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優しくない世界の思い出に、さよならを。



   ***



 翌朝、早朝。まだ日も昇りきらぬような薄暗さの中、ノワールはひとりテントの外に出た。


 ほんのりと荒野に流れる冷たい風が吹き、起きぬけの頬をひやりと撫でて抜けてゆく。見れば哨戒中の帝国軍兵が数名、反乱軍陣営のほうを気にしながら陣内を歩き回っている以外、まだ誰も目を覚ましてはいないらしかった。その様子を眺めていて、ノワールは。


 ――あれは? と、その横に伸びた帝国陣営の奥。ふと、気がついて。


「……どうやら昨日のあれが、よほどお気に召さなかったらしいな」


 くくく、と。知らずに笑みを漏らしながら胸元から取り出した最後のタバコに火を着けて、深く吸い込む。喉に微かな刺激を与えながら肺一杯に煙が染み込む感覚がして、しばしそのまま残りの煙を口の中で燻らせて、やがて朝日昇らぬ空へと薄く吹き出してやって。


 ゆっくりと、瞼を落として。


「……石の投げ合いは、まだ始まっちゃいないというのにな。あの紅白馬鹿共も、誰もそれに気づかぬことが幸いか、あるいは不幸なのか……くくっ」


 言いながらもざくざくと小気味良い音を立てて陣内を歩き、先ほど見回したときに確認した哨戒兵のルートを避けるようにして、そうして誰にも気づかれぬこと無く帝国軍陣内を抜けてゆく。


 そして、抜けた先。つまりはちょうど両軍の狭間。無防備にも身一つでそこに立ち、


「……やあ、待たせてしまったかな?」


 燃え尽きたタバコを、指でつまみ唇より離す。残りの煙を吹きながらぴんっと弾いて、ゆるやかな弧を描き宙へと舞い上がり、そして音も無く落ちた――その先に。


「……タバコ、吸うんだね。知らなかった」


 荒野に吹く、遮る物のない風に長く艶やかな金髪が揺れる。射抜くように真っ直ぐな青い瞳は、揺らぐことなくこちらを見据えていて――彼女は、ダリアはそこにいて。


「……むしろ私こそ知らなかったよ、寝ぼすけな君がこんな朝早くに散歩できるようになっていたのだからな。昔は私のほうが先に起きて、君を待っていたものだがな」


「……っ」


 驚くこともなく、ノワールは静かな口調。戦線の境界に立っているとは思えぬほどに穏やかな表情で……そこはかとなく、わざとらしさもなく。二人だけの思い出を口にして見せて。そして、その言葉にダリアの肩がぴくり、小さく弾んだのが見えて。


「……単純なのは、相変わらずのようだがな」


「……うるさい」


 くくくっ、と茶化すように喉を鳴らして笑ってみせて。ダリアも言葉ほど怒りを含まぬ声、釣られるように笑ってみせて。ひとしきり、ふたりくすくすと笑いあって。それだけで、もう余計な説明などは必要なくなって。あとは、一歩ずつ互いに前に出て。


 肩先が触れるほどに近づいて、けれど互いの顔を見ない横並びの形になって。


「……それで、あなたはここでなにをしているのかしら?」


「さて、なんだったかな? 君の姿が見えたから、つい足を運んでしまったのかもしれないな」


「あら、それはとても嬉しいわ。あんな大勢の前で告白してしまうようなピエロじゃなければ、本当の意味で再会できたことに、泣いて抱き締めてあげたかったのだけれど」


「耳が痛いな、昨日も同僚ふたりに奇異の目を向けられて、憐れみまで施されたばかりだというのに」


 話しながらもまた、互いに一歩前に出る。大小ふたつの足跡が、すれ違うように交差して。


「ふふ、それは可哀想にね。けれど知っているでしょう? そういうのを自業自得っていうのよ――本人の前じゃ言えないからって、わたしを練習台に使うような男なら尚更、ね」


「……さて、なんのことかな?」


「あら、あなたのせいで、髪を傷めてまで染めたのが無駄になったって話しよ。それともお揃いのままのほうが、お好みだったかしら?」


 ふふ、とダリアが口元に手を当てて笑う。そんな姿にノワールは肩をすかして、首を傾げる。


「……どうせ練習でも告白するなら、躊躇わずに言い切ってくれたならよかったのに。昨日、わたしだって気づいた瞬間、言葉に詰まりかけたでしょう、ノワール」


「……記憶に無いな。まさかあれは、君だったとでも言うのかい?」


「それを誤魔化すためにあんなわかりやすいリアクションまでしちゃって、あなたって意外に役者よね」


「君ほどじゃあないさ。それに胸が狂おしいほどに高鳴ったのは、嘘ではないよ」


「……本人を、前にしなくても?」


「……君がいての、彼女だろう。君がいなければ、彼女だっていないのだから。そしてもしもあの場に彼女がいたならば、きっと私は今『ここ』に立ってはいなかったよ」


「……じゃあ、あなたはいまどちらなのかしら?」


「……さて、どちらだと君は思う?」


「……」


「……」


 一拍の、静寂。ややあって、肩越しに小さくため息が落ちて。


「……ねえ、ノワール」


「なんだい?」


「……わたしの名前、呼んでくれる?」


 掠れそうなほどの声、聞き逃してしまいそうなほどに弱弱しかった。けれど、ちゃんとノワールには聞こえていて、聞こえていたからこそ。


「……君が、望むのなら」


「……なら、望むわ」


 瞬きの間すらなく返された言葉に、ノワールは静かに瞼を伏せて……少しだけ、本当に少しだけ息を止める。息苦しさの中で、噴き上げてくる言葉たちを押しとめて、必要な言葉だけを掴み取り。


「――ダリア」


 ……小さくとも確かな声、呟いた。そしてそこでゆっくりと、二人分の影を伸ばしながら朝日が昇り始めたのが見えたところで。


「……それが、答えかしら?」


「……それが答えで、君が納得するのならばな」


 そこまで話したところで、くくく、とノワールは笑う。ふふふ、とダリアが笑う。そして日が昇り切ったのと同時にどちらともなく、胸元に手を差し入れて――


「……残念だわ!」


「……ああ、残念だとも!」


 ――即座に振り向き抜き出した銃を、互いの鼻先に向け合う。瞬間、それぞれの背後から無数の砂煙を巻き上げて何台もの車両が走ってくる。それは帝国軍、そして反乱軍の車両部隊の姿であって。


 互いの指揮官の背後数メートルの場所に止まるや否や、中からは武装した両軍の兵士が飛び出してくる。そうして隊列を組み、銃を構えて眼前の敵へとその切っ先を向けて睨み合い。


「……いっそ、素直に愛せないってまた言えばいいじゃない」


「……愛していたさ、貴様が彼女を壊さなければな」


 引き金に、指はすでにかかっている。あとはもう、ふたりのどちらが先にそれを引くか、それだけの話であって――しかし。


「……だったら、だったら、」


 だったら、わたしは……ダリアが、なにかを言いかける。そしてそのまま、


「……だったらわたしは、どうすりゃいいのよ。妬んでも、八つ当たりしても、自分自身を嫌っても消しても……どれだけあなたを想っても。それでもそれしかわからない。それ以外に投げつけるものが見つからないわたしは、どうすればいいのよノワール?」


「……」


「……あなたが愛してくれるわたしは、いったいどれなのよ?」


 そこで、ダリアの銃を握った手が落ちる。同時に帝国軍の兵たちが、ガチャガチャと音を立てて射撃体勢に入り――やめろ! ノワールの怒気を孕んだ強い声に、ビクッ! と全員が止まって。


「……帰るぞ。もう、ここに用はない」


 ノワールもまた、銃を下ろして振り返る。しかし並んだ兵たちが口々に「しかし大佐、敵を目前にして……!」納得のいかない声を漏らすものだから、


「……聞こえなかったのか?」


「……ひっ?」


 その内のひとりの顔面をきつく鷲掴み、ギリギリと力をこめて。


「……全員、帰投準備だ! 従わぬ者はこの場で撃ち殺すぞ! 急げ、ハリーハリーハリーッ!」


 投げ飛ばすように地面に叩きつけ、車両のドアを乱暴に開けて乗り込む。そしてあっという間に兵たちも続けて車両に乗り込み、エンジン音と共に砂埃を巻き上げその場を後にして。


「……ノワール、わたしは、」


 サイドミラー越し、遠くなっていくダリアの姿。その口元が何かを呟くように動いているのが、ノワールには見えた。だからノワールもまた、声には出さずに呟いて。



 ――愛してる。愛していたさ。現在形と過去形は、どれだけ似てても交わらない。

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