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その天秤は、傾かない。



   ***



 生きていれば、誰だって傷を負う。そしてその傷は跡形もなく癒えることもあれば、二度とは消えぬ醜い瘡蓋を残すときもある。


 薄皮のようにまだ生々しく、爪先立てようものならば簡単に引き剥がれ、血を滴らせる。痛みは永久に、触れることすら躊躇われるほどに耐えがたく。そうなればもう一生、それを抱えて生きることになるものだ。


 そして、人は必ずその傷を隠して生きようとする。誰の目にも映らぬように、気づかれぬようにと。ひた隠し潜ませ、密ませる。秘め続ける。


 ……だが、相反して時にその傷を誰かに知ってもらいたいと願う瞬間があることも、また事実であって。そんなことを思いながら基地の自室で、チェアを軋ませながらノワールは紅茶を淹れたカップに口をつけ。


「中途半端な悲劇のヒロインなど演じるから、こうなるのさ」


 誰にでもなく、ひとりごちて呟く。そしてまた思う。それは同情や憐れみを求めてか、あるいはその痛みと傷すら抱え切れなくなってなのか。はたまた悲劇に落ちた自身を飾る装飾のつもりなのかは、知らないが。


「そして秘密を明かすのならば、清廉潔白な正義の味方にでも明かすべきだったのだよ……」


 なんであれ、どうであれ。見せるべき相手を間違えれば、それはただただ乾き切らぬ傷口を抉られ、無理矢理に広げられてしまうことにしか繋がらない、ということで……そこまで考えたところでノワールはカップを置き、デスクに置かれた新聞を取り上げて。


「……かつて帝国で行われていたクローン研究、その実態は残虐で非人道的な人体実験に他ならなかった、か。そしてその被害者は、帝国貴族の令嬢にして現反乱軍リーダーである女性、と……ふふん、思ったよりも鼻が利くじゃないかパパラッチ共も」


 その流した情報に、食いついた魚の群れの多さに。満足げな笑みが思わず漏れて。


 自分自身が矢面に立ち、伏されていた言葉を世界に露見してみれば。まるで一本の紐で結び連なったように、引いても引いても抜いても抜いても、途切れることなく連鎖していって。


 ノワールがほんの少しだけ爪でめくったその傷は――彼女の傷は、かくもあっさりと世間の目に映る場所へと晒されてしまった、というわけで。そうなれば、それはすなわち。


「ここまで踏みにじったんだもの。このせいで間違いなく、戦争になるわよノワール」


 開いた自室の扉の陰、揺れた白く美しい髪。その入るなり硬い表情で呟いたブランシュの言葉通り……戦争の火種、そのものであって。しかし、ノワールにとっては。


「……だが私と彼女が争う理由としては、これで十分だろう?」


 敵と味方、正義と悪。そんな、シンプルな構図と戦争をするための大義名分でしかなくて。ニヤリ、唇を吊り上げ歓喜にも似た表情を浮かべて見せて――これで、彼女からすべてを奪う下地は出来上がったのだよ、と。立ち上がり。


「私は非人道的な実験を再び行おうとする、いわば悪役。そして彼女はこれによって晴れて誰もが認める悲劇のヒロインになれたというわけだ。過去の傷を抱えて、悪である私を倒さんと立ち上がる正義の反乱軍の女リーダー……くくく、与えられた配役としてはなんの不満もあるまいよ」


 そしてこれで世界は、この争いを認めることになる。なにせ世界は、勧善懲悪の物語が大好物なんだからな……と、黙ってソファに腰を落としたブランシュに紅茶を注ぎながらも、ノワールは眼鏡を押し上げて。カチャリ、カップを受け皿に置いて。


 そんなノワールに、ブランシュはカップを持ち上げながらも静かな声で。


「……ここまでする必要って、あるのかしら?」


 また、呟いて。一瞬、赤い瞳が迷ったように左右に揺らいで。しかし、すぐに振り切ったみたいに首を振って、真っ直ぐに射抜くようにこちらを見つめて。


「だって、元から帝国と反乱軍は敵同士だったじゃない。帝国を脅かす脅威、邪魔者だったじゃない。争う理由なんて、元々あったじゃない。なのにわざわざこっちが悪者になって、あっちを正義の味方に祭り上げる必要なんてないじゃない。なのに、なんで……」


 なんで、なんで、と。


 繰り返し、繰り返し聞いてくるから。ノワールは、ブランシュの正面に設えられたソファに向き合うように腰を落として。ふん、と鼻を鳴らして間に置かれたテーブルの上、タバコの箱から一本抜き取って、火を着けて。


「争いを望んでいても、私は姫を救うナイトではないんだよ。そして、私は彼女を世界の敵にしたいわけでもないのさ」


 言いながらふわっと吐き出した煙が、宙で踊る。その紫煙に混じって吐いた言葉の意味を、しかしブランシュは分からないようで、


「……どういう、意味よ? あの女は元から敵でしょ。回りくどい言い方しないでよ」


 不満げな顔、口を尖らせてわずかに立ち上がって。その姿に、やれやれとノワールが口を開きかけた瞬間――


「……確かにあの女は敵だよ、ブランシュ。でも、彼女は。ノワールのいう彼女は、リリィちゃんは敵だけどもう敵じゃないだろう?」


「……っ」


 ――割って口を挟んだのは、遅れてやってきたヴェルメイユで。


「……それにリリィちゃんは、今は反乱軍にいるんだ。だからこのまま戦いが始まれば、否応なしに彼女はこの帝国の、いや世界の敵になる。ノワールは、それが許せないのさきっと」


 話しながらも、ヴェルメイユはブランシュの隣に座って。「一本いいか?」と、断りを入れてからノワールのタバコを一本抜き取って火を着けて、深く吸い込んで。


「……げほっ!? げほげほっ! うお、きついなこれ……」


「なにをしてるんだ貴様は」


 吸い慣れない煙に真紅の髪を弾ませてむせ返って、前かがみになって咳込んで。呆れた顔で水を差し出したノワールから受け取りながら、「いや、だからさ」と一旦言葉を切って、水を一気に飲み干して。


「……ノワールは、リリィちゃんが大切なんだよ。だから悪役になんてしたくない、させたくないんだと思う。そしてそれはつまり、ノワールにとってはどれだけ邪魔者だろうと、敵だろうと、オリジナルである彼女も、あのたくさんのリリィちゃんたちも同じなんだと思うんだよ」


「……あ」


 ノワールが好きなのは、たったひとりの彼女。クローンのリリィちゃんだとしても。だからといって、彼女と近しい存在をないがしろにしていい理屈はない。というか、出来るはずがないんだよ。と、ヴェルメイユは言って。


「争うため、すべては彼女のためだとはいえ。同じ姿のオリジナルとその他のリリィちゃんたちを悪役にすれば、それはノワールにとって彼女を悪だと決め付け追いやったことと同義だ。リリィちゃんを貶めたことと同じなんだ」


「でも、だからって……」


 そんなヴェルメイユに、ブランシュは納得がいかない様子で言葉を重ねようとするが、


「男は、どんな理由があっても惚れた女性を貶める真似だけは絶対にしちゃいけないんだよ」


 そうだろう、ノワール? そう言って目配せしてきたヴェルメイユにノワールが頷けば、ブランシュもそれ以上はもう、なにも言えない……いや、言う気が失せたらしく。


「……はあ、なんかもういいや」


 あーあーあー、なんだろうね? なんて言いながら、ごろり、ソファに横になって。


「つまりは、なに? 惚れた女を、同じ姿の女全員の身も立場も余すことなく救いたいから自分が悪役になるってわけ? 世界中巻き込んで戦争仕掛ける男が、ようはたったひとりの女のために世界の敵になろうっていうの?」


 つん、と尖らせた口で隠すことなく不満を漏らして。パタパタと行儀悪く足を動かして、狭いソファの上でもじもじぐねぐね動き回って、そして最後に。


「どんだけ惚れてるのよ、あなたってば」


 なんて、半眼をありありと浮かべて言うものだから……そうだな、まあ。ノワールは、フッ、と笑って、眼鏡をきつく押し上げて。


「彼女のために、世界を滅ぼす魔王になる程度には愛しているさ」



 ――それがどれくらいの大きさの愛なのかは、比べる対象がないので知らないが。

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