あなたのそれを、狂愛と呼ぶのです。
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宣戦布告は完了した、ならばあとはただ、互いの言葉の応酬だけに尽きればいい――。
「愛せないのさ、どうしてもな。ここまでしてやっても、貴様には欠片どころか微塵の愛すら感じない」
面と向かったまま言い放ったその台詞は、初めから台本通り。最初から、こうなる展開を意図して進めていたと言っても過言ではなかった。だからこれは成るべくして成った、結末のひとつだ。
なにせ騙したのは、騙されたのはここまでに話したすべての人間だから。
各々が勝手に解釈し、誤解し、思い込み、それを信じて鵜呑みにしてしまった結果でしかなく――そう、すべてが望んだままに、願ったままに。ノワールが描いた自分勝手で都合のいいストーリーテリングは今この瞬間、成就したというわけで。
それは、すなわち。
「……いきなり愛せないだなんて、随分な物言い浴びせてくれるじゃない。まるでフラれたような立場にされて、まったくもって遺憾だわ。どういうつもり、なのかしら黒猫さん?」
「ふん、そのままのことだよ。フッたのさ、貴様をな……そのためのこの舞台。まったく同じである貴様を、まったく同じだという彼女と、リリィベルと過ごした時間と同じにしてやるための、そのためだけの、ここまでの茶番劇だったのさ」
「茶番……?」
言葉通り茶番だ、そう茶番なのだこんなものは。くだらなくて、つまらなくて、ただそこに『愛』とかいう存在があるかないかを知るためだけの、そんな茶番劇で。そのために、ノワールは。
「いやなに、甘い友人が言っていたのでな。どんなことがあっても惚れた女を貶めてはいけない、とな。くく……まったくもってその通りさ。ああ、その通りだとも。だからわざわざこんなくだらん茶番の席に付き合ったのだからな」
「……なんの話、かしら?」
この目の前で鋭い視線をノワールにありありと向けて銃を構える女、のこのこと用意された喜劇の舞台に立った女、ダリアを――いや、違うか。こいつだけじゃなく、
「わからんか? 貴様はまんまと、ミスリードに嵌ったのさ……ふむ、いや違うな。貴様だけでなく、あの紅白の馬鹿二匹も含めて、か。く、くはは……揃いも揃って、単純思考の愚か者共が。初めからこうなる予定だったことに、まだ気づけないのか?」
と、いうことであって。
……さて、ここからがネタバラシというやつだ。ノワールは、くいっと眼鏡を押し上げて席に腰を落として。
「……一目見た瞬間に、雷に打たれたのさ。そしてそれからずっと、この身は焼かれ続けていて――あの衝撃は、熱は、苦しさは、どれだけ似せても似ていても、彼女だけがくれるもの。ダリア、貴様にはないものだった。それを私は、戦争という殺し合いの前に確かめておきたかったのさ」
「……どういう、こと?」
困惑の色濃く浮かんだ顔で、そう問いかけるダリアにノワールはニヤリ、口を歪めて――どういうことも、なにもない。ただ、ノワールは。
「……こんな陰湿な場所で敵同士として出会ってなお、私は恋に落とされた。彼女を好きになった。だとすればそれほどこの心を奪った彼女の元になった貴様を、私が愛さない保証などなかった。ならばいざ貴様を殺すときに、一筋でも躊躇いが生まれてしまうのではないか、と恐ろしくなった」
貴様は彼女で、彼女は貴様だから――どうあっても同じ人間であることに、変わりはないのだから、と。だから貴様が本当に彼女と同じだったなら、そんな貴様を手にかけることがあったなら。
それは――それは彼女を殺すことと同じなのではないか、と。
「女々しくも、そんな疑念に縛られたのさ。もしもであっても、彼女を傷つけることが出来る自分を、許せなかったのさ。なにせ、」
それは同時に……リリィベルへの愛は、敵だと割り切れば簡単に彼女を殺せてしまう程度のものでしかないのではないか? なんて。ノワールは思ってしまっていて。
戦争し、すべてを奪うと決めた瞬間からノワールの頭の片隅にはそんな穿ちすぎた考えがふつふつと沸いていて。だがそんな自分がもしいたらと思えば、ガラにもなく恐ろしくなって、怖くなって。彼女をほんのわずかでも否定することの出来る自分が、ひどく汚い生き物のように思えてしまっていて。だから、
「だから貴様が敵意をもって、初めてリリィベルと出会ったときと同じように敵同士としてこの場所にやってくるように仕向けた。そうしてリリィベルと同じように接し、リリィベルと同じように向き合い、その果てにどんな感情が去来するかを知りたかったのさ。なぜなら、」
ノワールがしたかったことなんてたったの、これだけのことであって。それだけのために、最初から最後まですべてはリリィベルという少女ひとりのためであって、そう。
いつだってノワールは、リリィベルのことだけを考えて動き続けていたのであって。誰一人として、そんなノワールの想いには気づかなかった。それが、この話のネタバレ。今回のことはそれだけの、話なのだ。
そして、それにより導き出された答えはかくして。
「ふ、ふははは、そうして……そのおかげでわかったのさ! 自分の愛の価値ってものがな! よくわかった、深くわかった、驚くほどにわかった! なのであえてもう一度言おう、私は貴様を――」
――愛せない! 愛さない! 愛する理由なぞない! つまり、つまりつまり。
「ダリア、貴様はリリィベルへの私の愛の密度を、大きさを、それらを計るための道具だったわけだ! 光栄に思え! どれだけ貴様が本物だとのたまわろうとも、私にとっての本物のリリィベルは彼女だけだったわけだ! オンリーワンってやつなんだよ……ああ、これで安心して奪える、殺せる、葬れる! 彼女のために、彼女以外の彼女すべてを壊してしまえるのだよ! ふは、ふははははっ、ふあはっははは!」
「……っつ」
絶句するダリアの前、ノワールは狂気に歪んだ顔で歓喜の高笑いを上げる。すっきりだ、晴れやかだ、雲ひとつ無い晴天のようだ。それほどに今、この心は澄み切っている。今ならば無能な神にさえ、ハレルヤと叫んで祈りを捧げてやってもいい。
暗闇が包む牢内で幾度も反響を重ねる止まらない笑いに、震えすら覚えた。彼女はひとりで、いいのだと。彼女ひとりさえいれば、なにも問題ないのだと。その他のすべては、ゴミのようなものなのだと。
結局戦争の引き金に指をかけてまで、こんなことまでして知ったのは――彼女だけが、この心を支配できる唯一の彼女だという事実であって。これを喜ばずに、なにを喜べというのか? ノワールはもう、笑うこと以外できやしない。
……するとそんな打ち震えるノワールの姿を黙って見ていたダリアは、重く閉じていた口を薄く開き、一言。
「……本当に、狂ってる」
端正な顔が台無しになるほどに険悪感むき出しに、きつく寄せた眉根。まるで汚物でも眺めるような、冷たい視線をありありと飛ばし。両手で握った銃を、しっかりとこちらへ向けて。
「……そんなことのために、こんなことを、戦争という手段しか選べないあなたは狂ってるわ」
「くく……かも、しれんな?」
その向けられた銃に怖じることもなく収まらぬ笑みを堪えて答えるノワールに、深く、深くダリアは溜息を落としてみせて。なにを言うかと思えば、
「……あなたがもう少しまともな思考の持ち主だったなら、みんなが傷つく戦争なんて馬鹿なことを引き起こさないためなら……あの子と一緒に薬も分けてあげるつもりだったけれどね」
こんなことを、言い出して。利用されたと言われたことへの意趣返しか、そのためにやってきたような口ぶりで言って。
「……考え直さない? 黒猫さん。前にも言ったけれど、わたしはあなたを気に入ってるの。だから薬も分けるし、あの子も渡す。だから、」
だから、だから、と。言い淀んで――交渉、のつもりなのだろう。いや、銃を構えている以上、脅しというほうが正しいか。しかし、そんなものはノワールは、
「不要だ、奪えば分け与えられる必要もない!」
「……ッ!」
一蹴、二の句を告ぐ前に却下してのけて。そして、立ち上がり対抗するように銃を構えて。
「そもそもなにが分け与えるだ、乞食に優しさ施す聖人のつもりか! だいたいなんのために奪うと決めたと思っている……私はな、彼女の生死すら自分のものにしたいのだよ。それが誰かの手に委ねられたままなど、反吐が出る!」
叫び、テーブルを挟んで真っ向から向かい合い。
「く……っ、この分からず屋!」
互いに引き金に指をかけ……どうせ手に入れるなら、なにもかもを。たったひとつのこぼれも無く、彼女のすべてを我が手に。そう硬く決めた眼差しで、引けば終わる幕引きへと歩き出すのだった。
――狂っていると言わば言え。だが狂えるほどに愛せないのなら、私はそれを愛だとは呼ばせない。