暗転、次へと至るために。
***
――ふたりを重ねて、ふと思い出す。
外した鎖の意味など、とうの昔に忘れてしまっていた。
最初は、拘束のため。逃げ出さぬように、捕らえ続けるために。そのためだけに、繋げていた。
そうしなければ、指から滴る雫の様に簡単に毀れて消えて、緩やかに無くなってしまうもののように感じていたから。喪失、消失、恐れたのはきっと、そんな感情か。
だが重苦しいそれが、そのか細い両の手首を縛っているだけで、安心、安堵、そんなものに満たされて。その繋がった先には、自分の両手が必ず結ばれているような気すらした。していた。
そんなあまりにも脆くて、細くて、浅い。その程度の繋がり。
だけど断ち切ったのは、引き寄せたのは、きっと。
「……大佐さん、もう一度わたしを貴方のものにはしていただけないのでしょうか?」
「……」
屋敷の入り口でそっと、差し出すように両手を差し出す君だった。君だけ、であって。
なのに代わりに結んだ、その手すら。この手すら。
――離すときは、一瞬で。
それを知りながらも声も出せずに、ただその手を握る。優しくも、確かに。小さくて、暖かい。細い指先へと、絡めるように指先を潜り込ませながら。離さぬように、離れぬように、と。それでも出ない声に、言葉に、歯がゆさに。
心の奥底で降り積もるものは、形にならず消えるばかりで。ただ、唇を噛み締めながら。
「……お声を、聞かせてくれないのでしょうか?」
悲しそうな、声音が響く。
……鎖で繋がったままだったなら、こうはならなかったのだろうか?
思いとは裏腹に君の声に、俯くばかりしかできなくて。そうして鎖すら断ち切れ、吹いた風に木々のざわめきが一層、より濃さを増した辺りで。
「……大佐さん」
まるで、世界を包む音すべてとは隔絶されたように。何者にも遮られることもなくどこまでも、透き通った声がして。この耳に、届けられた、瞬間には。顔を、上げたところで。
するり、まるで力など最初から入っていなかったかのように。浮かべた微笑は、いつかと同じ、悲しみの色ばかりで。あ……と、遅すぎた声も言葉も、とっくに手遅れで。
「……さよなら」
大佐さん。
振り返ることもなく、自分ではない誰かに手を引かれて立ち去る背中を、ただ見つめるばかりで。
それしか、できはしなくって。
それだけが、君のためなんだと信じることしかできなくて。
やがて見失った背を、それでもまだ追い縋るように見つめながら……さよなら、たった四文字の残響を何度も何度も繰り返し。血が滴る程に、噛み締め。
「……私にどうしろというのだ!」
殴ったのは、物言わぬ壁か。あるいは、何も出来ない無力で無能な自分か。どちらにせよ殴り倒してしまえたなら、殴り倒せるものだったなら、どれだけ救われたのだろうか?
そして、無言で無能で無力なそいつに打ち勝つことが出来ていたのなら――どこで、なにを間違えてしまったのか?
その答えを、得ることが出来るとでも言うのだろうか。
なんにせよすべてはもう手遅れでしかないのだけれど――これは崩れた屋敷を背景に、同じく崩れ落ちるばかりの無能がひとり、取り残された日の話。
――君が黒髪に染めたように、自分も君の色に染まればなにか変わっていたのだろうか?