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大人になっても変わらないものもある。



   ***



 雪の上に、大小二つの足跡が続く。


 深く、浅く。けれど同じ歩幅で、決して前にも後にも行かぬ、並んだ足跡。


 さくり、さくりと小気味良い音。はらはら降り積もる雪に染まった真っ白な道に描く、父と歩いた初めての道。


「愛しい息子よ、寒くはないか?」


「……はい」


 包み込むような大きな手に引かれ、高い山を見上げるように顔を上げる。彫り深く、岩石のように逞しい面差しを見る。吐いた息が真白く噴出し流されて、頭上を吹く冷たい風に流れて消えて。


 ……おおきいな、と。

 

 並んだ父の大きさに、ただ漠然とそう思っていた。それは子供心に抱いた憧れ、のようなものだったのかもしれない。自分が小さく、比べるべくも無い幼く弱い子供なのだと知っていたからこその、そんな羨望の眼差し。目一杯の、尊敬。ぎゅっと手を握り返して。


 まだ子供だった自分は、その気持ちを声に乗せる術は知らなくて。けれど、着飾ったように並ぶ賛辞めいた言葉にはならずとも、じっとその姿に見蕩れていて。


「……どうした?」


 響いた低い声に、落とされた視線に。あ……となぜか気恥ずかしさが込み上げて、顔を背けた。


 そんな自分に、父は足を止めて不思議そうな顔を浮かべて。何段も高い場所にあるその頭を、膝を折って同じ目線、下げてみせ。覗き込んできて。ひやり、また落ちた雪の粒がこの小さな鼻先に乗って。ぷるり、その冷たさに身体が震えて。


「……ふはは、やはり寒かったか? もうすぐ着くゆえ、しばし我慢せよ」


 わしわしと大きな手が、乱暴に、けれど優しく頭を撫でて。両目を閉じて、その心地よい揺れに身を任せて。はい、と頷いて。また繋がれた手に、引かれ歩き出し。少しだけ、振り返ってみれば。


 伸びた二人分の足跡に、寄り添い歩くその大小の軌跡に。


 ――殺そうと、思ってたのにな。だから、殺されるはずだったのに。


 そう、しんしんと音を消す白さの中で、静かに思っていて。だからつい、思っていたから、思っていたことを、


「どうして、殺さなかったのですか?」


 この口は、簡単に零してしまって。こんなとこばかり自分は、無知な子供ってやつそのままでしかなくって。


「……ふむ?」


 やけに響いた、自分が呟いたそんな言葉にしかし父は足を止めなかった。繋いだ手を離すことも、しなかった。それどころか、


「……なんでだろうなあ?」


 にっかり浮かべた、子供のように柔らかい笑顔。むしろ大きなその手は、より一層強く、離さぬようにとするみたいにこの小さな手を握ってくれて。その笑顔に、力強さに驚いて。まん丸にした目で、また見上げれば。


「……ふはは、私もよくわからん。さて、そろそろ着くぞ愛しい息子よ」


 太い指先が、白く霞んだ道の先を指差す。引き寄せられるように、この瞼の内側に嵌った黒い瞳は動いて、示された先を見つめれば。


 その先にあったのは、大きな屋敷。赤いレンガ屋根が敷き詰まったような雪の隙間から覗く、とても大きな屋敷の姿であって……その前に、こちらと同じ大小ふたつの人影が待っていて。


「……待っていたよ、グレイッシュ」


「……ああ」


 そう言ったのは、傘を差した七三に整え分けた金髪に身なりのいい服を着た細身の男。そして、その横……いや、正しくはこちらの存在に気づくなりその背後にすぐ隠れてしまった小さな影は。

 

「ほら、きちんとご挨拶しなさい」


「……はい、お父様」


 お父様と呼んだその男の後ろ、まるで脅えた小動物のようにしっかりと握った服の裾。そうしてちらり覗かせた青い瞳。けれどなにより、なによりも――


「……はじめまして」


 ――一目で心奪われたのは、そう言った彼女の、あまりに美しい金色の長い髪で。穢れの無い雪面に映える月の様に、冷たい風にそよぎ輝くそれを見た瞬間に。


「……っ!」


 息が、止まりそうになって。


 胸が、トクトクと脈打って。


 真冬の寒さなど忘れたみたいに、全身が、内も外も熱く、熱く、熱くなって……知らずに父の手を握った指先に、力が篭って。はあ……と吐いた息が、先ほどの何倍もの熱量を以ってこの口から吐き出されて。


 もう、目が、離せなくなって。無意識、一歩前にこの足は進んで。


「……すごく、きれいだ」


「……え?」


 脅えた目をした彼女に、衒いもなにもなく、この口はそんな台詞を選んでしまって。そして、そのまま。


「やあ、君がグレイッシュが言っていた子だね? 私は、」


「あ、結構です」


「ええー……?」


 にこやかな笑顔で近づいてきた彼女の父は軽やかにスルーして、見向きもせずに一目散。


「え、え、え、え……?」


 さくさくとまた小気味良い音、けれどさっきの何倍も早く、雪を踏みしめ急くように駆け寄って。小さなこの手は、もっと小さな彼女の手を両手で躊躇うことなく握って。


「き、き、き、」


 上ずって、うまく回ってくれない口を懸命に動かして。けれど何度か「きみゅっ……!」とか、ありえない口の動きになってしまい、己の頬を叩いて一喝。ふうー、ふうー、と見開いた目、真白い煙を噴き上げながら息を荒げてみせて。


「え、なに……なに、なに……」


 明らかに脅えている、いや文字通り引いている初対面の彼女の前、冷気孕んだ外気を肺一杯に吸い込んで……そして、そして。


「ききききみの名前を、教えてくれないかっ?」


「……ひええっ?」


 下手くそな、生まれて初めて浮かべた笑顔で――そう、幼い日のノワールは、彼女に、ダリアことリリィベルに言って。それが、ふたりの出会い、というやつで。



 ……そんな、とある真冬の出来事からこの昔話は始まるのだ。



 ――ああ、この頃から変態だったのね。なんてオーディエンスの声は無視して、ここから続きを語っていくことにする。

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