馬鹿はどんなときだって、馬鹿である。
***
――激しい雨降る森の中を、ヴェルメイユはひたすらに走っていた。レインコートを纏って勢いつけて蹴り上げた踵が巻き上げる水滴、泥混じり。だが汚れなど、気になどしてもいられなく。けれどバチバチと音を立てて雨粒弾くフードの内側、
「……ん? いま、誰かに呼ばれた気が」
ふと、そんな気がして。足を止めようものならば。
「なに立ち止まってんの? ほらほら急いでヴェルメイユ! ハリーハリー!」
「わ、わかってる!」
背に乗った同じくレインコート姿のブランシュに鞭で叩かれ急かされる駄馬の如く、痛くもない平手をペシペシと脳天に食らわされる。気にはなれども仕方なし、再び足を動かしてヴェルメイユはさらに速度を上げる。けれど、急ぐ理由はそれだけではもちろんなくて。
「……リリィちゃん、大丈夫かな?」
これが目下一番の気がかり、急ぐ理由そのもの、であって……本当に大丈夫、だろうか? 数日前に突然倒れ、そして今現在も下がることなく上がり続ける体温に苦しむリリィのことを思う。思い出して、走りながらもふとヴェルメイユが呟けば。
「薬も買ったし、コレ飲めば大丈夫よ!」
……たぶん! と、雨音に負けじと大きな声で。しかしなんとも頼りないお言葉が頭の後ろで響き、はは、とヴェルメイユは走りながらも笑う。
見ればその両手には、まるで宝物でも守るみたいにしっかりと抱え込まれたビニールに包まれた紙袋。それはついさっきひとっ走り街まで行って購入したリリィのための風邪薬、であって。なによりそれは、屋敷で待つもうひとりの男、あの黒髪眼鏡の鬼畜男が喉から手が出るほど今欲しているものに他ならず。
「早く届けなきゃ、あいつに何言われるかわかったもんじゃないわよ!」
「ははは、ノワールは怒ると怖いからな!」
「怖いどころか、このままリリィの体調が悪化し続けたらあいつ……きっと」
「きっと?」
「……心配のし過ぎで、発狂するかもよ? 常時銃を振り回して、あんたの額にいくつも穴が開くことになるかもね」
「はははっ、そりゃ勘弁だ!」
なのでそうならないようにこれをお届けするために、こうしてふたりで(実質は自分だけだが)走って屋敷に帰る途中なのであって……だがしかし、もう屋敷は目と鼻の先、という所で。なぜか、
「っつ? ……止まって、ヴェルメイユ!」
耳元でブランシュの一際大きな声が響き、びくっと体が跳ねると同時。
「とーまーれっ!」
「おおおっと?」
ぐいっとフードごと頭を引っ張られての急ブレーキ、回転数を上げていた足を無理やりにヴェルメイユは止めて。ズザア……ッ! と水しぶき巻き上げて、おっとっと、と。少々よろけながら、「どうしたブランシュ中尉?」と振り返ってみれば。
「しっ……静かにして、すぐにそこの木陰に身を隠して」
先ほどとは反転、囁く様にブランシュが言う。その表情はひどく強張っていて、何事かと思いながらもヴェルメイユはただ事ではないと察して。すぐさま指示の通りに身を隠して。背から降りて、じっと伺うようにブランシュが見つめる隠れた木の先、同じように目をくべれば。
そこに、見えたのは。
「もう、最悪……」
「いったいどうしたっていうんだ……って、反乱軍!?」
の、姿であって。さらには、その数十人の集団の先頭には。
「……しかも、あの金髪。見覚え、あるでしょ?」
「ん……あれは、」
生憎なのは、どうやらリリィの体調や天気に留まる事はないらしくって。うわあ……と、思わず揃って苦い顔を浮かべたヴェルメイユとブランシュにとっては今一番会いたくない、二度と会いたくないひとの二部門で見事ナンバーワンの、そのひと。
「反乱軍の……リーダーじゃないか」
であって。
「ね、最悪でしょう?」
と、隠すこともないいやな顔でそう言ったブランシュに、ヴェルメイユは思いっきり頷いてやって。
「ああ、最悪だ!」
くわっと目を見開いて、激しく同意してやるしかなくて……だって、だってだ。
あれはつい先日受けた奇襲の折に、その見目からは想像できない力で台風の如くやたらめったら暴れ周り、歩兵やら車両やら戦車やらをさんざ壊しまわった挙句、最後は笑いながら逃げるふたりを追いかけてきた見目麗しい金色の死神様。黒曰く、反乱軍の頭目かつ現在屋敷で寝込む少女のお母様、に他ならず。
その凶悪さと恐ろしさは、あの場にいたふたりには嫌って程よくわかるから。そして、このままばったりバッティングでもかまそうものならば、間違いなく勝ち目などあるはずもないことをふたりは骨身に沁みてよく知っているから。
だから……その苦すぎる思い出に、またふたりは顔を見合わせて。打ち合わせもなしにぴったり同じタイミングでしゅっとしゃがんで向かい合い、うん、と頷き合って。
「……軍師としてこのまま潜伏続行を提案します、大佐殿!」
「承認する! 異論はない!」
こんなときだけ上官と部下の間柄を取り繕って、どっかの怖い黒大佐に怒られないように作戦としての大義名分を確保して。ひょこっと木陰から顔を出して、敵の様子を伺って――うん、伺うだけにしておこう、そうしよう! 屋敷を包囲する反乱軍を眺めながら上下に並んでトーテムポール状態で。そっと、互いに互いの顔の前で手を合わせて。
……ごめん、救出、無理っぽい!
ただただ降りしきる雨の中、煙るような雨と木々に身を潜めることをふたりは迷わず選択したわけであって――ノワールとリリィのことは心配だ。それは、本当だ。でも、でも、でも。
「勝ち目がないのに突っ込むのは、勇気じゃないもの」
「ああ、それはただの無謀だな!」
「それにあいつが、ノワールが私たちに助けを期待してるとは」
「思えない!」
「でしょ?」
なので、ここは様子見決め込むのだ。けれど諦めてはいない。そう、きっと来るであろうチャンスの瞬間を見逃さぬように。いまは、まず。
「……あ、そういえばチョコ買ったんだけど食べる?」
「お、手作りか?」
「……買った、って言ってるでしょ。この駄犬」
ふたりはいまはただ、チョコを口に頬張ってとにかく――傍観するのだった。
――このとき屋敷内を少しでも伺おうとしていれば、結末はなにか変わったかもしれないし、変わらなかったのかもしれないのだけれど。