気がして。
「――突撃せよ!!」
ダリアも、笑う。
まるで、幼い頃にあの屋敷でした真冬のかけっこの、その合図みたいに。手を、振り落として。
「……さあ、ノワール。ここからは」
『殺し合いの時間だ……!』
無邪気な笑顔の間で、巨大な白と黒の波がぶつかり合う。轟音と怒声。銃声と悲鳴を、あっけなく散る魂を無数に添えて。
ここから嘘つきなふたりの最後の演目、『戦争』という名の舞台が始まるのだ――。
――これが悲劇か喜劇かは、彼が嘘に気付くかどうかで変わるのだろう。でも暗転した先の台本は、誰にとってもハッピーエンドのはずだけれど。