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天邪鬼は、ただ泣いた。



   ***



「……君を、母君の下へ帰すことになった」


 事実だけを述べながらも、この限られた時間だからこそ言葉は選ぶべきだとノワールは思う。


 そのためには慎重に、熟考を重ね、端的かつ明確に。必要なワードだけを脳みそにある引き出しからチョイスして、形が崩れぬようにまずはそれを電気信号に変えて喉の方へと下ろしてやる。そうしてそこまで運ぶことに成功したならば、後は空気の振動の微調整。舌と唇の動きを組み合わせて、声にしてやる、と。


 君の真実を知らせぬままに、伝える。嘘を吐く。


 たったそれだけのこと、なのだ。これから自分がしなければならないことは。わかっている、簡単だ、容易だ、生きているやつなら誰だって出来る。なにせ話せないのは死人だけなのだから……だというのに、そのせいで。


「……どうして、ですか?」


「……」


「……どうして、なにも話してくれないのですか?」


「……」


「……大佐さん、せめて理由をおっしゃってください。いったいなにがあったんですか」


 こうして崩れた寝室の中でわずかに弱まった雨音を聞きながら、ベットに腰掛け隣り合わせ。目覚めたリリィベルの横で、ノワールは幾度呼びかけられようと、問われようと。声は、出ない。ずっと、ずっと、声は出そうになくって。


 見つからない言葉は、開ける前からぽっかり口を開けた暗闇に吸い込まれていくようで。そこから逃げるように折れた指、不器用に巻かれた包帯。固定されているようで、されていない。緩み切った、これをしてくれた相手とおんなじようなそれを、眺めて。


「……なら、せめて」


「……」


「こちらを向いてはくれませんか」


 彼女の、リリィベルの顔を見れなくて。


 なにもない、ひび割れた壁の隙間から滴る雨粒の音だけを無意味に数えるばかりで――これから彼女に嘘を吐こうとする自分への自己嫌悪で、自分自身に反吐が出そうになって。それを堪えるのに必死で、ぴくりとも動けやしなくて。動かない身体は、熱を失って冷え切っていって。


 ……まるで物言わぬ死人だ、これじゃあ。動かず、喋らず、これをこの状態を生きていると定義してしまったのならば、この世界には死人なんていなくなってしまうだろう。なんて、くだらないことは考えられてしまって。


 そんなことばかり、まるで目を、思考をどこか遠くへ逃がそうともがくような自分にまた嫌気が怒涛のように押し寄せてきて――自己嫌悪の無限ループにどっぷりはまって、ますますリリィベルのほうを見れなくなって。


 そうして、無駄にした時間はいったいどれだけ過ぎ去ったのだろうか?


 数秒のようでもあり、数分のようでもある。けれど実際は数時間かもしれないし、下手をすればもうタイムリミットはとっくに越えているかもしれない。あるいはこのふたりの存在する空間だけが、静止してしまっているかもしれない。それすらもう、ノワールには分からなくって。


「……」


「……大佐さん」


 そして決して黙り込むノワールから目を逸らさず、こちらを見る青い瞳もまた瞬きを忘れたようにまっすぐに見つめ続けて。健気にも、こうして優しい彼女は死人に語りかけ続けてくれていて。


 だから、いっそのこと。だったらノワールはそんな彼女の優しさにつけ込んで、このままあらゆる言葉を交わさずに、嘘すら吐かずに。別れてしまうのも幸せなのかもしれない、などと思ってしまって――しかし、


「……わたしは、不必要になったのですか? もう大佐さんにはわたしはいらないのでしょうか?」


「……っ! 違う!」


 沈んだようなリリィベルの言葉に、心臓がズキリ音を立てると同時。この身体は再び息を吹き返す。跳ね上がるように、逃がしていた視線を持ち上げて。機能を放棄していた脳と口は、一気にエンジンを震わせて最大稼動。勢いつけて立ち上がり、何度も首を振って彼女の前に立ち。


「違う、そうじゃない、そうじゃないんだ。そうじゃなくて、私は、君を、」


「わたしを……?」


 ただ君を、私は――? そこから続く言葉の羅列、どこまでも途切れることなく声になり飛び出しそうな想いの数々に。しかしビタッ、となぜか歯止めがかかり。込みあがる台詞を、逃すまいと口を真一文字に噤んで。ノワールは、顔を俯けて。


 ……失いたくはない、と。とてもシンプルなはずなのに。


 本当はそう、言いたいのだけれど。それはこれから手放そうとする者の言葉ではないし、言ってしまえばそれは結局嘘になってしまう言葉であって。


 けれど、いらないなんて、必要ないから、なんて言わせてしまったことは否定したかった。君が必要なのだと、傍にいて欲しいと。心からそう思っていると伝えたかった。けど、けど。


「……すまない、いまはなにを言っても、嘘にしかならない」


 どれだけ言葉を重ねても、必ずそれは嘘になるから。


 君にいつまでも傍にいて欲しいと言ったなら、君はいつか間違いなく死んでしまうから。だから君のために傍にはいて欲しくはない。


 君を失いたくないと願えば、君はいつか失われてしまうから。だから君のために、自分から君の手を離すのだ。君を失わないために、と。


 結局どうしたって君のためにと言うほどに、君のためにはならない――どれだけ想っても、手を離すことに変わりがない以上は嘘でしかない。そんなジレンマが、ノワールの中に在るあらゆる言葉を押さえ込んで、沈めてしまって。


 そうなればもう、口に出来る言葉は、君を一番傷つけない言葉なんて。もう、もうひとつしかなくて。それは、たったの四文字で……だから、長い沈黙の最後にノワールは、


「だから……お別れだ、リリィベル。それだけの、ことなんだ」


「……!」


 驚いたリリィベルの前、伸ばされた小さな手。掴むこともなく、「あ……」すり抜けて。静かに首を振り。くしゃり、無理やりに、でも精一杯に作った笑顔で。


「……さよならだ」


 さよなら、という君にとって嘘のない、自分にだけの嘘の言葉を贈ると決めたのだ。


 知らずに一筋、笑顔に涙を零して。 


 ただ、君のために。


 

 ――この顔を見せるのは、これきりだ。これで最後に、しなければいけないのだ。

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