苺の味は、忘れません。
***
――さて、問題だ。戦争を起こすために必要なものは、なんだと思う?
いつかの尋問室でのお茶の時間に、そう彼は問いかけてきた。
その日のおやつは、ショートケーキ。大ぶりの苺が乗った、ホールで用意されたそれを馴れた手つきで二人分切り分けて。真っ白な市松模様が描かれた皿へとそれぞれ崩れぬように優しく置いて。鼻をくすぐる香り立つ湯気は、キャンディーの甘い匂いがするカップから。その横へと並べるように差し出しながら、
「わからないかい?」
「……なんでしょうか? わかりません」
フォーク片手、実は大好物である苺のショートを前にそう答えたリリィベルに、彼は眼鏡を押し上げながら少し意地悪な笑みを浮かべて。
「君は、苺が好きだったな」
「はい……大好きです。これとエビは、無限に食べられると思っています」
「ふむ、そうか。では、先ほどの答えを見せよう」
そう言うとおもむろにリリィベルの分のケーキが乗った皿の上、その天頂で輝く真紅のルビーにも似た果実を摘み上げ、そのまま。
「あ……」
という間に。ひょいっ、と口の中へとほうばって。端正な顔に似合わない、子供のような顔でもぐもぐと口を動かして、ごくり、喉を鳴らして。ふふん、したり顔浮かべてにやり笑って。
「さあ、残りは君が食べたまえ」
なんて、リリィベルにとってはメインの、それも好物だと知った上で食べられてしまった、いや一番の楽しみだけを奪われた後のショートケーキを再び差し出されて。思わずリリィベルはむう、と頬を小さく膨らまして。
「大佐さんが、すごくいじわるです……」
ぷいっ、と。拗ねたみたいに顔を反らしてみせると。彼はまたくっくっく、と堪えたように笑ってみせて。
「ははは、すまない。だが、これが君の知らない答えだよ」
「……?」
首を傾げたリリィベルの顔を見て、彼は「こんなことで、戦争なんて起きるのさ」と言いいながら――自分の分のケーキから、苺を取ってぽっかり窪みが出来てしまったリリィベルのケーキへと乗せてみせ。
「どれだけ些細に思えても、そのひとにとって一番大切なものを奪えば、誰だって怒るし相手を憎むものさ。そしてそれが相手の大切なものだと知ったうえでしたならば……まあ、温厚な君だって怒るのだ。大抵のやつは争いを始めるだろうな……おいしいかい?」
「あむ……もう、あげません……」
今度はそれを、苺を一目散に口へと放り込みあむあむと口一杯使って食べるリリィベルに、彼はホールからまた苺を移してくれて。
「ははは、すまない。もう取らないし、残りはすべて君が食べて構わないから怒らないでくれ。だけど、君にはちゃんと知っていて欲しかったのだ」
「……なにを、でしょうか?」
行儀が悪いと知りながら、握ったフォークを唇に挟んだまま問いかければ、彼は頬杖ついた姿勢でなぜか少しだけ悲しそうに微笑んでみせて――
「……戦争なんて、ちょっとしたきっかけで起きてしまうものなのだよ。たった一粒の苺からでも、それが相手にとって本当に許せない、心から嫌なことなら殺し合いだって起こせるんだ」
――だから、どうか願わくば。
君と私がそんなことで争うような日がやって来ないように。
君が私と争うことがないように。
君にはちゃんと、知っていてもらいたいんだ……と。
あのとき彼は言って――そんな遠い日にも感じる思い出は、しかし重苦しく上げた瞼と一緒に掻き消えて。
「……夢?」
横になったベットの上で、見上げたその久しく帰っていなかった自室の天井に残影だけを残して霧散していって。そして、
「……どうして、こんな夢を見たんでしょうか?」
被せた腕で目元に蓋をして、リリィベルは息を漏らす。
あれからずっと会いたさから、毎晩見る彼の夢。瞼を閉じれば浮かぶ彼との会話。別れたあの日から一日たりとも見ない日はない、どれもが大切で、愛おしくて、かけがえのない時間の数々の中で。
……どうして、この会話を思い出したのだろう?
もっとたくさん、他にも胸を締め付け、そして刻みこまれてしまったかと思うほど鮮明に思い出せるやり取りは無数にあるはずなのに。それなのに、どうして夢の中で自分はあのワンシーンを思い起こしていたのだろうか、と。
なんだか、奇妙な不安が胸に渦巻くのをリリィベルは感じて、身を起こせば。
「……ふざけてる!」
部屋の外から金切り声にも似た、甲高い声が突然響いてきて……何事、だろう? パジャマ姿のままで、自室のドアをわずかに開けて覗いてみれば、そこには。
「お母さん……?」
「なに考えてるのかしらね……戦争でも起こそうっていうのかしらあの黒猫さんは……!」
「……戦争?」
先ほどの夢とリンクするように、母の口から出た言葉。
見れば帝国が発行している新聞を握り締め、わなわなと震えて顔を強張らせる母の姿があって。そのただ事ではない様子に部屋から踏み出せず見つめていると、母はその新聞を乱暴に投げ捨てて。そして、家を飛び出していってしまって。
……あんなに感情を顕にした母を、リリィベルは初めて見た。だから気になって、母が去った後に残されたその新聞を拾い上げて、見出しに目を落としてみれば。
「……クローン技術についての研究、再開? すべては帝国の進歩のために。この議案の発案者は……え?」
思わず息を呑んで、リリィベルは声を失った。だって、そこに書かれていた名前は、
「ノワール……大佐――大佐、さん?」
今、誰よりもなによりも会いたいその人の名であって。いや、なによりもそれ以上に。
「……クローン技術? どうして大佐さんがこんなことを……?」
自分が知るあのひとにはまったくもって何一つ結びつかないその言葉と、母が口にした、夢で彼が言った、この数瞬だけでも何度と聞いた『戦争』という言葉。その、意味を、つながりを。
バラバラに散らばった点と点が結びつく、結びついた先にあるものを……リリィベルは、まだ、わからないし、どうしてかわかりたくない、と思ったことだけは間違いないのだけれど――。
――争いが起こる原理を知るということは、争いを起こす原理にも明るいということだ。