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おはようは、言わないでおくのです。



   ***



 降りしきる雨はまだ深く、引きずり出された窓の外でノワールはじっと、じっとだ。濡れることも気にせず、両脇をヴェルメイユたちに抱えられながらただただ待っていた。


 今はもう雨音かき消すように連鎖し轟音上げ続けた爆発はすでに沈静し、雨の隙間を縫い抜けるみたいに幾つもの黒煙が覆うような曇天へと波打つように伸び立つばかり。その足元に転がる割れて弾けたガラスと、崩れて落ちた無数の瓦礫が先ほどの衝撃の証左か。見る影もなくなった屋敷の有様を眺めて、ノワールはひたすらに待ち続けるばかりで。


 ――たった一人を、その安否の有無を待つばかりで。このまま逃げ出すことは出来ても、この足は、到底それを知るまでは動けそうになくって。


「……リリィ、大丈夫かな」


 その内情を知ってか知らずか、ぽつり、呟く様な声。視線を滑らせれば、すぐ隣で自分と同じように濡れ切った白い髪の合間から覗いた幼げな横顔。薄い膜で包まれたように光る赤い瞳が揺れる。すんっ、と。寒そうに小さな鼻が啜り上がり。


「……ブランシュ、フードをかぶったほうがいい。君まで倒れてしまう」


「ん……」


 反対側、ノワールの身体を支えるヴェルメイユの言葉に、しかしブランシュは頷きながらもその手はフードへは伸びない。視線も、身体も、どちらもが時の静止した世界に在るように。ノワールと同じく、崩れた屋敷へと向けて固定されたままになっていて。


 ゆらゆらと燃える残り火、それだけを赤い瞳の中に映し続けていて……そんな姿に自分を支えるヴェルメイユが、困り顔を浮かべる。そしてこちらを見て、肩を竦めてみせて。ああ、と。ノワールはこいつがなにをしたいかがわかって。はあ、と。こちらも余裕はないが仕方なし。


「……貧弱なくせに、無理をするな馬鹿者」


「……ふひっ」


 ばふっ、と音を立てて隣の目線一段下にあるフードを引っ張り上げる。思ったよりも勢いがついたそれに、小柄な身体は頭を起点にグラリ、よろけて。パシャパシャ、と何度か前のめりに踏鞴を踏んで。


「おっととと……危ないじゃない!」


 がっと牙を立てるように、よろけつつもブランシュがこちらを睨んできて。はんっ、とノワールは鼻を鳴らして。


「貴様らまで、そんな心配してどうする。余裕のない顔を浮かべるのは、私ひとりで十分だ」


「……むう」


 そう言ったノワールに、納得がいかないような不満げなツラを浮かべてブランシュは唇を尖らせるが、


「……ふん、貴様らはよくやってくれたよ。あの状況では、これが最善手だったのは疑いようもないさ」


「……本当に、そう思う? 正直、慌ててたからさ。爆薬の量も不確かなままだし、こんなにも派手に壊れちゃうとは……ごめん、思ってなかった。本当はあいつらを屋敷の中に足止めするくらいの予定だったんだ。ここまでなるのは、その、ちょっと、ミスだった、かもしれない」


 リリィも、あっちに捕まってるとは思わなかったし、と。


 不意に、顔を俯けて自信なさげな声を出すものだから。ノワールは、ヴェルメイユと視線を交し合って、頷いて。


「大丈夫だよブランシュ、君はよくやったさ」


「ああ、おかげで助かった。君のおかげだ」


 水滴滴る眼鏡を押し上げながら、大丈夫だ、なにも問題ない、君がいたから助かったんだ、と。ふたりで気遣い全開で言ってやれば、ブランシュは。


「……ふひっ」


 俯いたまま、そんな奇妙な声を出したかと思えば。


「まあ、結果オーライよね? うん、緊急時だったもの、これくらいのミスは仕方ないもの! むしろ私でなければ、もっと凄惨な状況になっていたかもしれないし!」


「そうだブランシュ、俺たち三人が無事なのは君の天才的な頭脳と知略があったからこそだ!」


「ふひ、ふひひ、もっと褒めて!」


「あーすごいすごい、偉いぞブランシュ。ぜんぶ貴様のおかげだー」


「棒読みでも最高よノワール、もっともっと!」


 ふひひっ、と褒められた数だけ下手くそな笑顔で笑ってみせて……ちょろい女だな、相変わらず。野郎ふたりは、呆れたようにまた顔を見合わせるしかなくて。そんなふたりを尻目に、ブランシュは薄い胸を反り返らせて鼻を鳴らして。


 と、そのとき。


「あら、随分と楽しそうね。こんな雨の中でも、猫さん達は集会かしら?」


 ガラガラ、と正面に積みあがった瓦礫の崩れる音。現れたのは、


「貴様ひとりか? ……他のリリィベルたちはどうした?」


 パンパンと被った埃や土を手で払いながら、長く煌く金色の髪を揺らした女。リリィベルの母親……と真実を知った今そう呼ぶべきかどうかは知らないが。ともかくその人であって。


 そしてなぜか問うノワールの言葉の通り、出てきた彼女はたった一人きり。あのリリィベルの集団はどこにも見えやしなくって。


「ん? ああ、帰らせたわよ。何人か、私のこと庇って怪我しちゃったから」


「……庇わせた、の間違いではないのか?」


 さて、どうでしょう? 彼女は煽るみたいに笑ってみせて。そして、先ほどとは打って変わって張り詰めた表情、警戒する三人に対して彼女は怖じる様子もなく。くいっ、と立てた親指で背後を指し示してみせて。


「……あの子は、きちんと薬を打って寝室のベットに置いてきたから。明日の朝、また迎えを寄越すわ」


「なんだと……?」


 ぴょんっ、と跳ねるように瓦礫の上から降りて。状況が飲み込めず戸惑うノワールの顔を一瞥すると、満足そうに口元を緩ませて。


「じゃあ、またね黒猫さん」


 ひどくあっさりと、そう言い切って。雨の中、悠々と手を振りながら三人の前を通り抜けようとして……ま、待て! と。声になっていたかは知らないが、ノワールが手を伸ばしたとき。


 彼女は、くるり振り返る。煙る雨の中で、誰かと同じ顔で振り返り。


「……どういう、つもりだ。ここまでしておいて、だというのに彼女を置いてこのまま帰るなど。なにを企んでいる?」


 折れた指を前に突き出し、半壊した屋敷を指しながら再び問いかけたノワールに、彼女は口元に手を添えてくすくすとまた笑って。


「黒猫さんの思惑は知らないけれど、こうもあっさり手放されたらこちらとしては納得がいかないもの。だから、一晩あげるの。もうすぐ目を覚ますあの子とあなたが、いつものように語り合う時間をね」


「……貴様」


「だって大切な相手とさよならも告げずに別れるなんて、悲しいでしょう? ふふ……それともまたどこかへ逃げるのかしら? ああ、大変。逃げられちゃう」


「……」


 そんな彼女を、ノワールは何も言えずに睨みつけるばかりで。だって、だってだ。


「まあ、そんなこと出来やしないでしょうけど。薬がなければどうにもならない事実を、あなたは軽視しない。だから悲しみたくないという身勝手な自己愛を捨てて、あの子のために手を離すという選択を選べる優しいひとだもの」


「……だったら、」


「だったら連れて行け、とあなたは言うわよね? だからこそ、このまま奪うようには連れて行かない。うふふ、その意味、わかるかしら?」


「……くそが」


 吐き捨てるように口汚い言葉を漏らし、ノワールはさらにきつく睨むばかりで……だってそれは、リリィベルとの別れを後悔する時間をわざとノワールに与えて、手放すという実感を植えつけることで苦しめたい、ということに他ならず。


 なにより、なによりもこの女の、真の腹の内は。


「それに――これで、少しは面白くなるでしょう?」


「っ!」


 さっきの意趣返しか、意地悪く浮かべた微笑だけを残して。それだけ言って再び背を向けて、森の奥へと姿を消して――くそ、くそくそくそ! ノワールは駄々をこねる子供の地団駄のように足で転がった瓦礫を苛立ち踏みつけるばかりで。


 そして、


「……大佐さん?」


 雨音に紛れて聞こえた声は、君に別れを告げるためのカウントダウンなのだろうか。



 ――残り時間は、短く。そして永遠にも似た矛盾だった。

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