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誰のための戦争は、開戦すらも。



   ***



 ――私が余裕に見えるか? だとしたら貴様は、なにもわかっちゃいやしないさ。


「どういう意味だい?」


「愚かな貴様には、わからんよ。絶対にな」


 降り立った荒野にて、開戦直前に「こんな時でも、君は余裕なんだな」――横に立つヴェルメイユのそんな問いに、彼は紫煙を燻らせながらそう言った。降り注ぐ真昼の陽光のせいで反射したレンズの奥の瞳は、窺い知る事は出来ない。


 不機嫌なのか、上機嫌なのか。気が立っているのか、あるいは気が緩んでいるのか……どちらとも取れるその静かな声音は、口元に携えた微かな笑みは。いったいどんな胸中からなのかを、誰も察することができなくて。


 ……本当に、こんな時だというのに。


 たった十数時間前に、最愛の女性を殺す選択をしたばかりであっても、そうであっても。取り乱すでも、狂乱するでも、泣き喚くでも、悩み葛藤するでも――ともかくそういった苦悩を表す素振りをただのひとつも見せようとはしない。


 それこそ基地に戻るなり部隊の編成を急がせ、作戦を考案し、銃火器の用意を済ませ――なぜ、どうして、と問い詰めた自分たちのことなど眼中にも納めず、「これは戦争で、我らが帝国の軍人だからだ」と冷たくあしらった。


 そうして出撃直前の最後のチャンス、あの昇降機の中での会話でも彼はなにひとつ本音は語らなかった。というよりも、基地に戻ってからの彼は「友人」であり「幼馴染」である前に、「帝国軍大佐」としての顔しか見せようとはしていない、ように感じられた。


 あんなにも、あんなにも夢中であったのに。なによりも、なによりも愛していたはずなのに。


 例え帝国という国の定めたルール、皇帝へ絶対の誓いをしてしまったということがあっても。それでも自分たちの知る彼は、彼女に惚れた彼ならば、こうも割り切ったような態度は取れるはずもないはずなのだ。他の方法を模索しようと画策し、頭を抱えて悩むはずなのだ。


 だというのに、だというのにだ。


「なにもかもが整えられた上で交わす、色恋沙汰など在りはしない。いつだって問題ばかりで、そればかりが積み上がって嵩を増す。どれだけ問題を淘汰しようとも、後から後から沸いてくる――そうしてすれ違って、噛み合わなくて。そのくせ噛み合えば手を取り合って……『私たちの場合』、戦争と同じ原理なのさ、ただ恋するだけでも」


 彼は、「余裕」という二文字以外は浮かばない姿で、また笑みを浮かべて――どこか、すっきりとしたようにも見える面差しで。


「結局、我の押し付け合いなんだろうさ。君が好きだと、あなたを愛すと。でもそれはほんの少しのベクトルの違い、おまえが憎い、誰それが嫌い……好意であれ悪意であれ、感情という石つぶての投げ合いだ」


 また、薄く開けた唇から煙を吹き出して一歩、前に踏み出して。


「ましてそれが二方向から投げつけられたとしたならば、どうすればいい」


 わずかに傾げた顔だけが、振り向きこちらを見る。ようやっと見えたそのレンズ越しの瞳は、どこか、どこか……悲しげ、にも見えて。あ……と、声をかけようとしかけたとき。


「そしてその投げられた石つぶてが、悪意が好意の裏返しだと知っているのならば……本当、ままならないな。受け止めるにしろ投げ返すにしろ、痛みを伴わなければいけないやり取り。そんなところでさえ、愛し合うというのは、殺し合うこととおんなじなのだから――」


 ――だとしたら、いったいなにが正解なのだろうな? どこから間違いだったのだろうな?


「……もしかしたら敵と味方として出会った時点から、いや私がすべてを忘れて帝国という国の軍人になり、彼女の敵になった時から……あの、冬の夜に救えなかった瞬間から、もう」


 リリィベルという『ひとり』の少女を愛した瞬間には、もう――と、彼がそこまで言ったところで。


『て、敵襲――ッ! 前方に、反乱軍の大隊です!』


 声と共に一陣の風が吹き抜ける。そして彼は咥えたタバコを吐き捨てて、踏み潰し。


「……本当に、ままならないものだよ」


 ……過去も現在も未来も、他人も、自分も、な。また一歩、前へ踏み出して。


「だとしたら、そうまで分かっているのなら……あなたはどうして、軍人としてここに、この戦争に望むの? ……ううん、そうじゃない、そうでなくて――あなたは今、どちらの……『誰のために』戦争をするの?」


「……ふん」


 問いかけた自分の……ブランシュの言葉に、彼は、ノワールは深く軍帽をかぶる。そしていつものように眼鏡を押し上げて口元を歪めてみせて。


「……それを口に出来るのは、余裕のある者だけさ。そして余裕があったなら、私は今、帝国軍の大佐としてここには立っていないよブランシュ」


「……え?」


 それって、いったいどういう――? ノワールの言葉の意味がわからず、更に問おうと駆け寄った、そのとき。


『――大佐さん、お待たせしました』


 戦場となる荒野すべてに響き渡らんばかりの、拡声器越しでも涼やかな声。それが、この場すべてに広がり満ちて。ブランシュへの答えは返さずにノワールは振り返り、そして遠くに広がる大軍へ……その中央に立つひとりの「敵」へと視線を飛ばし、


「……あの宣戦布告を見たときから、どれだけ変わろうとも彼女が私を『そう』呼ぶのならば、私は『そう』であることが答えなのだと決めただけさ」


 そう言って傍にあった拡声器を鷲掴み、すう、と息を吸い込んで。


「ああ、待っていたよ。そして、君は知らないだろうしいきなりだが、私はこの戦争に際してまず言っておかなければならないことがある!」


 キィィーン、とハウリングを起こすほどの大きな声で、声を飛ばす。そしてそれはいつもノワールが戦争という場において、帝国軍大佐として行う開戦前の宣誓なのだとブランシュは知っていたから、ああこれから始まるんだ、と一歩下がる。


 ――もう、止められないのだと。そのチャンスは失われたのだと。そう覚悟を決め、瞼を伏せる。隣に立ったヴェルメイユが、こっそりと手を握ってくれる。その手の温もりに、感じる、想像してしまう。


 愛しい者に殺意を向ける気持ちとは、いったいどれほどのものなのだろうか、と。その背でいまノワールは、いったいどんな気持ちでいるんだろうか、と。


 ブランシュは胸がギシリと、軋むように痛んだ。泣くことも悩むこともしないあいつのかわりに、いっそそうしてやれればいいのに、とすら思っていて。


「……」


「……」


 そして、わずかばかりの静寂。


 帝国軍も反乱軍も共に、ゆうに数万規模の武装した人間たちがそれを待つ。発されるであろうその声と同時に手に持った銃を敵へと撃たんと引き金に指を近づけ、息を飲み、ノワールというたったひとりの男へとすべての意識が集約した――瞬間、彼はカッと目を見開いて。


「私は、君を……」


 一度、躊躇うように言葉を切って。そしてそしてそして、


「愛しているッッ! リリィベ――――ルッ!」


「んなっ!?」


 パパパパパアンッ! と、祝福するクラッカーよろしく極限の緊張の中で意表を突かれた帝国兵と反乱軍両軍による大量の誤射の嵐が鳴り響き、意図せず放たれた銃弾に敵味方どちらも阿鼻叫喚の地獄絵図で……思わずブランシュは目を開けて――ななななにを、言っているのだこいつは!? と。


「ちょ、ちょ、ちょっと、ノワー……」


「……ぐっ」


「!?」

 

 ブランシュが慌てて駆け寄ろうとすると、突然ふら……っとノワールが膝から崩れて。はっとして、もしやさっきの誤射祭りの弾が当たったのか? と、その崩れた身体を非力なりに精一杯受け止めれば、ノワールは。


「……してしまった」


「はあ?」


 それは蚊の鳴くようなか細い声、だった。見れば膝を折り、両手で顔を隠している。一体全体、どうしたというのだろうこいつは……とブランシュが訝しげな顔で、ぺりぺりとその手を引き剥がしてみれば。そこには、


「してしまった、してしまったのだブランシュ……リリィベルに告白……してしまった……私はこのあと、どうすればいい……?」


 見たことも無いほどに赤面した、告白した羞恥に身悶える乙女がいて……いや、違う。いい歳した現役軍人しかも役職持ちの男の姿がそこにはあって――思わず。


「……死ねばいいのに」


「はうっ」


 ぽいっと、投げ捨てて。ズザア、とノワールは地面に転がって。ついでにささっと拡声器を奪い取ってやって。


「リリィー? 聞こえてるー? ごめーん、さっきのなし、もういっかいやらせてくれるー?」


 一応の謝罪、遠めに見えるリリィベルと反乱軍の連中にそう、ブランシュは叫ぶ。が、しかし。


「……ッ! ……ッ!!」


「どうしたんですか、しっかりしてくださいリーダー!」


 なにやらあちらもあちらで、この地面に転がる空気の読めないバカ眼鏡の不意打ち食らって顔を両手で隠して膝を突き、悶絶していらっしゃる。それを反乱軍の兵士たちも困惑した様子、ひどく慌てふためいている姿が見えて……ブランシュは頭を抱えるしかなくて。


 ……なんだ、なんなのだこれは? なんかもう、どうでもよくなって。


「……はあ~」


 両軍どよめきどうすればいいかわからない、大混乱の様相広がる戦場を見据え、次いでヴェルメイユを見て。ノワール! 傷は浅いぞしっかりしろ! と、なんか茶番を繰り広げていて。仕方なし。すううううっと思い切り息を吸い込んで。


「……帝国軍反乱軍、共に全軍、突撃せよー!」


 え、あ、えーと……うおおおおおおおおっ! 前代未聞、敵も味方も関係なく飛ばされた開戦合図で両軍が巨大な生き物のように唸りを上げてぶつかり合って――そして、静かに拡声器を落としながらブランシュは思うのだ。


「……もうさ、真面目に考えたら負けだと思うのよね」



 ――まあ、なんであれ。一番の被害者は誰なのかは……言うまでもないことかもしれないけれど。

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