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誰も知らないことなんです。



   ***



 その女性がここに来た理由など、根掘り葉掘り聞くつもりはなかった。そんな時間も、なかった。そして邪魔だと、障害でしかないのだということだけははっきりと、明確に理解もしていた。

 

 だから必要ならば、刺し違えてでも殺すつもりだった。


 突如目の前に現れたその女性、リリィベルの母を逸らすことなく眼前に見据え。軍服の胸元に潜ませた銃のグリップへと手を伸ばしたままに、あとは引き抜きセーフティを外して引き金を引くだけの状態で。ノワールはベットの上で空いた片手でリリィベルを抱き留めたままじっと、隙を見せればすぐさま飛び掛らんとする猫のように警戒を強めていた。


 だが、しかし。


「あら、怖い。随分と警戒してるのね黒猫さん。雨の中をわざわざ訪ねて来たっていうのにあんまりだわ」


「ふん。貴様の戯言に付き合う気などないし、時間もない……なのでみっつ、数える。その間に立ち去らねば、その額に風穴を開けることになるぞ」


「そう? じゃあ、そのみっつの間にいいこと教えてあげようかしら。うふふ、そうすれば少しはその余裕のないしかめっ面も緩むのかしらね」


 怖じる素振りもなく、濡れて一際煌く金を揺らしながらむしろどこか可笑しそうに口元に手を当ててくすくすと声を漏らす。だが抱いた彼女とよく似た柔らかなその笑みが、仕種が。いまはひどく、ひどく癪に障るものでしかなく。するり、長い銃身が胸元からまろび出て。


「……ひとつ、ふたつ、みっつ。時間だ」


 見ていることすら不快で、ノワールはガチャリ、きつく握ったグリップを持ち上げて。その眉間へと照準をぴたり、ブレひとつない精密機械のように正確に定めて。張り詰めて切れそうな警戒心ゆえに、躊躇なし。指先を引きかけた、が。


「救いたくはないのかしら?」


「……っつ」


 ピタッと、絞りかけた指が止まって。


「私なら、その子を救えるんだけどなあ。家族だもの、その子がいまどうなってるのか、どうすれば助かるのか……それを私が、私だけは知ってるんだけど……どうする黒猫さん?」


 再び響く、くすくすという笑い声のほうを見やって動きが止まって。止めて、しまって。


 その子、救ってあげましょうか――? はち切れてしまいそうなその強烈な警戒を解くのに、いや解かれるのに必要なものはたったそれだけの言葉で……彼女を、リリィベルを、救ってくれるのか……? 救える、のか? 油断は、そんな期待から。


「……リリィベルさん」


 不覚にも視線が落ちる、血を流し動かぬリリィベルを見る。そして言葉と同時にふっ、と指先の力が抜けてしまった、それらが重なった瞬間に。


「……甘いのね、黒猫さん」


「ッッッ!」


 ――ゴキッ、と。響いたのは、鈍い音。あっけなく折られたのは、敵の甘い言葉に縋ろうとした弱い心か、あるいは。


「……がっ!」


「あらら、やりすぎちゃった」


 敵意の矛先を構えた、己の指か。一瞬で間合いを詰められて、ノワールは引き金部分でてこの原理を利用され、いや、それもあったがほとんど強引な力任せ。ねじ切らんばかりの勢い、真逆へとへし折られた指先からズルリ、銃を取り落とす。声にならない悲痛なうめき声が、痛々しい程に洩れる。


 しかしそれでもリリィベルの身体は離すことなく、しっかりと抱きとめたまま。歪めた顔を伝う大量の汗を垂らしながら、恨めしそうに睨みつけて。


「……貴、様っ」


「ごめんごめん、痛かった? いやー、やっぱり力加減が下手ね、私」


 舌を出して、両手を合わせ。軽すぎる、あんまりにも悪びれない謝罪をされてさらに顔をしかめてみせることしかできなくて……完璧に、油断した。なんて馬鹿なのだろうか、自分は。目の前にいる女、敵のリーダーである女を。一瞬、救いの女神のように見えてしまうだなんて。笑い話にもなりゃしなくて。


 なにより誉れ高き帝国軍大佐たる自分が、そんなことで、たったひとりの少女のことで油断し隙を見せるなど、なんてザマなんだろうか、と。


 そんな自分に辟易してノワールが、きつく奥歯を噛み締めてみせれば。その様子を見ていたリリィベルの母は、なぜか突然。


「ほんと、ごめんねえ黒猫さん。あ、そうだ。お詫びにいいこと教えてあげるから」


 詫びる気などさらさらないような態度で、苦しみ喘ぐような顔のノワールとは正反対に閃いたように明るい表情を浮かべてみせて。なにを言うのかと、思えば。


「……その子も知らないその子の秘密、ひとつだけ教えてあげようか」


 んふっ、と。細めた目で、悪戯をする前の子供のように、笑ってみせて。しかしノワールは指から肘、そして肩から全身へとせり上がってくるような激痛からか、なにも答えずにいると。


「黒猫さん」


「っつ!?」


 ふわっと、金色の髪をなびかせて。怖いくらいに整った顔が、彼女に似すぎた顔が鼻先まで詰めてきて。そして、ぎょっとしてノワールの心臓が跳ね上がったと同時にぱちり、深く綺麗な二重瞼と長い睫毛が数度瞬いて。磨き上げた宝石のような青の瞳が、潤んでこちらを射抜き――ねえ、黒猫さん?



「この子と私、実は同一人物だって言ったら信じる?」



 そして、あなたは愛したその子を、私を、殺せるのかしら――? 意味もわからず痛みも忘れて、失った言葉は頭の中で。


 よく似た笑顔は、未来の彼女か。はたまた彼女の過去なのか。まだノワールには知る術なんて、ないのだけれど。



 ――君も知らない君の秘密など、知りたくもないし知りたいとすら思わないことだけは間違いない。

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