君を殺す、そのために。
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種を撒いたのは、自分。芽が出るようにと水を注いだのも、自分。そうして手ずからせっせと世話をして、だというのにやっと芽吹き花咲いたそれを見て。『こんなはずじゃなかった』なんて言う事ほど間抜けな話もないだろう。
「……こんなはずじゃ、なかった」
だが、本当に残念なことなのだが。そういった間抜けな手合いを自分はひとり、知っている。反吐が出るほどに愚かしく、直視することさえ躊躇われるような、本当にどうしようもない間抜け野郎を知ってしまっているのだ。
そしてそいつは今まさに大臣が差し出した小型のモニターを強引に奪い取り、膝を突き、眼鏡の奥の瞳を見開けるだけ見開いて。背を丸め、手に持ったそれを周囲からまるで覆い隠すようにして。
「……ノワール大佐! いったい何事だというのだ! 説明しろ!」
「……黙っていろ」
「なっ!?」
あろうことか主君である皇帝にこんな台詞を言い放ち、手のひらを突き出し顔すら上げず。
「き、貴様! いくら救国の英雄とはいえ皇帝陛下に向かってなんという口の利き方を……!」
「黙れと言っているッ!」
「……!」
駆け寄ってきた大臣をも一喝し、一蹴し。余裕のないツラをありありと浮かべ、食い入るようにそのモニターを凝視し続けて――リリィベル。その名を呪文のように呟くばかりであって……まさかこんな、銃殺刑ものの無礼を働くやつが自分自身だとは、数分前のノワールならば夢にも思っていないだろう、と。
そんな客観的な視点からの自己分析は、ともかくとして、だ。
『……宣戦布告します。わたしたちは、武力を以って帝国という国家へ反逆を開始いたします』
手元から流れるノイズ交じりの、だというのに耳の穴から脳髄まで一直線に届くような、そのひどく丁寧な口調、涼やかな声色。小さな枠の中で語る彼女のその声が、いや姿が、ノワールから一切の余裕とゆとりを奪うだけの問題なのであって。
――上下共に穢れのない、純白の制服はまるで誰かと裏表。恐らくは奪った施設の屋外からダイレクトに中継しているのだろう。腰元まで伸びた黒髪と肩にかけたコートを壇上に吹く風ではためかせながら、あまりにも彼女のイメージにそぐわない、似つかわしくはない出で立ちで。
まるで見知った彼女のすべてが嘘であるかのように、ゆるやかに、しかし悠然と語るその姿に。ノワールはもう、わなわなと手を、肩を、背を、全身を……震わせることしか出来なくて。
……だって、だってだ。見れば見るほどにそれはまるで、似通った誰かの姿そのまま、であって。同時にそれが、この結果を引き出した、これを仕向けた相手を容易に連想させて。
「……ダリアめ」
そして悔しげに呟いて、噛み締めた下唇から一筋、血が流れたところで。
『――見て、いますか?』
「……っつ?」
目深にかぶった白の軍帽から、しかしいつものやる気があるのかないのかわからない目元、覗いた青い瞳が画面越しにこちらを見据え、不敵に笑い。
『……さあ、戦争です。これはあなたが傷つけた、あなたが望んだ、「わたしからあなたへ」贈る戦争です』
「ッッ!」
大佐さん――まるでこの小さな枠越しに、目の前で向かい合ったかのような語り口。ふふっ、と綻んだ口元は、まるで画面の向かい側で血を流すノワールを、ふたりの彼女が嘲笑っているかのようで……瞬間、カッと頭が沸騰したようになって、ノワールは手に持ったモニターを高く上げて、
「……そこまでだ!」
「……くっ」
勢い良く床に叩きつけ、ようとしたのだけれど。振り上げたところで、背後から強い口調の声が飛んで――ビタリ、条件反射のように止まって。
「……熱くなりすぎだぞ、らしくもないのう」
ノワールの肩を叩いて背から現われたのは、目線二段は下。見れば肩先で銀髪を弾ませながらユグドラが、やれやれと言いながら瞼を伏せて腕を組み、むっすり尖った小さな唇を突き出しながら横を通り過ぎ。目の前で止まったかと思えば、ぴょんっとジャンプして振り上げた手からモニターを奪ってみせて。
「なっさけないツラだのう」
見上げるようにノワールの顔を見ながら腰に手を当てて。今度は口をへの字、ふん、と不満げに鼻を鳴らしてみせて……そして、なにも言わずただ立ち尽くし見つめ返すばかりのノワールに、「はあ、まったく」とすぐに踵を返したかと思えば、そのまま。
「……大臣、すぐに軍部に連絡をせよ! これは明確な敵対行為……帝国に売られた喧嘩ぞ!」
横へ薙ぎ払うように手を振り、とても十四歳とは思えぬ威厳ある声で指示を飛ばす。それを受けて即座に大臣は「はっ、直ちに!」と返事をし、謁見の間から駆けていって。ノワールがその背をまだ黙したまま、見つめていれば、
「……どうやら逃げ道を塞がれたようだのう。まさに俎上の魚というやつじゃな」
「……」
「余の選択を、この即断を。そちは恨むのだろうな」
「……いえ、姫様は正しいですよ」
「……そうか」
隣に立ったユグドラは、仔細を知らないながらも今のノワールの心境と状況を、その言葉通りどうやら正しく察しているらしく――ああ、そうだ、そうだとも。またまんまと自分は彼女に、ダリアにしてやられた、それだけのことなのだ。
……これで、この戦争はリリィベルが放った言葉通り、「わたしからあなたへ」。つまりはリリィベルからノワールに贈られた戦争に成り下がった。ダリアではなく、ダリアが関わらない、なのにダリアとノワールふたりの戦争。
それはノワールが最も望まず、だからこそそれがノワールが一番傷つくのだと知るダリアが望む。なによりも帝国軍人としての絶対の誇りがあるノワールだからこそ、逃げ場がない。そんな戦争に落ちたということで。
「……ならば、このあと余がそちに言う言葉にも、恨みは抱かぬと思ってよいな」
「……もちろんですよ、姫様」
……だから、ユグドラの判断は正しいのだ。売られた喧嘩に、容赦は出来ない。ましてや相手が誰であれ、喧嘩を売ってきた相手を許してやるほど帝国という国は優しくない。もう一度言う、誰であれ、だ。
それは今まで冷徹怜悧、帝国の非常な悪魔などと呼ばれてまでノワールが帝国軍の軍人として行ってきたものに他ならず。それを誇りにすら思っていたからこそ、軍人だったからこそ今の自分があるのだし、なによりだからこそ彼女に会えたのだとも思う。
けれどだから、だからこそこうならないようにユグドラに会いにきたのだけれど……ほんの少しだけ、遅かった。先手をダリアに取られてしまった。そうなってしまえば、もう。
ノワールは、跪く。ユグドラの前で、頭を垂れて、そして。
「ならば栄誉ある帝国の君主、皇帝ユグドラが帝国軍ノワール大佐に命ず!」
もう、ノワールに残された選択肢は、
「帝国に仇なす者に守護を持って深く刃を突き立てよ!」
「はっ! 帝国に仇なす者に、刃を持って粛清を! 蹂躙し、殲滅し、一切の容赦なくその罪を刻むことであります!」
「なれば、敵をひとり残らず殲滅せよ! 帝国の軍人として、ここに誓え!」
「はっ! 帝国軍大佐として、ここに――」
もう、もう、もう。
「――誓います!」
立ち上がり、天高く届けんとばかりに――誓うのみ。
リリィベル、君を殺す、と。
それだけを誓うことであって。
「ふ、ふふ……」
そして誓いの言葉と同時にノワールは立ち上がり、天を仰ぎ。知らず、口元が歪み。
「……ふ、ふははは、ふはははははっ!」
くしゃり、ノワールは前髪を握り締める。笑う。笑うしかなくて。高笑いを広い謁見の間に幾重にも木霊させ、返る波より尚高く、さらに笑って、笑って。笑い続けて。
そんなノワールを、ユグドラは瞼を伏せて何も言わず、しかし立ち去ることもなく隣に立ち――そっと空いたノワールの手を、握って。
「どれだけ親しくとも我侭すら言わぬ、その不器用さに……ここで泣けないそちを、余は誇らしく、そして愛おしく思う。しかし同時に哀れにも思えるのは、なぜなのだろうな」
――あれほど会いたいと願ったのに、いまは転がったモニターの中で繰り返される君の姿に会えるまでを、永遠であれと願う。